勝手に26歳計画
自分は人生を場当たり的にやり過ごしてきたし、これからもそうなる予感がするので、キャリアのことや人生を文章にしても仕方ないかなと思う。
だから、ずっと人生と共にあった絵の話を少しだけしよう。
自分は物心ついた時から絵を描いていて、世の中の平均よりかは絵が描けると思う。
そういうこともあり、絵を描けることを人から羨ましいと言われることがある。
才能(もしくはセンス)があって良いねとも言われる。
そうだろうか。
最初は純粋に好きだったから描いていたが、いつの間にか絵を描く行為を通して世の中との繋がりを見出している自分がいることに気づいた。
そして、好きな物を描きたいとか、いい作品を作りたいとかではなく、人から褒められ承認されることが次第に自分の絵を描く動機になっていった。『上手いね』と賞賛されるたびに世界に居場所を与えられている充足感で胸がいっぱいになった。
19歳の時、一浪の果てに第一志望の東京芸大に落ちて私立美大に進学することとなり、初めて壁にぶつかった。
自分の承認欲求と強く結び付いた、上辺だけの技術で誤魔化した絵は大学では認めてもらえなかった。評価されないことにモチベーションを奪われて必要最低限の完成度で作品を提出して、講評で教授にまた否定される悪循環だった。プライドはズタズタになっていった。自分の絵に対する向き合い方に強い劣等感を抱くようになり、薄っぺらい自分の絵も大嫌いになった。
周りを見ればいい絵を描く人は山ほどいる。自分が描かなくていいと思う。絵を描いていると、思い通りに描けないもどかしさに落ち込むことの方が多い。
"羨ましい"という言葉に何の意味も無いことは分かっているが、脳裏に色々なことが浮かんでしまう。
それでもここまで続けたことには何か意味があるはずだと信じて26歳の今でも絵を描くことを続けている。
就職で関東を捨てて京都に来たことで、絵のこと、人生のこと、色々なことを一度整理して考えることが出来たと思う。いま強く思うのは、自分はやはり絵を描かなければいけないのだということ。でもそれは、かつて強迫観念的に抱いていた感情とは違う。あの頃より少し成長した26歳の自分が心の底から望んでいることなのだと思う。