
かわいそうというラベリング〜10thBACKSLIVEを控えて〜
2020年10月30日 映画 とんかつDJアゲ太郎
公開初日舞台挨拶より
ぼくは決して可愛そうなヤツでもない

SNS上での気遣いの言葉の正体
感情が動いて素直な気持ちでかわいそうと思う事自体は悪くないし、むしろ自然だと思います
でもその対象になる存在感が変わる変わる
かわいそう
たいへんだね
気遣いの言葉を掛ける
それが思い遣ってのことではあっても、度が過ぎると
それはそのひとにとって呪いや呪縛になり得る
自分はメンタル壊して長期入院した経験があるので
こういう言葉には正直敏感で裏も読み取れてしまったりします
僕は北村匠海さんは好きな役者さんだし、この映画も公開を楽しみにしていました
そんな中で公開が危ぶまれる事態になり
普段作品と役者さんは別物
不祥事で公開中止は理解出来ない
それらの言葉を発信していた映画ブロガーさんも
実際公開されたらわざわざその事に触れる一文を作品の感想の中に書き込んでいました
そこにあったのは、SNS上での心配や配慮の言葉の正体
結局は他人事
ここでの言葉の軽さを感じました
で、ここから本題へ
それぞれのその時の立ち位置で意味が変わるBACKSLIVE

表題曲選抜とBACKSは上とか下とかない
BACKSLIVEは特別
そんな言葉でBACKSLIVEを評価する声があるのに
卒業する一期生の最後のステージがBACKSLIVEではかわいそう
代々木じゃなく幕張メッセなんて等等
想いはそれぞれだし、そこに僕が介入する権利はないし
ましてや否定はできない
もっともっと活躍してほしかった
その気持ちがかわいそうという言葉を紡がせる
それは自分も関有美子さんの卒業に関して
未だ処理しきれていない感情があるので理解出来る部分はあります
でもかわいそうという言葉が届き過ぎたとき
卒業するメンバーのアイドル人生を、その時間を否定する事にはならないだろうか?
自分の9年間はかわいそうだったのか?
そんな気持ちに駆られてしまわないか
そんな危惧を抱きます
言葉はポジティブに感情を動かすけど、
言葉は呪いにもなり得る
今のこの雰囲気の悪さが伝わってほしくないなって
ラベリングするのならポジティブな言葉で
これまでをラベリング
綺麗な思い出で上書きしてほしいって思います
