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エリックカールの絵本『カンガルーの子どもにもかあさんいるの?』のもう一つのメッセージ

母になり、「母の日」が格別なものになった。
単に「感謝する側・される側」の二役になったということではない。母という奥深く神秘的な生き物をより理解できるようになったからだと思う。「母の日」は年に一度、日常で忘れがちなその喜びを思い出させてくれる。日にちは違えど年に一度世界中の母たちが崇められる素晴らしい日である。

ところが我が家に愛犬がやってきて以来、「母の日」はどうにも心が晴れないでいる。

動物にも親子愛があることは周知の事実。映画やドキュメンタリーなどでもお馴染みであり、昔の短歌にも詠まれていたりする。

物いはぬ 四方の獣すらだにも あはれなるかなや 親の子を思ふ
                      源 実朝 

『金塊和歌集』

それなのに伴侶動物であるペットたちはその「動物」から除外されているように思うのだ。日本では犬は仔犬から飼うのが主流であり、ペットショップでは月齢が低いほど人気。この裏にある「親子が引き離されている」明々白々な事実に意識を向ける人がどれだけいようか。


かくいう私も愛犬を生後2カ月半で迎えた。親犬について気にしたのはサイズくらいだ。成犬時の大きさを予測するためだった。罪悪感など微塵もなかった。それどころか仔犬の愛くるしさに我が家はかつてないほどの幸せに包まれていた。

物言わぬ動物の親子愛は見えるが、身近なペットの親子愛は気に留めない。時に人は都合の悪い情報が見えなくなる。私もその一人であり、愛犬との絆を深めるごとく「母」となり大切に育ててきた。しかし、愛犬には愛犬のかあさんがいたのだ。すべてのペットたちにかあさんはいる。他の動物たちと同じように。私たち人間と同じように。

生後56日以下の犬猫の生体販売が禁止となったが、それでも56日。かわいい盛りの赤子が連れ去られたら人間界では大事件である。我が身に置き換えて想像するとゾッとする。そして愛犬を連れ帰った日の母犬の心情を思うと胸が張り裂けそうになる。物言わぬ動物などいない。人間が聞かないだけなのだ。


「母の日」は、実家の母を思い、子どもたちの母であることに幸せを感じ、そして愛犬の母を思い胸を痛める。「すべての母」たちを思う日となった。

子どもたちに何度も読み聞かせたエリックカールの親子愛を描いた絵本『カンガルーの子どもにもかあさんいるの?』は、今、少し違う話に聞こえる。

~「うちのわんこにもかあさんいるの?」

 「ええ、もちろん、うちのわんこにもかあさんいるわ。
  あなたと同じよ」

(1000字)

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