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死ぬかと思った…5
父が、私が小学一年生の頃、再婚をし、
翌年、妹が生まれた。
自分に妹が出来るのは、とても嬉しかった。
だが、その反面、
不安でもあった。
赤ちゃんは、無垢で無条件に可愛い。
大人は皆、そちらに関心を寄せる。
それはそうだ。
母が亡くなって、悲しみを封印する為、
俯瞰的に物事を観る…そんな子供は、
大概、疎まれる。
『子供らしくない』という意味が無い理由で。
父は、ひとりになってしまった私の未来を案じ、
血の繋がった【きょうだい】というものを、
与えたかったらしい。
子供は、いつの時代も無力である。
どんどん、自分の居場所がないということだけが、
浮き彫りになって行く。
(ムダに俯瞰視野という、自身を客観視する構えを
持ってしまっていたが故に、苦しんだ)
継母とは、分かり合えなかった。
(人間同士でも、分かり合えない人種がいるんだと
いう諦め)
でも、父に心配をかけたくない…
そんな実家での暮らしが、私が子供時代を、
子供らしく過ごすということが得られなかった、
虚しさを記憶に刻ませた。
父と継母の喧嘩の原因を、事あるごとに、
継母から(その祖母からも)責められるという
理不尽さ。
正直、思い出したくもない。
それでも、道を外さなかったのは、亡き母と、
その姉の叔母、その祖母が、友人達が、
絶大な心の支えとなったから。
そして、不器用ながらも、愛情をくれた
亡き父のおかげでもある。
学業も、トップクラスを維持していたので、
東京に行きたい!という事に、反対される事
が無かったのは、不幸中の幸いだった。
父が亡くなって、葬儀以降、継母とは連絡を絶った。
心療内科で、担当の先生と話している時に、
『貴女は、それでも、継母に愛情を感じたかったのだと思う…』
と言われて、(何言ってんだ?)拒絶反応が出た。
『貴女は、生まれて来た妹を、たくさん可愛がった』
『それは、自身が愛情に枯渇感を持っていた、気持ちの裏返しのようなもの』
『家を出て、東京でひとりで暮らすという、普通なら、未来や希望しかみえない状況でも、貴女は、満たされない思いを常に抱えて来た』
『継母でも、貴女は愛情が欲しかった』
『愛情が欲しいという気持ちを知っている人は、
自分の子供にも、絶対に愛情を注げる人です』
いつの間にか、涙目になって、涙が止まらなくなった。
(それでも継母とは、このまま関係は変わらないと思います)
ちなみに男性医師です。
初めて診察室で、対面しながら、話していたら、
『僕は離婚経験者です。元妻も医師で、子供の親権は
向こうが持ってます』
『女性は強いですよね。頭の良さも、言葉も、元妻には敵わない』
『子供にも会わせてもらえなくて』
『何のために生きているのか?わからなくなる時があるけど、それでも、理由なんて考えないで、生きてます』
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あの…私、患者側なんですけど…
(昔から、よく相談受ける機会はありましたが、
どうしてだろう?)
まあ、医師も人間なんですよね。
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