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【エロゲ紹介・感想】『青い空のカミュ』
こんにちは、やすけです。
前回の投稿から少し日が空いてしまいました。
今回取り上げる作品は『青い空のカミュ』(KAI・2019年)です。
かわいらしい絵柄に反して中身はゴリゴリの哲学・考察ゲーでした。
・・・いえ、更新をサボっていた訳ではないですよ?
noteで他の方の記事を読んでいると、皆さん文章がお上手だなと。
私も見習いたいのですが、本作は内容を言語化してお伝えするのが非常に難しいゲームでして・・・。要はカッコのつく文章が思い浮かばなかったので筆が重かっただけです、ハイ。できないことを求めても仕方がないので、自分なりの解釈を好きに書いていきたいと思います。
あらすじ
物語は親友同士である込谷燐と三間坂蛍が下校途中の電車で寝過ごし、目が覚めたら怪物たちが跋扈する世界に迷い込んでいた・・・。という流れで始まります。
協力してなんとか元の世界に戻ることを目指す二人ですが、その過程で燐が抱える心の傷や三間坂家の秘密が明らかになっていく・・・というのが本作の大まかなストーリーですね。
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燐(画像左)がしっかり者でアウトドア趣味のキャラであるのに対して、蛍(画像右)はおっとりしていてどこか浮世離れした感のあるキャラです。
燐は蛍の優しさ・純粋さに惹かれており、蛍は燐の行動力や快活さを羨ましく思っています。
親友同士ではありますが、色々と対照的な二人というわけですね。
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この作品のテーマについて
さて本作ですが、私は大きく分けて三つのテーマがあると感じましたので、以下にそれを整理していきます。
①不条理
一つ目のテーマは「不条理」です。
そもそもタイトルの「カミュ」とはフランスの小説家・哲学者のアルベール・カミュのことで(プレイするまで知らなかった)、現代における「不条理」の概念は彼の著作により広まったようです。
シナリオ中にもカミュの『異邦人』や『シーシュポスの神話』に言及する場面が度々あるので、本作が不条理を意識して作られているのは間違いないでしょうね。
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私の持つ「不条理」のイメージなんですが、大まかに言うと「個人では抗えない規模の外力や負の事象に巻き込まれる」という感じです。
一言でいうならば「どうしようもない」でしょうか。
具体例を挙げるならば、バブル崩壊やここ数年の某ウイルスの流行などが該当すると思います。
ちなみにネットで調べてみたところ「不条理」と「理不尽」はどちらも道理や筋道が通らないことを指す用語ですが、前者が規模の大きい社会的な出来事に用いられるのに対して、後者は個人的な体験など範囲の小さいものに使用されるそうです。
なるほど、難しいですね・・・。
これらをふまえると、本作はまさに不条理を体現したシナリオだといえます。
そもそも燐と蛍は普通に日常を送っていただけなので、特に二人に原因があったわけではありません。(燐の過去と蛍の家系には関係がありますが)
それがいきなり怪物に追いかけ回されて、捕まると〇辱されるわけですからたまったもんじゃないですね・・・。
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またゲームの選択肢についても、不条理をよく表現できていると感じます。基本的に本作の選択肢は「怪物からどう逃げるか」を選ぶものとなっているのですが、一部を除いてノーヒントです。
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選択肢を誤る=即BAD(〇辱)なので、攻略を見ない場合はぶっちゃけ運ゲー、あるいは死にゲーなんですよね。
プレイヤー側にも不条理を感じさせる良い作りだと思います。
②「幸運」と「幸せ」の違い
二つ目のテーマは「幸運」と「幸せ」の違いです。
これは作品の中で繰り返し言及されています。
蛍の家系である三間坂家には、偶然家に居ついた座敷童(作中では「オオモトさま」)を儀式によって家に縛り付け、町の外から来た男性と交わらせることで子を成し、幸運を独占してきたという暗部があります。
燐と蛍がおかしな世界に迷い込んだのは、蛍の先祖が座敷童を独占してきたため幸運が一極集中し、世界にひずみが生じたことが原因です。
また蛍は三間坂家の血を継いでいるので、座敷童と人のハーフということになります。
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私の考える「幸運」と「幸せ」の違いなのですが、「主体的な関わりがあるか否か」ではないかと思います。
例としてテストや試験で考えてみます。
試験でいわゆる「ヤマ勘」が当たって正解した場合、多くの人が「ラッキー(=幸運)だった」ととらえると思います。
これに対してしっかりと試験の対策をして良い結果が出た場合、これを「ラッキーだった」ととらえる人は殆どいないのではないでしょうか。
この場合は単なる幸運ではなく、自身の努力の成果に対して満足感や充足感を覚える人が多いと思います。
畢竟「幸運」とは主体性の有無にかかわらず偶発的に降ってきたものであり、「幸せ」とは本人が主体的に何らかの行動を起こした結果、得られた充足感などを指す言葉であると考えます。
蛍の先祖が偶発的な「幸運」を無理やり留めようとしたのに対して、燐と蛍の二人は様々な危険を乗り越えながら、最終的には元の世界への帰還を果たします。
本作の結末には賛否がありますが、あれがライターである〆鯖コハダ先生の考える「幸せ」の形なのかもしれません。
③綺麗なものをそのままにする
三つ目のテーマは「綺麗なものをそのままにする」です。
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こちらも作中において度々触れられています。
出現する怪物たちは人間の持つ根源的な欲望、つまり性欲により本能のままに動いています。
これに対して燐と蛍は「綺麗なもの」「穢れのないもの」(=処女)として認識されており、怪物たちは己が渇きを満たすために二人を狙います。
シナリオを進めていくと、燐は家族の不和やとある出来事から「自身は蛍と違って綺麗な存在ではない」と自虐的に考えていることが分かります。
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純粋無垢な蛍と心にトラウマを抱えた燐という対比的な構図です。
蛍を「綺麗なもの」として見る燐に対し、当の蛍は「燐と違って私には何もない」と考えているのが上手いなあと感じます。
無いものねだりってやつですね。
「綺麗なもの」であるためには手を出してはいけない。
ですが人間は感情の動物であり恋愛感情、ひいてはその先に性欲があります。
欲望に従うと「綺麗なもの」を壊してしまう、一方で欲望を押さえつけると思いは届かない・・・。
理性と欲望のジレンマが作品の三つ目のテーマといえるのではないでしょうか。
先述したように本作では選択肢を誤る=即BAD(〇辱)なので、ゲームをクリアした場合は必然的に処女エンドになります。
言い換えると「綺麗なもの」のままシナリオが終わる訳なので、この辺りも構成として丁寧だなと感じますね。
シナリオ考察
ここまでは作品のテーマについて書いてきました。
ここからはそれらをふまえた上で、シナリオについて私なりに考察していきたいと思います。
※あくまで私個人の解釈です
エピローグの解釈についてですが、物語の開始時点で「燐は既に亡くなっている」(恐らく自〇)と私は考えます。
正直なところ、私はこの「○○は既に亡くなっている」説があまり好きではありません。
一昔前に『となりのト〇ロ』や『クレヨンし〇ちゃん』の都市伝説ってあったじゃないですか。
あれって「とりあえず怖がらせたろ!」みたいな感じがして浅くてイヤなんですよね、そもそもこじつけみたいな理由ばかりですし。
まあ都市伝説ってそんなものか・・・。
ですが本作には、そのように思う根拠がいくつかありますので、順を追って説明して行きたいと思います。
根拠その① 燐の心理描写
これまでに触れたように、燐は家族関係に問題を抱えています。
これに加えてとある出来事で自身が好意を寄せていた人を深く傷つけてしまったことから、心にトラウマを負ってもいます。
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またBADエンドの一つでは「死」の定義について言及されるシーンがありますが、そこでは「死によって存在が失われるのではなく、他者の中(=記憶)に移動するのだ」と語られます。
このテキストは、後述するエピローグの部分に繋がると考えることができます。
根拠その② 燐は「青いドアの家」のものを食べた
作中では、燐と蛍がオオモト様と話をする際に「青いドアの家」と呼ばれる不思議な空間が出てきます。
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この家の中で二人が食べ物を探す描写が何度か出てくるのですが、食べ物を見つけたら食べる燐に対して、蛍はそれを口にしていません。
「黄泉竈食」という言葉があります。
読んで字のごとく「黄泉の国の竈で煮炊きしたものを食べる」ことで、日本神話において黄泉の国(あの世)の食べ物を口にすると、現世に戻ることができなくなるというものです。
日本神話ではイザナミがあの世のものを食べたことで、夫であるイザナギのいる現世に帰れなくなってしまったことが知られています。
またイザナギはイザナミとの約束を破り黄泉の軍勢に追われた際、桃を投げつけて助かっています。
「青いドアの家」=「死後の世界」ととらえた場合、燐は黄泉竈食に準じた行動をとっており、その食べ物の中に「桃」が含まれているのも非常に意味深であるといえます。
また「青いドアの家」で最初に水を飲んだ時や次に桃を食べた際、燐は「味がしない」と話していますが、3回目にケーキを食べたときは「おいしい」と発言しています。
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これは、「燐が死後の世界に馴染んできている」ことの暗喩ではないかと考えることができます。
根拠その③ 「燐」という名前
これは本作をプレイしてから調べて知ったのですが、「燐」という漢字は戸籍法に定められている「常用平易な漢字」に含まれていないため、本来は人名に用いることができないようです。
また「燐」という漢字の意味を調べてみると、元素としてマッチなどの原料となる「リン」の他に、「鬼火」や「人魂」、「屍から出る光」というものがヒットします。
あまり縁起の良い名前とは言えませんが、燐の背景やシナリオ展開を考えると、作り手側が意図してこの名前を付けたようにも感じられます。
根拠その④ エピローグ
これはもうそのままです。
核心的なネタバレになりますので、CGや言及は控えます。
私としては「燐の存在は失われたのではなく、親友である蛍の心の中に移った」のだと解釈しています。
以上が私なりの考察になります。
本作はnoteやブログでも様々な角度から考察が行われており、哲学や量子力学の視点からより内容を深堀りしているものもあります。
私はそういった分野には明るくありませんので、あくまで一個人の意見ということでご容赦いただければと思います。
やや気になったところ
さて、考察も書いたので次はプレイしていて気になった部分について触れます。
実際のところ、特に大きな不満点はないのですがあえて一つだけ。
本作ではシナリオの展開上、作中で童話や哲学に関する話が頻繁に出てきます。
例を挙げると宮沢賢治の『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』、カミュの『異邦人』、『シーシュポスの神話』、サミュエル・ベケット(仏)の戯曲『ゴドーを待ちながら』などです。
『よだかの星』や『銀河鉄道の夜』はまあ良いとして、カミュやベケットの作品について女子校生であろう二人が語り合うのはどうにも不自然に映ります。そんなマニアックな女子校生おらんやろ。
一応いずれの作品も「学校で習った」や「年上のいとこから教えてもらった」という体になってはいるのですが、この部分だけは作り手側が無理にキャラを動かしている感じが拭えませんでしたね。
なんとなく聞いたことがある、くらいの方が自然だったかも知れません。
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まとめ
伝奇や童話、哲学などの要素を多分に散りばめつつもシナリオは綺麗に纏まっており、良い作品であったと感じました。
また〆鯖コハダ先生の描くCGの美しさは目を見張るものがあり、特に背景の綺麗さについては圧巻でした。
ラストについては意見の分かれるところではありますが、伝奇ゲーや考察ゲーが好きな方、〇辱モノやビターエンドに抵抗のない方にはぜひプレイしていただきたいゲームだと思います。
長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
ではまた。