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連載小説「超獣ギガ(仮)」#4



第四話「反撃」

 十二月二十五日。午前。
 三日月の灯る早朝の東京、晴海埠頭。

 神が失われた世界において、人々は誰に何を祈るだろう。合わせる手を持つだろうか。
 まだ雪が溶けるまでに至らない時間。
 暁の無音をわずかに葬りながら、その冬三度目の降雪はややその勢いを失いながら、しかし、地上に住まう人々を濡らさんとばかりに再び細やかな雨に変わりつつあった。雨から雪。そして雨。埠頭を染めた白は溶かされつつある。ところどころに飛び散った赤。乾く間もない鮮血。その上に新たな鮮血が散る。
 人は惨劇を目前にしても対抗手段を講じていた。
「怯むな、撃てー!」
 叫ばれた声は、その声色や威勢に反して弱々しくさえ聞こえた。寒さではなく、それ以外の要因に震えていた。そして、言葉は意味を成さず、銃火器を持つ兵たちは散り散りに逃げて列は崩れ、さながら狼の放たれた羊の群れかそれ以下に見えた。家畜を笑った人々は、統制を失った途端に家畜よりも劣る生命に成り下がる。狙いの定まらない銃声。踵を返す直前の、足止めにすらならない発砲。それを見下ろしている、一つ眼が鈍く光っていた。眼下に惑い、這いながらも真っ先に逃げようとする、か弱い人間たちが映っていた。左右に開き、その度、宿らせる光が熱を持つ。
 もはや、敵ですらなかった。しかし、人類が銃を向けたそのモンスターは、一切の躊躇なく、人類の始末を始めていた。
 たった一頭。人類を見下ろす一頭。その一つ眼が青く点滅した。雷鳴のような咆哮が放たれる。 
 巨大な影が埠頭に立つ。頭部の一つ眼だけが灯台のように光線すら放つ。
 いよいよ、その本来の力を解き放とうと、超獣ギガは両腕を天に向けて、叫んだ。
 超獣ギガと呼ばれる怪物の前に、立ち向かう人類は遥か遠く、虚しい。見上げて、その脆弱な体を震わせて、絶望するだけだった。ギガの頭部へ掃射された機関銃は、大きく発達した前腕部が盾になり、掃射した隊員のもとには反射的な鉄槌が下されて、埠頭の舗装に、かつて、人の上半身であった肉塊が滲んでいた。落とされて潰れ、車輌に轢かれた果実同然であった。ギガはわずかに上半身を捻り、その強靭な前腕部を振り抜く、その手のひらに打たれた人は、もろくも肉片と散った。逃げようと背を向けた他の隊員の上を、もう片方の腕が、そして、独立する意思を持つかのように自在に操られる長く細く、しかし、鉄のように硬質で、蛇のように狡猾な尾がアスファルトを走り抜けて、人々の上半身と下半身を分断する。そこにあるのは地獄絵図。かつて王として暴虐を尽くした人類への審判がなされたように、もう一つの進化の可能性、超獣ギガは地上に、人の造りし港湾地区に君臨していた。
 しかし、人は惨劇を経験しても退避するという手段を選択できないほどには愚かだった。
 対戦車ロケットランチャーを、M61バルカン砲を用意せよ、と、絶叫される。割れた拡声器。勝者の雄叫びが天をつき、雷鳴が呼応した。隊の頼みの綱になったロケット弾は前腕に弾かれ、一秒間に百二十発を撃つバルカン砲が作る白煙の向こうには、その硬い体毛を逆立てて、弱者を睨む獣が牙を光らせていた。銃火器では手が出ない。
 虐殺をよろこぶかのように、超獣ギガは走り、跳ねて、そこにいる人類を弄んでいた。足元を転がる人の一人をつまみ上げ、噛み切って、二つに分けて吐き出した。人は無力だった。
 神はその怪物を生態系の王に選んだかのように、天へ伸びる額の一角へ、稲妻を走らせた。

 同時刻。港湾地区の別区画。
 遅れていた陽光が雲の切れ間から地上を照らし始めた。
 対岸の戦況を見つめながら、作戦行動の開始を待っている、人類の希望。

「シミュレーション通りの陣形で行こう」
 隊長で作戦の指揮を執る、文月玄也が言う。まだ夜が明ける前の薄暗闇。表情は読み取れないが、声には畏れも焦りもない。首から下げる身分証に光る五芒星。内閣府直属、国家治安維持機関・冥府。その直属の遊撃部隊。通称ケルベロス。意味するのは、地獄の番犬。
「花岡は先行してくれ。波早、鳥谷は花岡に続いて、彼女の援護を」
 柔和でさえあるその声。それぞれに準備運動をしていた、花岡しゅりが、鳥谷りなが、波早風が振り向く。それぞれに、意思を秘めた視線。
「了解です」
 こくりとうなずく波早。一度、目を閉じて、しばらく待って、開く。静けさ。爪先を起点にして足首をねじる。
「オーケー」
 りなは包装を剥がしたばかりのキャンディを口の中に転がしていた。大きく、呼吸。緊張は隠せない。
「会敵したら伝えてくれ。お前のタイミングで射出する」
 腕を組んだまま、波早に告げる小日向。発言を終え、固く結ばれた唇。寄る皺。男は文月の補佐であり、チームの装備を兼任している。超獣ギガの捕縛に必要な、冥匣と名付けられた檻と、波早だけの特殊武器である、大質量破壊兵器、金剛力ノ粉砕棒。身の丈ほどもある、巨大な金属の棍棒は、指揮司令車の後ろの特殊運搬車輌に控えている。
「モニタリング良好です。目標は現在、静止中」
 司令車から叫ぶ声。ハッチは開け放たれ、そのなかに高崎はいた。
「よし、始めよう」
 文月が手を叩いた。
「作戦行動を開始します」
 司令車の雪平が開始を告げる。
「行こう」
 円陣を見つめていた花岡しゅりは遠くの影へ視線を移していた。天に向けて拳を突き刺している。
「うん」
 りなが続く。
「よーし」
 走るぞ。波早はニヒルに笑顔すら浮かべていた。
 正三角形になった三人は地を飛び立った。爪先が地面を擦り、一歩。二歩目がその大地を蹴る。しゅりが先陣を切る。姿勢を落として、速度をあげる。つい、いましがたの景色を過去に変えて、風のように、彼女は陣から姿を消した。それに続いて、波早、りなの二人が続く。残る者にわずかな砂煙を巻き上げて、細い体がいまだ明けぬ薄い闇へと溶けて消えた。地を打つ三人の足音だけが束の間、残っていたように思えた。
 瞬時に消えた背中に文月は、
「無事に帰還しろ」
 と叫んだ。
 すでに常人の肉眼では捉えられないだろう、しかし、しゅりは高速移動を続けながら、背後の叫びに、一瞬だけ振り返って、小さく微笑み、ピースサインすら送っていた。
「隊長。花岡からピースサインです」
 即座の画像解析から浮かぶ、指二本。高崎は思わず表情を緩ませた。隣に座る雪平は、ふふっと、笑む。
「不謹慎なやつだな」
 文月もやはり笑顔すら浮かべている。
 先頭を走っていたしゅりは、後続している波早とりなに振り返って、告げた。
「先に行く。波早さん、りな。フォローお願い」
「どうするつもりだ?」
 風切音と足音が支配する鼓膜。一閃の光のように、会話が起きる。
「挨拶してくる。あの無作法なお猿さんに」
 へへっと、軽やかに、しゅりはいよいよ動作を変更していた。一気に速度をあげて、後続の二人を引き離す、「すぐに行くから」と叫んだ、りなの声を遥か背後に、目標の影を捉えて、大きく跳ねた、空中でもう一歩。
 空に駆ける。前方に一回転して、そして、まるで食事の前かのように、目を閉じて、手を合わせた。
「天よ地よ。この光の源なるお天道様よ。我が心体、いまひとたび、この世の理すらも欺くことをお許しください」
 合わされた手から、抑えられない光があふれていた。それはまるで冬の来光のように光を放つ。そして、しゅりはその手を解いて、右手で左胸を叩いた。
「解放します」
 叫びを合図に、しゅりのその手の甲に、黄金の五芒星が浮かび上がった。前方を、その待つ未来を睨む、左の眼が赤く染まる。犬歯が尖る。
「超法術」
 大きく呼吸。足音が消失した。気配が消えて、すべての音が消え、景色も消えた。彼女はいま、速度に変換される。花岡しゅりは、いよいよ、その秘めた力を解放する。それは、進化を果たした、人類の、次なる一手。

「行くぞっ」
 息を吸う。全て吐く。解き放つ。
〝鈴音一歩〟(すずのねいっぽ)

 鈴の音が聞こえた気がした。
 いま、花岡しゅりは、肉眼から、視界から消えた。何もない空で一回転する、ついさっきの過去にピースサインを浮かべて、太腿のホルダーから短機関銃を抜き取る。その、ほとんど同時に、超獣ギガの真上から火花が散り、やや遅れて、連発された銃声があたりに響いた。不意をつかれ、後頭部に被弾したモンスターの怒号が唸る。弾ける血液。冷たい地上に跳ねる薬莢。
 精神と肉体の制限から解き放たれた人は獣に戻る。
 いよいよ暁。太陽は目覚め、神のいなくなった世界で、人類が反撃を始めた。
 銃声はしゅりの持つサブマシンガン。基本兵装にして、愛銃の七七式エクリプス改。片手で扱えるように軽量化され反動も少ない。前方を睨みながら走り続けていた波早とりなは速度をあげた。
「あいつ、いきなり撃ちやがった」
「やっちまえ。しゅりーっ!」
 彼女に追いつこうと、波早とりなは走り続けていた。希望を手繰り寄せようとする者たちによって、新たな朝が再開していた。

つづく。
artwork and words by billy.
#創作大賞2023

☆あらすじと登場人物紹介、そして、ここまで第一話から第三話まで。

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ビリー
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