頑張れ
頑張れ、という言葉が嫌いだ。
僕が脇目もふらずに何かに打ち込んでいるときに、視界の外から「頑張れ」という言葉が投げかけられる。労ったつもりだろうということは痛いほどよくわかるし、頑張っていないから頑張れ、という意味で発された言葉ではないということは間違いないように思える。この言葉の中に、僕は奇怪に膨張した期待を感じてしまうのだ―――君がもっとできることを期待している。そして、その言葉の主語は、僕ではない。
「よく頑張った」、と人はいう。しかし僕は、善人の面をしたその人間にどうしても反論できない、僕の努力の何が分かるのか、と。君から見て僕は、この程度の努力で満足しているように見えるのか、と。なぜ君は僕の努力に蓋をするのだ!
人が闘いに赴くとき、僕は「頑張れ」ということができない。いつも喉のあたりに何かがつっかえているような感触を覚え、うなだれてしまうのだ。友よ、僕は君を応援している、君の友であることに誇りを感じるし、感情を揺さぶられもする。だが、去りゆく君の背中にかける言葉がみつからないのだ。友よ、僕は薄情な人間なのだろうか。
送別 王維
下馬飮君酒
問君何所之
君言不得意
歸臥南山陲
但去莫復問
白雲無盡時
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