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『鏡像崇拝』 を思い返して
お久しぶりです。Etrisです。
藍月なくる2ndライブ『鏡像崇拝』から幾日が経ちました。みなさまはまだ鏡に囚われているのでしょうか?
さて、この記事はそんな『鏡像崇拝』の感想記事……であるはずです。1stのときよろしく歯切れが悪いのは、ミクロな部分では良いライブであったはずなのにマクロで見ると「なんだかよく分からない時間だった」という感触になったからです。
ということで、わたしの中でこのライブの感想はこのライブの構成とは不可分であるからして、必然俯瞰する視点でライブを解釈しないことには感想を述べるスタートラインにすら立てません。つまりはこの記事ではまず『鏡像崇拝』そのものについてを考える必要があります。その意味では講釈記事、とでも呼んだ方が適している気がします。
再び観ることが叶わないコンテンツにネタバレという概念があるかは定かではないですが、念のためそういうのを気にする方はここで引き返すのが吉かと思います。
また、ここから先の内容は断定口調でかつ少し崩して書きますが、多くは確証もなく根拠もない、薄い記憶の上になりたつ虚像であるかもしれないことを重々ご承知おきください。
何があったのか
おそらく多くの人が一番考察を振りまいている部分であり、これを読んでいる人が一番気になる部分でもあるだろう。が、これは単純な話で表題曲の”Mirroring Mirage“をある程度聴き込めば自ずと掴める。
乱暴に一言で説明をするなら、「実像の藍月なくるに何者かが成り変わってライブをした」ということである。
時系列順=セトリ順に追って説明してみる。
“Defective”では、まずステージに概念衣装の藍月なくるが登場し、ラスサビの「神はもう、どこにも居ないと」に入る直前の暗転で倒れ、代わりにゴシック衣装の藍月なくるが登壇してステージを続けた。
“Mirroring Mirage“では曲の主体として『悪魔』が、そして『神の子』が登場する。すなわち、その双方のどちらかが『神』を追放したところからこの物語は始まる。
このライブのモチーフであろう『エデンの園』の逸話を思い出して欲しい。原典では、悪魔が神の子を唆して智慧の実を食べさせ、結果神の子は神の逆鱗に触れ楽園を追放されることになる。これと曲の内容を踏まえるなら、『悪魔』は『神の子』を唆して『神』を楽園から追放させたことになる。
さて、そんな『神の子』= ゴシックなくるはこの後、純真に、爛漫に好きに曲を披露する。自分のお気に入りのドールなんかも登壇させたりと気ままに楽しむが、『悪魔』が仕込んでいた毒が回り始めてステージから退場していく。これは主題曲の内容と、去る直前のMCが「歌い疲れたわ。なゆたんお茶しましょ。たむは後よろしく」(意訳)であったことから推察した。
こうして楽園からは誰も……いや、『悪魔』= KV衣装なくるだけが残された。ちなみに後半が『悪魔』によるステージであることは幕間”彼の悪魔は愛を嘯く“からも分かる。
初めのうちは堕落を謳歌する『悪魔』であったが、標本のように楽園を維持しようとする(“ガラスアゲハ”)中で、はたと自分は『神』には成れないことに気づき(“mirror”)、せめて『神』に対する贖罪を願った(“monodrate”)が叶わず、ならばと自ら楽園を終わらせることにした(“テアトル・エンドロール”)。
以上がこのライブのストーリーラインとなるが、ここまでに『鏡像崇拝』要素は含まれていない。もう少し踏み込んで考えてみる。
あの場において実像と呼べるものは『神』と、舞台の外から観賞している『我々』の二者である。『神』の容姿を写しながら『我々』の心を映す、鏡像とは『悪魔』を現わす。
『悪魔』には『神』の所作が分からないために、『神』を信仰する我々の望む像を反映して振舞うのである。これは、MCで小さく呟かれた「望まれた姿でいるのはいいこと」に矛盾しない。
……思うに、『悪魔』は『神』をあまりに深く愛するが故、『神』に成り代わろうとしたのかもしれない。このライブとは、そんな鏡像の『悪魔』から『神』への崇拝が込められている。
しかし、『神』は追放されてしまった。観測、あるいは信仰、いや、崇拝によって『悪魔』を『神』たらしめるはずの我々が、共犯として巻き込まれた形とはいえ追放してしまった。
我々が『神』を必要としないのならば、我々が望む姿では『神』に至れないのならば。そんな絶望感こそが『悪魔』に楽園を閉ざすことを思わせたのだろうか。
そうして“空の玉座”だけが遺され、物語は誰一人救われずに幕となる……
何を感じたのか
……ここまでの考察にたどり着いて、解釈勢として初めてこのライブの感想を述べる立場に立てたと思う。
見事なBad Endだと褒め称えたい。が、ここに至る道筋が不明瞭なことこそがこのライブ最大の不満点である。
ストーリーの展開やそこに含まれる感情の繊細な揺らぎを、難解な楽曲を高い精度で解釈して初めて見えるセットリストや思わせぶりなMCに込めておいて、それをもはや永久に確認できない1度きりのライブで披露して、どうやって正しく物語を汲み取って共感しろというのだ。
加えて、他者へのネガティブな感情が籠った曲の解釈に引っ掛かれば幻影の悪意に苛まれる。しかも「Bad Endをお届けする」という前触れによってそこで十分思索が停止しうる。
事実、最初に述べた通りライブを終えて直後は「何も分からない」というモヤモヤした感情に包まれていたし、その後FFとの議論を経たのち、ふと夜中に”monodrate“から悪意を見出してしまって一時は「最悪だと気づくことこそがBad End」なんて結論にさえ至ってしまった。
もちろん、これは「何も考えなくていい」との言いつけを破った我々への罰なのかもしれない。なれば、曲の表面だけで楽しんで潜むBad Endには見向きもしないことこそが正しいあり方なのか?それを受け取ることが我々の誠意ではないのか?
『鏡像崇拝』を、ひいては『藍月なくる』というコンテンツを「好きに消費してほしい」のならば、それに耐えうるだけのものをぶつけて欲しかった。
私のこの解釈が正しい物だとは思いません。異なる物語を見出すのも、悪意に満ちたライブであったと見做すのも、自己の感情と共鳴させるのも。シンプルに曲を楽しむのもまた、各々の消費の仕方です。
語気が強くなってしまった部分で不快に思われたのでしたら、その点については申し訳ないと思います。
繰り返しにはなりますが、ミクロの点、つまり各々の曲での演出やパフォーマンスはとても素晴らしいものでした。これは確かに感じたことです。それだけに、全体を通したマクロでの至らなさが目立ってしまったのだと思います。
……あるいはこのマクロな点での至らなさですら計算ずくであるのなら、それは本当にあっぱれなライブを構成できているのだと思います。そのようにした意図は全くもってわからないし、共感したくもないですが。
ともあれ、とびっきりのバッドエンドをありがとうございました。
いくつかの解釈は、スペースで議論したフォロワーのみなさんのアイディアを参考にしております。この場を借りてお礼を申し上げます。
重ねて、ライブに携わったスタッフのみなさま、ダンサーの雪月さん、natsumiさん、ゲストボーカルのnayutaさんに棗いつきさん、そして何よりも、心身を削って素敵なライブを披露してくださった藍月なくる様にもお礼申し上げます。
何を想ったのか
改めて、この記事を公開してから1週間くらいが経ちました。
公開してしばらくのタイミングはずっと「少し強く書きすぎたかもしれない」という疑念を晴らせないまま、とはいえ『鏡像崇拝』当日から疑問に悩み、絶望し、怒り、落胆し、諦念を抱くまでのこの一連の感情を遺さずして何が感想記事だ、と言い聞かせてきました。
正しくないと感じながらも相応の決着をつけたので、いくつか他の人の感想を読みました。人それぞれにバリエーションはあれど、概ね「観客自身が実像のなくるを違和感なく退場させたことがバッドエンド」という意見にまとまっている気がしました。もちろんかなり乱暴な総意の纏め方であるとは自覚していますが、私も最終的にはそこにたどり着いているので大きく外れてはいないのでしょう。
……想えば、真相はその程度のことだったのかもしれません。私の過度の期待が爆発して、暴走して勝手に憔悴しただけなのかもしれません。好き勝手に消費した先で、勝手に傷ついているだけかもしれません。
この1週間で他のライブにも行きました。素直な感情に心を動かされた、とても素敵な体験でしたが、帰り道ではずっとずっと「どうしてこれを先週味わえなかったんだろう」と落ち込んでしまっていました。
が、その体験は『鏡像崇拝』で味わいたかったものではあれど、『鏡像崇拝』にその体験を求めていては決してなかったことにすぐ気がつきました。
おそらく他のライブでの記憶は色褪せていけど、『鏡像崇拝』は私を蝕み続けるのでしょう。心に纏わる荊のように、あるいは硝子に残る瑕のように。
それこそが狙いなのでしょう。なにせ貴女は「皆が私の事考えてくれてる時間が私は大好き」なのですから。
貴女は結局、『クラリムステラ』でも『鏡像崇拝』でも呪いを私にくれるのですね。
私にはやっぱり『鏡像崇拝』を評価することはできません。でもそれは、貴女を好きに消費するための代償だと思っています。
それ以上に、奔放に、気ままに、自由に活躍する姿を、これからもどうか見続けさせてください。
綺麗な台詞だけ演じても 貴女の胸の奥 響かないでしょう?