連載小説「超獣ギガ(仮)」#23
第二十三話「月光」
昭和一〇〇年、一月四日。
午前三時。神奈川県横須賀市。隠密機動部隊、その隊舎。
あの日の朝と同じように、鳴り始めた、襲来警報。
それもやはり同時多発的に、それぞれの部屋、多くの場合、寝室のサイドテーブルから、備えつけた間接照明の直下から、端末機器が騒ぎ始めた。多くの人は支給された軍用機密、その専用回線を持つスマートフォン、バエルフォンだった。
その警報を、顔の真横のベットシーツから鳴らされた者もいた。そして、人によっては支給されたタブレットからも鳴り始めた。目まぐるしく明滅を繰り返す、赤と黄。誰が設計したのか、現実を侵食する、耳障りな騒音。そもそもは一般賃貸を買い取って、改修された、隊舎。
南を向いている、ほとんどすべての窓は、慌てて室内灯が灯され、遠くにそれに見つけた犬が吠え、すぐに窓と雨戸が開き、うるさい、が、叫ばれた。
伝染する犬の吠える声。相次ぐ、人が叫ぶ、うるさい。
そして、その隊舎に住まうすべての者々が、思わず眉をしかめて、しかし、冥府の所属機関への通達を、あるいは連絡へ急ぎ始めていた。パジャマや、その代わりの衣類を剥ぎ取って、制服に体をねじ込み始めていた。
花岡しゅりは、手元に光り続ける襲来警報を確認した。
誘導するURLから、その内容を理解する。
すべての室内灯を消した、暗闇。端末の光が照らす、寝起きの白い顔。瞳に映し出される戦局。その額には、やがての未来が描き出されていた。
鼓動。
同時に訪れる、命の煌き。
しゅりだけではない。この世界に生きる、ありとあらゆる動物は、その内なる場所に、魂と呼ぶべき根源に、争うことや、屈服させることのよろこびを宿している。
いまだ、暗闇の部屋。左手に端末を握り、表情を変えぬまま、世界を見据えていた。更新されるたびに、揺れる胸。どくん。集まる血液。自分自身の意思とは別に、律動するその肢体。
ヒトも、やはり、動物なのだ。悲しみや苦しみが好きなわけではない。その与えられた命を使って、競うことに、根源的なよろこびを得る。
ヒトは、野生に還る時期なのかもしれなかった。
こんなこと、隊長に話したら怒られるかもしれない。しゅりはそう思う。けれど、仮に、その鼓動が命令違反だと叫ばれたところで、きっと、変えられはしないだろう。
彼女も、一匹の獣なのだ。
おそらく、この世界の多くのヒトより進化を果たし、そのぶん、野生に還ろうとする本能を持つ、動物なのだ。
昭和一〇〇年、一月四日の午前三時、昨日によく似た冬の朝は、その確かな来光よりも早く、再び、訪れた光体反応の観測によって告げられた。
やがて、当該地域の関係各省庁、警察、救急、自衛隊にも発令される。一般住民たちの持つ各端末機器には、その後、緊急避難情報として、伝播するのだ。
全ての冥府職員、及び、関連部隊隊員に告ぐ。
観測されたのは、光体反応。それから、約八十度の熱源。
昨年、十二月二十五日に観測された、冥府とその機動部隊が第一接近遭遇、後の初の会敵、決戦に移行した、あの日と、同一状況である。
場所は横浜。首都高速。横浜市鶴見区、横浜ベイブリッジ。その大黒埠頭サイド。橋上、およそ二十五メートル上空に、光の束を観測。その内熱はおよそ八十度。蠢動しながら、道路表面近くに下降しています。
繰り返す。出現地域は、横浜ベイブリッジ、大黒埠頭サイド。立ち昇った光柱はコクーンに変貌しつつあります。
コクーン。つまり、繭。
超獣ギガ(仮)は、光体が変異した、発光する繭から生まれ落ちるように地上に現れた。後の報告書にその記述を見かけていた。海から上がってくるわけではない。山から降りてくるわけでもない。人がその身体では届かぬ、中空から、光の束を引きちぎるようにして、その躯体をこの世界に産み落とすのだ。
添付された画像には、あの日によく似た、発光体を確認できた。縦に長く、その中央ほど白く濃く、陰影を描きながら、光の束はふくらんでいるようだった。
「これは来るやっちゃ」
メガネに青い光を反射させて、鳥谷りなは睨んでいた。彼女はまだストライプのパジャマのままだった。着替える様子はなく、リビングテーブルで缶ビールの残りを飲み干した。テーブルには、昨夜、食べたナッツの空袋。干物のかわはぎ。飲み干して、軽くなったビールの空き缶。
「久しぶりやんけ、このアホ猿」
まーた、地獄送りにされたいんかい。
ふん、と、片眉を下げてから、鼻息。巻き舌。尖る戦意。睡眠を阻害された不愉快。隅の空き缶を、中指で弾く。テーブル下へ落下して、跳ね、その口から、残りのわずかな泡を吐き出した。
そやけど、そない久しぶりでもあらへんか。あれから十日しか経ってへん。画面左上に、花岡しゅりからの個人ラインのサムネイルが表示された。すかさず、りなは小指で捕まえる。
「愛しい、うちの姫君やんか」
ナッツ一袋ぶんを口に放り込む。ろくに咀嚼せずに飲み込む。冷蔵庫から次のビールを持ってこようかと迷って、迷う。
「りな、起きてた?」
その声は、すでに目覚めていた。
「しゅり、起きたんやな」
「あれで起きない人はいないよ」
「それもそうや」
二人は同時に一呼吸。スピーカーから、互いの吐息が割れて響き、そのことに笑った。
「なあ、しゅり」
「なーに」
「こんなん言うたら、怒られるかもしれへんけどな」
「うん。じゃあ、私が怒ってあげるよ」
「まだ、なにも言うてへんやん」
「怒られそうなことを言うつもりなんじゃん」
「まあね。不謹慎やと思うしな」
「でも、りなが思っていることは、私にもわかる。伝わってくる」
「そうなんやろな。うちな、この前、あのくそ猿をやっつけてからやで」
「待ってた。そう思ったんだよね」
「あんたもそうかいな」
「待ってはないけど。でも、緊急召集が鳴ったときにね」
わかる。
りなも同じことを思っていた。ドキドキしたのだ。それは、初戦も同じだが、今回は初戦とは違う。緊張には違いないが、この胸の高鳴りは、高揚というべきだった。
「なんでやろな」
「なんでだろうね」
聞こえる。
あの、怪物の咆哮が。それは私たちを呼んでいる。意識を集中させると、瞼にあのモンスターの姿が浮かぶ。横浜ベイブリッジ。あの、橋を占拠して、立ち尽くす、黒い影。怪しい光を放つ一つ眼。天を突く、額のツノ。やつは、私たちを待っている。私たちと戦いたいのだ。
こんなこと知られたら、嫌われてしまうかもしれない。なのに、高鳴る胸を抑えようとは思えないのだ。
しゅりは気づき始めていた。
人は野生へ還る時期が来たのかもしれない。なぜ、そう想うのだろう。私たちが男なら、わからなくはない。狩猟採集社会を生きた遺伝子は世代を超えて、いまを生きる人にも残っているからだ。
しかし、女はどうだろう。それは、狩猟本能ではないのかもしれない。やつは、少なくとも捕食対象ではない。あるのなら、習性だろう。生物としての、習性。
戦闘そのものを楽しいとは思わなかった。苦痛だった。しかし、勝ち残ったとき、得難い高揚を感じてもいた。
なぜだろう。
人は、あくまで野生動物だからだ。闘争という本能は、消えはしない。なくなったふりをして社会化しているだけのことだ。ルールに押さえつけられても、目覚めるときは目覚める。
しゅりやりなのように、大脳を解放し、その使用領域の多い進化者にとっては、必然だった。
神技。
人智を超えた力。それを解き放ったとき、内側に宿る熱があった。それは、生きている悦びそのものだったのだ。生命は、いつも野生に帰りたがっているのだ。
花岡しゅり、そして、鳥谷りな。彼女たちは、そのことに気づきつつあった。
午前三時三十八分。
まだ夜明けには早い空。宇宙と見紛うほどに、青くない青。しかし、かすかに青ざめた闇。真上を航行する月。地上からは表面しか見ることのない天体。文月は言っていた。
あの裏側には大空洞が広がっているのだ、と。そして、そもそも、月とは、人造の天体なのだと。
私は知っていた。
知っていたのだと、しゅりは思う。なぜなら、あれは、自分の故郷でもあるからだ。
この世は、嘘だ。この世界は人のつくった虚構なのだ。人は嘘を嘘と知って、近代を作り上げたのだ。文明が必要なんて、本当は嘘なのだ。その証拠に、野生動物たちは調和の世界に生き続けているではないか。
電柱の先端から、そこに座したカラスに睨まれている気がした。
いまだ明けぬ朝。眠りから覚めぬ世界。しゅりの元に、近づく細い影。踵を擦る、雑な足音。
「ほな、行こか」
なんの光を捉えたのか、わずかに光る眼鏡。盟友は昨日のように微笑んでいた。昨日によく似た、やわな魂とやわな肉体をひと揃い。
差し出した手のひらに、合わさった、もう一つの魂。路地を立ち上がって、即座に消えた、乾いた拍子音。
花岡しゅりと鳥谷りな。
二人は、戦場に向かう。美しき肢体の二匹に戻り、静かに笑みすら寄り添わせて。
つづく。
artwork and words by billy.
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