ニーバーの祈りと仕事とわたし
上司がわたしに言う
変えられないことに悩んでも仕方ないでしょ
(お、‥確かにそうだ。けど‥)
だから、任せておけばいい。
(へ?それは無責任じゃ‥)
あなたがそれをあれこれ悩んだとところで、解決しない問題でしょう。
(ハイ、決定権ありません‥ぐうの音出ず)
という件があり。
はっきりと言葉通りだなぁとと思うのに。何かわたしにできることはないか、みたいな謎の引力がわたしの思考を捉えて離さないんだな。
謎の引力の正体は後で考えるとして、
本命は「ニーバーの祈り」。
原文も和訳も、詳しくは調べてほしいけど、まさに上司の言葉は、このニーバーの言葉に通じるものがあるなーと、ふと思い。
もちろん、冒頭上司との話で私の勝手な気苦労はわたしの自己満足に終わる。
でも、待てよと。割り切ってというのは、なんかかっこいいような、合理的で、賢明な風に見えるんだけど、それでいいのかしら。
無駄な時間ではあるにせよ(無駄である事には納得してる)、お任せだけじゃなく自分の頭でも方策は考えた方がいいんじゃないか。成長するんじゃないか。
悩まなくていい問題だと切り分ける。
だからこれ以上それに悩まされない。
で、変えられない問題の行く末は変えられる人や時に委ね待つ。
その上で問題の解決を自分ならと考える。
それが私の答え?ループ化してる??
あれれ。ちょっと言いたい事とズレてしまった。変えられることに力を注げ、変えられないことに悩むなとの上司の言葉に感銘。
うわ、ニーバーの祈りと同じだなって話だったのに。
変えられない問題の種類による?
相手のスケジュールについてどうだろうかと悩んでも仕方ない。だから相手の回答を待つのみだと。そして変えられない回答がやってくる。たしかに悩んだ分、回答は変わるわけ無い。
変えてくれと働きかけたら別回答が来るかもしれない?
もっとも予めにアポイントメントを取っておけば良かった?
どうすれば、私が変えられる問題にできる?私が変えられる問題ではなくて、とるべき行動と結果はやはりひとつ?
今日の天気は変えられない。
信号が赤に変わることも止められない。
なぜ変えたいのか?なぜ赤に変わるのを止めたいのか、その理由を考える。
晴れの日にしたいことがあったから。
したいことは私の変えられる問題か?
遠足の日に晴れてほしいから?
青信号だったら、乗りたかった電車に間に合ったから?
わたしにできることは自分が青信号で渡れるようにすること。信号が赤に変わらないようにする事じゃない。
わたしにできることは晴れでない遠足を楽しむか、晴れの日に遠足を楽しんだことにしてしまうか。
晴れの日に私用を済ませたかったのなら、雨の日を知り、延期先の予定も織り込んでおくこと。
電車に乗りたかったなら、赤信号の時間も織り込んでおくこと。
段取りは変えられる。
段取りの内容なら悩んでもいい。
段取りが良くなかったと後悔して、次はどう段取りすれば良いかは悩んでもいい。
段取りに私の問題が浮き出る。
だからうまくいかなかった事を悔やんでる。対処できなかったことを恥ずかしいと感じてる。
謎の引力は、もしかしたらこんな後悔だった?
うまくやれるチャンスは、あったんだ。
段取り力が足らんのだなぁ。
先読みする想像力、経験はないから、失敗から見直すことから始めよう。
大事な事はやっぱり自力だけじゃ無理だから、段取りは報告がてら相談しなきゃだなぁ。
考えながらも手を動かして‥と。
結局、振り返りになってしまった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございました!