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連載小説「超獣ギガ(仮)」#10


第百一代内閣総理大臣、蓬莱ハルコ。48歳。


第十話「初陣」

「あれ、なに……」
 蓬莱ハルコは、その見慣れない風景に対して、その、たった一言をこぼして、白い息を吐いた。心臓がとくんと鳴った気がした。水色のストールが海風に揺れた。見下ろす岸壁、港湾には、夥しい血が流れている。半身。上半身。下半身。腕。脚。頭部。様々な人の部位と、もはや、判別ができない肉片たちが血を流して落ちていた。そして、装甲車、戦車。それぞれに横転して、脆弱な腹を天に晒している。一様に酷い損傷らしく、軋む音さえ立てない。首筋に重い汗が垂れた。
 そして、傲然とその骸に立つ、ビルを思わせるほどの獣。空に向かって吼えている。その度に額の一角が青白く燈る。その下にある、暗い一つ眼。灯台のように周回している。太陽は昨日によく似た軌道を描いて冬の或る日を始めているのに、どうにも見慣れたくない光景が広がっていた。
 これって。これって現実なんだ。ハルコは息を飲む。そして、思わず咽せる。
 前方から、じゃり、と、硬いソールがアスファルトを擦る音が届いた。見慣れたはずの背中。それでもやはり、いくつか年齢を重ねた気はした。もう、生涯、消えぬままであろう積年の疲労が浮かび上がっていた。それが大人だと言う。それを大人だと言う。私たちは、どれほどを背負えるのだろう。
 ねえ。文月くん。それは声にはならない。
「総理」
 その男が振り返って言った。少し前から気づいていたでしょうに。相変わらず、意地の悪い奴め。ハルコは呼吸を整えようとして、再び、咽せた。吐き出してしまいたいのに出てこない何か。そして背中を伝う汗。左手に持っていたミネラルウオーターを半分飲み干す。
「総理なんて、やめてよ」
「ここは立入禁止なんだけどな」
「それは、関係者以外、でしょう。私はこれでも内閣総理大臣なのよ」
 この国において、私はこの権限で、日本国に含まれるすべての地域の関係者になれるの。それが、いまの私。文月くんだって、それくらい知っているでしょう?
 立場と個人を行き来する思い。その変わらなさに不安なのか、あるいは安堵か。しかし、文月は静かに笑顔さえ浮かべていた。それならやっぱり、総理と呼ぶべきだな、なんて、冗談めかして混ぜ返した。
「文月くん。ねえ。あれが、あの巨大な猿が、超獣……ギガ?」
 ハルコはそれをその視界に睨んでいた。人らしき小さな生き物が、その巨体にまとわりついて、攻撃を仕掛けている。健気には見える。しかし、無意味な気がする。思わず、手を合わせた。その目を閉じる。どうすれば、ヒトがあんな怪物と戦えるの。
「いけるさ。僕たちは、あの三人なら、奴に勝てる」
 そのために訓練してきたんだ。なあ、花岡しゅり。僕たちは、勝てないまでも負けない。かすかに伺うその横顔には、何故だろう、確信の笑みすら見てとれた。
「ねえ。なんなの、あの、怪物は」
 文月くん。ハルコは思わず唾を飲む。
 その問いは、回答を欲しがってはいなかった。そして同意を求めるものでもなかった。未知の存在への疑問。乏しくなる現実感。その二つと、その間に揺れる不安。人は想像外の、認知の外の現象を目の前にすると夢や幻、あるいは錯覚なのではないかと自らの感覚を疑ってしまう。しかし、その視線の先には、いつだって、現実が立ち塞がってきたのだ。
「君も聞いたことはあるだろう」
 その昔。人類はその有史以降、多くの未知との遭遇でもあった。敵は同じ人間だとは限らなかった。自然は敵だった。人類はその敵との決戦に勝利したことはない。そして、人類ではない敵もいた。知っているか。雪男。イエティ。ビッグフット。そんな獣人たちを。UMA、あるいはクリプティッドと呼んでいた。そんな未知の存在は、その多くが、いま、僕たちの目の前にいる。この星は、大地は、人間のために用意されていたわけじゃない。もう一つの可能性だって、他の可能性だってあるんだ。連中は、ツチノコや河童とは訳が違う。共存なんて、それはヒトからの一方的な譲歩に過ぎない。奴らは、ヒトとの共存なんて考えてはくれないぞ。
「彼らは進化外生命体。地球の正統的な進化の外にいる侵略者だ。僕たちは彼らのことを、超獣ギガと呼んでいる」
「彼ら……。超獣、ギガ……」
 ハルコは見上げた。昨日と同じであって欲しい、遥か高みを。その青を。あの子。花岡さん。そうだ。花岡しゅり。あの子は「鬼退治へ」と言って、笑ってまでくれたんだ。
 どうか、無事に帰って来て。ふいに涙さえこぼれた。そして。
 誰もの頭上に、新しい朝が訪れていた。それを願っていたハルコの真上には、白いパラシュートが風に煽られていた。
「落ちる! 落ちる!」
 あきらかに自ら降下しておきながら、しかし、不慣れな着地に脚をふらつかせ、その声は叫んだ。揺れる白い傘。
「練習しておけば良かった!」
 頭上で大騒ぎをしていたその女は、指揮司令車ミカヅキの少し後方に着地して、お尻から転んで、そして叫んだ。転倒したその肢体にかぶさるパラシュート。
「隊長っ! おにぎりっ!」
 一時帰還した花岡しゅりは、立ち上がり、パラシュートを払い除けた。そして、汗や煤に黒くした頬で、静かに笑みすら浮かべていたのだった。

 同時刻。やや離れた対岸。
 初対戦の超獣ギガ、その一頭を追い詰めつつある人類。その岸辺。

 コンクリートに叩きつけられたその一頭は痙攣していた。制限から解放された身体で振り抜かれた、波早渾身の一撃は、狙っていた前頭部をしっかり捉えた。その感触は、内側の頭骨の破裂が起きたはずだと波早は思う。そして、りなが反転させた重量場によって、そのモンスターは宙に浮き上がったところを波早に打たれ、再び反転させられて、その重量を加算されて墜落した。顔面から着地したモンスターは顎が砕けたらしく、ぎくしゃくと噛み合わない顎から、血と折れた歯を吐き出している。しかし、意識は失っておらず、その手が地を這い、立ち上がろうとまでしていた。徐々に呼吸まで回復している。先端が欠けたらしく断面があらわの角に、青白い光が戻りつつあった。かすかに、ぼんやりと、光っていた。
「まだ、生きてるのか」
 着地していた波早はその生命力に驚きを隠せなかった。思わずのため息をどうにか飲み込む。ひび割れまで起こしたアスファルトにめり込み、内部が粉砕したはずの頭部を起き上がらせようと、モンスターは動き始めた。すでに頚椎を損傷しているのだろう、持ち上げられた頭部は傾いていた。折れた首。口腔から吹き出す血。痙攣している肩部。それでなお、喪失のない戦意。モンスターは、波早とりなを交互に睨み、唸り、吠えていた。真っ赤に裂けた口の中。溢れる血液。沸騰しているかのように混じるあぶく。切れてしまった舌の半分を噛み切って、折れた歯と共に吐き出して、またも、吠えた。その咆哮は敵対するそれぞれに二つずつ。先端の欠損した角が、それでも青く眩い光を明滅させていた。司令塔になるそれが生きている。すぐに、回復しようとするだろう。すでに色を喪っていた一つ眼は視力を回復させつつあるらしく、彷徨う眼球が標的を捉えて、再び、光を放ち始めていた。
「いまのうちらには、撃滅できひん」
 鳥谷りなはその確信に至っていた。このくそ猿。こんなに早く回復、再生してしまうんか。うちら人間とは、全然、違うものなんやな。
 わずか遠くに霞むモンスターは、その損傷箇所から湯気のような気体を吹き上がらせていた。折れて前腕の裂けた外皮の下に突き出していた骨はもう見受けられない。開閉しているうちに、噛み合わなくなっていた上顎と下顎も元に戻りつつある。どろりと溢れて空洞になっていた眼窩には、流れない血が溜まり、体液が掻き混ざり、その中央に新たな黒眼が生まれつつあった。発熱した部位から、どぅるり、どぅるり、と、粘着質な音が鳴る。超獣ギガは、高速で再生を果たしていた。
 間もなく、新たな個体として立つだろう。
 りながインカムにかみつく。
「隊長」
 聞いてるやろみんな。小日向さん。雪平。高崎。波早さん。それから。
「しゅりも聞こえてるやんな。いまのうちらじゃ、こいつはやっつけられん」
 すぐに回復してしまう。折れ曲がっていた指が元に戻り、長い爪の手のひらを広げていた。
「この悪ーいお猿さんは、檻の中に閉じ込めてやろうや」
 なあ、小日向さん。
「捕縛しよう。冥匣(めいごう)を使う」
 呼気を混じらせた波早の声が聞こえた。疲労を感じさせる。解放時間の限界は近い。吐く息のひとつひとつが大きい。上下する肩。拭われる間もなく垂れて細い顎から滴る汗。
「ふぐにいく。待っへへ」
 がさごそと雑音を混じらせて、応えたのは花岡しゅりだった。補給のおにぎりを咀嚼していた。飲み込む、ごくん、が全員に届いた。空になったペットボトルを握り潰す。
「文月隊長。みんな。あと少しだけ」
 時間ください。しゅりは並んでいた蓬莱ハルコと文月玄也の間を歩く。二人を越え、戦場の対岸を睨む。
「すぐに行くから」
 そこに立つすべての人に真新しい風が鳴って、やわな体は揺さぶられた。ふと振り返る。いまになれば、この戦闘が始まる前と、いまでは、まるで別の世界だ、まるで、別の視界に生きている気がした。過去を、未来を。私たちは刷新してゆくんだ。
「僕たちは負けない。あと少しだ。超獣ギガを捕縛する」
 文月の声に続いて。
「我々。内閣府直属国家治安維持機関、隠密機動部隊ケルベロス。状況を再開します」
 雪平は作戦のスタートを告げた。最終攻撃を開始する七名は、目視の効かないそれぞれの位置から、まぶたにチームメイトを描き、それぞれに拳で天を突いていた。
 光は聞こえる。どんなときも。

つづく。
artwork and words by billy.

冥匣(めいごう)
……ケルベロスが超獣の捕縛に使う巨大な鋼鉄の檻。正六面の立法体。地球の環境下では、ほとんど不死に近い超獣ギガは、この檻に捕縛される。
小日向が運転する特殊運搬車オーガスに積載され、そのときは、十字に展開されて固定している。拘束を解除すると自動でサイコロ型に収縮し、全面が扉として開閉する。
……冥匣に捕縛された超獣ギガは、月の裏側にある、大質量空間「奈落地区」へ運ばれることになる。なお、奈良地区へは、地球と月を往復している無人運搬船「星屑8号」の運用を前提に考えられている。

©️ビリー

☆ここまでの「超獣ギガ(仮)」
 そして、もちろん、主題歌は幾田りらさんのJUMPです。

#創作大賞2023


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ビリー
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