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桜は春になったからって咲くわけじゃない ~娘と私の10年~

これを書き始めたのは、「昨日まで蕾しかなかった桜の木に、今日はたくさんの花が咲いていた」、という日。

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桜って、春になったからって咲くわけではないらしい
暖かくなって蕾が膨らむまでの過程 ― 夏に日差しをたっぷり浴びて葉を茂らせ、秋に落葉して、冷たい冬をしのぐ ― これらを経て、桜は花を咲かせる準備が整うという。

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中学生の娘が水泳を辞めると言った。

娘は私に「いい?」と聞く。
彼女はいつだって私に聞いてくる。

赤ちゃんの頃から切ったことのない前髪を切ってみたいと言った時も、私がいいと言うまで切らなかった。娘のフワフワの柔らかい髪は、前髪を切らない方がまとまりやすい。それに娘は長い方がかわいい。娘の気が変わるのを待ったが、「やってみたいの!」と粘る娘についに根負けして了承した。美容院から帰ってきた時の娘のはしゃぎようは、まるで子ザルが木の枝から枝を飛び回るようだった。数週間後、前髪が目にかかるようになる頃には、面倒くさがり屋の娘は前髪をピンで押さえ、「伸ばそうかな」と言うようになった。ほらね。そうなると思った。私は娘のことならなんだって知っているんだよ。

中学生にもなれば、髪型も服装もたいていは自分の思うようにするものだと思う。だけど、私と娘の関係はいつもこんな感じだった。娘はいつだって私に聞いてくる。「どうすればいい?」「してもいい?」と。そして私はいつだって娘を正しい方へと導いてきた。


娘が水泳を始めたのは、まだ幼稚園の頃。4歳くらいの時。近くにスイミングスクールがあった。それだけの理由だった。あれから10年。もうそんなに経つのかと驚いた。あっという間の10年。だけど実の詰まったずっしりと重い10年だ。

ボルネオ島の田舎町ではあったが、娘の活躍が凄まじかった。5歳から8歳の頃だ。小さな体で、同じ年の大きな体の西洋人たちを蹴散らかすように泳いだ。娘はその町の水泳界ではちょっとした有名人だった。

それからだ。私のマネージャー業が加速し始めたのは。毎日のトレーニングの送り迎え。食事の管理。出場する大会や種目の調整。写真、ビデオ撮影。分析。記録の記録。忙しく走り回る自分が誇らしかった。そして何より、娘の才能を開花させることに何よりの悦びを感じていた。

娘9歳の春。
帰国した日本で、満足できる練習拠点探しに難航した。娘くらいの力の子はわんさかいて、すでに9歳の娘を受け入れてくるクラブチームはなかなか見つからなかった。半年以上奔走し、やっと娘を選手として受け入れてもらえるチームを見つけた。彼女はこのチームでよい仲間、よいライバル、そしてよい指導者に巡り合え、今日までトレーニングを続けてきたのだ。

娘14歳の春。
晩熟タイプの娘も、やっと同年齢の子たちに引けをとらない体格になってきた。まだまだ成長は止まりそうにない。ついに待ちに待った娘の時代がやってくると思っていた矢先の娘の爆弾発言である。

娘が水泳を辞めたいと言ったことは、以前にもあった。その時は当然のごとく一蹴した。本気とは思えなかったし、簡単に夢を諦めさせてはいけないと思ったからだ。娘を励ますことが親である私の役目であり、いつか夢を叶えた時に、「あの時辞めなくて良かった。お母さんが引き留めてくれたから今がある」と、どこかのオリンピアンが言っていたようなことを言う時が来ると信じていた。

ところが。                            「水泳、辞めようと思う。」
娘は突然言った。しかも静かな口調で。今までは何かしらきっかけがあり、「じゃぁ、水泳辞める!」と勢いで爆弾を投下したようなものだったが、今回はそうではなかった。キャンドルの炎のように静かで、それでいて熱を帯びていた。「今月いっぱいで」なんて、辞める日まで決めていた。

「好きにしなさい」

私は不愛想に言い捨てた。他に何が言えようか。娘に決めさせるしかないではないか。そして、「ほら、お母さんが正しかったでしょ」と言うことしか私にはできないのだ。

娘を水泳選手にするのが私の夢だったのではない。娘の人生に花を咲かせることが私の願いだ。「このままがんばったら夢は叶うの?」と聞かれても、私にだってわからない。もう「外で遊んでもいい?」「これから雨になるからやめなさい」なんていう簡単なものではないのだ。もしかしたら娘にはもっと別の道の方が向いているのかもしれない。ただ、娘の前ではなんだってわかる頼れる母でありたい。いつだって、娘の手を引いて「お母さんについてきたら大丈夫」って言ってあげたい。

「コーチに言っていい?」
パソコンに向かっている私に娘が言う。

「なんでお母さんに聞くの?自分で考えなさい」

「だって、お母さんはいやでしょ、私が水泳辞めるのは」

私はパソコンのスクリーンを見つめたままキーボードをカチカチ鳴らした。


この10年、娘は私が喜ぶ顔が嬉しくて泳いでいた。それはわかっていた。娘が本当に水泳を好きだったのもうそじゃない。オリンピック選手を夢見たのも本当だ。

一体誰の夢だったのだろう? 娘の水泳に対する熱意よりも、私の「娘を開花させたい」という思いの方が強くなりすぎてしまったのだろうか。娘が、私の夢を支えていたのだろうか?


***
3月31日、娘は10年続けた水泳を辞めた。

公園に繋がる小路の桜の花はすでに半分ほど散り、地面に薄ピンクのカーペットを広げていた。露わになった枝は、隣の桜を押しのけるようにめいっぱい外に広げ、電線を巧みにかわして逞しく上へと伸びている。そうやって必死に日差しを求める桜たちから生きる強さが感じられた。

私は娘の花を咲かせることができなかった。水をあげ、肥料を与え、雨風から守った。それなのに、花は咲かない。きっと体が大きくなった時、花を咲かすのだろうと、その遅い春がやってくることをひたすら待ちわびていた。娘はいつだってお利口さんに私の横にちょこんと小さく座っていた。

When a flower doesn't bloom, you fix the environment in which it grows, not the flower.             -Alexander Den Heijer-
花が咲かないときは、花ではなく、花が育つ環境を整えよう。

娘の花が咲かないのは、娘のがんばりが足りないのではなく、私の世話の仕方が間違っていたということだ。いつだってそばにいた私の存在が、娘がのびのびと手を伸ばして太陽の日差しを浴びることを邪魔してしまっていたというのだろうか。

娘の10年
私の10年

娘は未練なくあっさりと捨て去った。
私はこの通り、未だに思考が定まらない。これを書きながら答えを見つけようとしていたが、大げさでなく全身全霊を捧げた10年をそう簡単に断ち切ることなどできない。娘に、「10年よくがんばったね」「お疲れ様」という言葉を掛けることなんてできないでいる。

娘は来年の春には、自らの力で花を咲かせているだろうか。
私は来年の春、どうなっているだろうか。


気づけば日付が変わっている。もう4月1日になった。
朝、娘が目覚めたら

「全部うそで~す。」

そう言ってくれないだろうか。


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びしばし。
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