母さんが君に運動部への入部を勧める理由はね…、
日曜日の昼間、久々に幼馴染の4人のライングループが「ピンコン」と鳴った。
20歳になったミエちゃんの娘が仕事のストレスで逆流性食道炎になったと言う。ミエちゃんの娘は中学、高校とバスケットボール部で全国大会に出場している。
「ひえ~、体育会系出なのにそれって、どんだけキツイの?!」
思わず出た私の一言だ。強豪校の部活動で相当厳しい練習に耐えてきたに違いない。それなのにストレスで体調を崩すなんて、一体どんなブラック企業なの!と、かつて体育会系だった私たちはピンコンピンコンと秒刻みで返信した。
私たちは小さな島の出身だが、当時、島の中高生はみんな部活動に所属していて、その大方が運動部だった。今思えば、島では他にできることがなかったのだろう。
ミエちゃんが「辛ければ辞めてもいいんだよ」と声を掛けても、当の本人は「職場にはかわいがってくれている人たちもいるから辞められない」とがんばるらしい。
「はぁ、そこに体育会系が出ちゃってる…」と誰かがピンコン。
「確かに…」と私がそれに応じてピンコン。
私たちがスポーツを通して得たことは技術と根性だけではない。チームワークの重要性を植え付けられてきたのだ。
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息子が高校生になった時、「なんで母さんはそこまで僕に運動部を勧めるのかその理由を聞かせてよ」と言われたことがあった。
中学時代を海外で過ごした息子には日本の部活動の経験がなかった。せっかく日本にいるのだから運動部に入れば?と勧めたのだった。
私は中学高校大学と運動部で過ごした。思い出すのは辛かった練習や、中学時代の理不尽な上下関係、無茶苦茶な精神論ばかり。それなのになぜ、我が子に同じことを体験させたいと思うのだろう?
聞かれるがまま過去の記憶を蘇らせながら話し始めると、だんだん松岡修造ばりに熱くなってきて、ついには1時間を超える大熱弁になってしまった。ちょいちょい挟んだくだらない思い出話を省いてまとめるとこんな感じになる。ちなみに、囲いの中は息子に伝える必要はないと判断した部分。
母さんが君に運動部への入部を勧める理由はね…、
① 根性がつく
運動部のいいとこは、そりゃ根性がつくとこよ。1に根性、2に根性。練習前に全員で暗唱する五訓の最後が「辛抱できないことを辛抱することが本当の頑張りである」ってわけよ。それほどまで自分を追い込む機会ってある?「もうダメ」じゃなくて「まだイケル」。この精神を徹底的にたたき込む、それが運動部の良さよ。
本当は辛抱できないことは辛抱しちゃいけない。正確には、若いうちに「自分のギリギリを知っておけ」ってことだよね。
② 達成感を感じられる
五訓の中に「努力は不可能を可能にする」ってのもあってね、とにかく「できない」と言わない。できる、できる、できる! がんばれば必ず自分の成長した姿が見える。それがわかるとね、努力することが楽しくなってくるの、これぞ運動部の醍醐味よ。
努力してもダメなことはある。むしろそっちの方が多い。でも、そんなこと言っていたらやる気がでない。若いうちは少しくらい自信過剰なほうがいい。努力は必ず報われると信じてがむしゃらにやればいい。
③ 仲間と切磋琢磨し絆を深める
辛い練習なんて誰だって嫌なもんよ。でも、隣で仲間がやっているんだからやらないわけにはいかないじゃん?うまくなった方がレギュラーに選ばれるわけだし。練習の時は嫌いなライバルでも、試合になると頼もしい仲間になる。信頼できて、一つになれる感じ。そう、まさに「ワンチーム」ってやつ。
人相手だから保証はできない。例えよい関係が築けなくても、本気で絡み合ったことはその後の人間関係の構築に役立つ。これ、ほんと。
④ 連帯感を持てる
自分一人が良くてもダメなんよね。それが学べる場所かな、運動部って。よくやらされたのが、全員で連続100回シュートを決めようっていう練習で、誰かがミスしたら1からやり直し。みんなのためだけど、結局は自分のためになる。チームの一人であることが意識できるわけよ。日常生活から得られるものじゃないよね。
個人のミスは個人の技術を修正し高めるしかない。連帯感を名目にミスした子を励ましていても、心の中では罵倒していたし、ミスが怖くて伸び伸び練習ができなかった。今なら、連帯感ってそういうことじゃないってわかるんだよね。
⑤ 上下の繋がりが持てる
先輩や後輩と関わることができるのも魅力。年上だから従わなきゃいけないってのはおかしな話だけど、学生のうちにそういうのも経験しておくべきよ。縦の繋がりを経験できるのは部活動ならではだしね。
中学の時の先輩は無茶苦茶だったけれど、それが反面教師となって異年齢の人とうまく関わることができたのも事実。大人になるための荒療治かな。
⑥ 自分に自信が持てる
結局さぁ、何がいいって、運動部でがんばったということがすっごい自信になるの。「あれだけ辛いことに耐えてきたんだから絶対乗り越えられる」って。大人になってからも事あるごとにこの自信に救われているよ。母さんなんて、バリウム検査の度に命拾いしてるよ。
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息子に熱弁してわかったことがある。子どもの頃のスポーツ経験から得たものは、大人になってわかることの方が多い。もちろん、学生時代にだって十分に学び、成長してきたつもりだ。それでも、社会を知らない子どもの理解には限りがある。
子どもたちは、守られた世界の中で、大人たちに見守られながら、社会に出る前のシミュレーションをしている。
スポーツは感情を激しく揺さぶる。勝ちたい、嬉しい、悔しい、痛い、辛い。憧れも悔しさも妬みも自己嫌悪もどれもむき出しだ。現実社会では感情をむき出しにするなんてあり得ない。そんな原形の感情をぶつけ合い、跳ね返し、受け止めることで、傷つき、傷つけ、分かち合うことができるのがスポーツの良さだ。
人の心は繊細でもろい。それを、スポーツというルールのあるゲームの中で、もみくちゃにしてボコボコにされて、こねてねじってひっくり返す。その傷を癒さない限り闘い続けられない。闘うべき敵は己だと思い知る。これを繰り返すことで治癒能力が高まり、心が強く頑丈になっていく。他人の中でも同じことが起こっていると想像できる。私たちはそういう「生きる力」と「共感する力」をスポーツから与えられたのだ。
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「今どきの子、上司と飲みに行きたがらないみたいだけど、うちの子は好きみたいで、よお誘ってもらっとるんよ。そういう繋がり、大事よ!って話したとこ」
みんなの気持ちが落ち着いて、ピンコンも落ち着いた。
「大丈夫そうじゃね。なんかあっても誰かが支えてくれる環境を築いとるね。」
数えるほどしか会ったことのないミエちゃんの娘だけど、私はホッと胸をなでおろしながら返信した。きっと大丈夫。ちゃんと自分との向き合い方を知っている。
「うんうん!私もそう思ってる!」
というミエちゃんの言葉でこの日のチャットが終了した。
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私にはスポーツで日本一になったとか、進路に影響したとか、人生に花を添えるようなものはない。嬉しかったことよりも自分が嫌になることの方が圧倒的に多かった。100万通り以上の自分の弱く汚い心を見てきた。でも、その100万通りの対処法に助けられながら今を生きている。
ミエちゃんの娘もただ耐えているのではなく、どの手で乗り越えようかと探っている時なんだろうな。