見出し画像

旧甲州街道ウォーク㉙ 石和宿→甲府柳町宿

こんにちは、ばーどです。
2024年10月19日(土)。
いよいよ山梨県の県都、武田氏のおひざ元に入ります。



1.川田町・和戸町

甲運橋で第二平等川を渡る
川が市境 甲府市に入る
大木の下に石碑と道標 街道らしい風景
右 富士山大山東京道 左 甲府身延道
裏面には 左 三峰山大嶽山

交通の要所だったことを示す遺構です。

山梨学院大学のバス
甲府川田町郵便局
平等川を渡る

今は第二平等川と平等川として整備されてますが、かつてはこの付近で「川田の渡し」が設けられ、富士川の舟運の船着場としても賑わいました。
平等川の由来は、平等院がある宇治川に匹敵するくらい、蛍が見事だったことから。

平等川改修記念碑

街道を歩いていると様々な記念碑や顕彰碑に出会いますが、山梨県内の碑はみんなデカい。採石業が盛んな土地柄だろうか。

青少年センターがスタートアップ支援拠点に
時代の流れだろうか
山梨学院大の川田ツインサッカー場
山梨学院の運動公園 案内板

多くのスポーツ選手を輩出する、山梨学院大。施設も充実しているようですね。

長屋門

武田氏の居城は、最初は石和に、その後は川田町にありました。信玄の父の代までは、この一帯が甲斐統治の本拠地だったわけです。

遠く南アルプスの山影が見えてきた

川田町の隣、和戸町は平安期から集落が形成されており、古墳や遺構も残っているとのこと。説明書を読んで、戦国時代から平安時代にタイムスリップした感じです。

表門郷(うわとのごう)から「わと」に
長屋門
複合商業施設「光と風MARKET COURT」
ナチュラル志向の住宅会社による施設のようだ
甲府信用金庫 東支店
甲府和戸郵便局

2.青梅街道

鳥居と石灯籠と二宮金次郎像
かわいらしい六地蔵

山崎交差点で右側から合流するのは、青梅街道。最初の宿場、内藤新宿で分岐した道と、ここで合流です。

青梅街道が右から合流する
交差点を過ぎ振り返る 左が青梅街道

分岐した後は、多摩川をさかのぼり、奥多摩から大菩薩峠を越えて、甲斐まで続いた道。甲州街道は小仏・笹子と2つの峠を越えるのに対し、青梅街道は峠1つで距離も二里短いうえに関所もないとして、庶民の移動にはよく利用されました。
筆者の自宅(都内)は青梅街道のすぐ近くで、そこから通じていると思うと、感慨深い“出会い”でもあります。

山崎刑場跡 題目碑や地蔵などが立つ
街道の曲線美
酒折宮への分岐にある道標
山梨学院大学のキャンパス

ちょうど学園祭を開催していました。
甲州街道で大学の目の前を通るのは、四ツ谷木戸にあった上智大学、下高井戸宿手前の明治大学に次いで、3カ所めです。

酒折駅前交差点
JR中央本線 酒折駅

酒折駅を過ぎた旧板垣村には、江戸から三十四里目の「板垣の一里塚」があったとされますが、場所も詳細も不明です。

街道の風景

善光寺、と言えば信州長野が有名ですが、甲府にも甲斐善光寺があります。
川中島の合戦(第三次)で信濃善光寺の焼失を恐れて、上杉氏が本尊(のちに別物と判明)を直江津に持ち帰り、武田信玄も阿弥陀如来像を甲斐に持ち帰って寺を建立したのが始まりです。
身勝手な戦国武将に振り回されて、仏様も住職もたまったもんじゃないですよね。

甲府市善光寺の町名
善光寺通りの案内
山梨信用金庫 善光寺支店
JR身延線 善光寺駅の案内

3.枡形・曲尺手(かねんて)

善光寺駅付近の町内地図 街道がクランクに

身延線のガードをくぐると、道はクランク状の枡形になっています。
宿場町の出入口や、城下町の城門へ通じる道では、外部から進入しにくく、中が見えにくいいように、このような形状となることが多く、実際にこの辺りに木戸があったようです。

枡形の入口 まず左へ
そして右へ曲がり出口へ

小さな枡形は、その後直線に改良されるのですが、ここの桝形は大きく、周囲も市街地化されていたので、このまま残されたたのでしょう。

糸繭の問屋だった石川家 漆喰塗籠土蔵造
鉄砲火薬店 狩猟用で需要があるのだろう
富士川橋 日本三大急流とは別物
国道411号は城東通りの名称に
控えめで正直な店 1番を目指したのかな?

さらに進むと、次の枡形がありました。
ここは、善光寺の枡形よりもさらに規模が大きいようです。

枡形の入り口 大きく左にカーブ
大型バスは停止して対向車とすれ違い
枡形の出口 右へカーブ

このような形状は、“枡形”と別にもう1つ“曲尺手(かねんて)”と紹介されているようです。この使い分けを調べてみたのですが、結局わからず(ご存じの方、教えていただけますか)。

ここでは“かねんて”と使われているようで、近くの駅は金手(かねんて)駅です。

金手駅と金手踏切と身延線
金手(KANENTE)駅

枡形(曲尺手)の目的や効果は、先に書いた①城下町や宿場町の防御、の他にも、②大名行列で大名同士がすれ違うのを避けられる、③街道が長くなり旅籠や店の数を増やせる、④旅人の足が止まりやすく店に立ち寄る人が増える、などがありそうです。

周辺には、古くからあったと思われる店や寺が並びます。

創業約100年 駒井米店
江戸後期創業 倉惣茶店
詫間鋸鑢(のこぎりやすり)製作所
創業150年 五味醤油 甲州味噌を扱う老舗
天尊躰寺

4.<第三十九番>甲府柳町宿

山梨中央銀行 東支店
甲府市中央
1582年創業 印傳屋

印伝は、鹿革に漆で模様を施す、日本の伝統工芸品。山梨県が発祥とされています。

新聞発祥之地石碑

1872年(明治5年)に峡中新聞が創刊、現在の山梨日日新聞となる。これが現役最古の地方紙だそうです。

古民家風の韓国料理店
NTT甲府西支店交差点を左折
仏具店の黄金菩薩 後ろのホテルからも拝める?
富士急バスと山梨交通 バス停
甲府銀座通り商店街
本陣跡と思われる場所 12:50
その隣 柳町大神宮
境内は“お伊勢の森”があったらしい

甲府は武田氏の城下町として栄えたが、城の南側の甲州街道が通る柳町は、宿場町として高札場や問屋場が置かれました。
柳町周辺は、市街地整備や道路拡張が行われていて、歴史的な建物は全くありません。大神宮も改築された模様です。
江戸から三十五里めの、柳町の一里塚。その痕跡もなく、詳細は不明とのこと。

1872年開業の徴古堂書店 改築で新しくなった
問屋街入口交差点を右折
街道の風景
「古くて狭いけど居心地の良いホテル」
創業約360年 手打ちそば奥村本店
昼食は蕎麦 ガソリンも補給
突き当たりを左折
桜町南交差点を右折

善光寺から数えて4つの枡形(曲尺手)、八曲がりを通過したことになります。
東海道・岡崎宿の二十七曲がりにほどではないけど、西か南にしか進めない“あみだくじ”を体験した気分です。

街道の風景
支那そばの前はチャイニーズパブか
相生町交差点を直進 歩道橋で渡る
北に向かうとJR甲府駅がある
甲府駅前にある武田信玄公像
甲州街道は西の方向

ここからしばらく、国道52号を辿ります。

西 支んしうみち(信州道) 西 みのぶみち
甲府丸の内郵便局
(左から)臨済宗法然寺と浄土宗天然寺 隣同士
国道が拡幅しても蔵が残っている
荒川橋東詰交差点
橋の真上にあるバス停
荒川 下流を望む
橋の上から甲府の街並みを振り返る

甲府盆地の川はすべて富士川に集まり、駿河湾に流れます。荒川の水も太平洋へ。

石和宿→甲府柳町宿
 距離 6.9km
 所要 1時間50分(休憩除く)

甲府から先は、山梨県の西半分。長野県との境までは上りになりそうです。
次は韮崎宿。

いいなと思ったら応援しよう!