連載小説「超獣ギガ(仮)」#22
第二十二話「友達」
昭和九十九年十二月三十一日。大晦日。
神奈川県横須賀市。隠密機動部隊、その基地。
日中の最高気温が三度と予想され、その冬、最も冷えた、大晦日。各観測地点には、超獣ギガ(仮)が現れるときに発生する、現時点では謎に包まれた光体現象は観測されず、特有の熱源も記録されていなかった。指令室では各観測地点のリアルタイム情報がモニタリングされていたが、変動は見られず、待機中の面々も、どこか、静けさに包まれていた。
彼らによって、捕縛、後に、無人運搬船・星屑8号にて、月面の裏側にある大質量空間、奈落地区へ送られた、ケルベロスにとってのファーストコンタクトになった、超獣ギガ(仮)は、その個体コードをQUA、個体名をクアドラプスと改められ、今後、出現に合わせて、コードと通称を与えることとされた。複数種のモンスターが同時多発的に現れることを予期していたわけである。
冥府はそれが当然の摂理として起きるであろうことを予測していたのだ。
それは、やはり、文月にとっても同じだった。
流れて消えゆく、平穏、静謐。
その平和こそが満たされる日々の必要条件であることを、人はどこか忘れつつあるのかもしれない。平時には戦火を、戦時には平和を、どちらをも望んでしまうのは、人の愚かさなのか、あるいは、弱さか。
二つが同時に存在することなど、その歴史の上にもない。これからも起きえないだろう。
その年、最後の日。
ケルベロスは待機任務中だった。前回の出現とその戦闘以降、新たなモンスターの出現はどのタイミングに於いても否定的な見解にはならず、即座の行動も要求されるため、常時の待機になっていた。新たに加えられたヘリが、指揮司令車のミカヅキが、特殊運搬車輌のオーガスが、ありとあらゆる設備が、地下格納庫に揃えられていた。彼らはここから、全国、或いは、他国の領土に及んでも作戦行動が開始できるのだった。
しかし、それもこの日まで。新たな光体と熱源が監視されず、部隊員の休息も必要なため、この日をもって、待機任務は終了とし、三日間のお正月休暇が決定していた。
試験室には、改良された鋼鉄の棍棒、ブブ・ラゼル(旧金剛力ノ粉砕棒)のグリップを掴んでいる、波早風がいた。
「グリップを高圧縮ウレタンで包む仕様に変更した。指のかかりが良くなったはずだ。おそらく、かかる負担も少なくなる」
別室から小日向が見つめていた。歪曲せずに互いの部屋を伺うことができるが、その二人を分かつ強化アクリルガラスは、厚さが六十センチにも及ぶ。仮に波早が正気を失い、空間内で棍棒を振るうことがあっても、そう容易く粉砕はできない。
「それから。スラスターを二基追加した。スイングする際、圧縮ガスで高速化する。振り回されるなよ」
マイク越しの声。波早は、すぐ近くにいる同僚を時に遠く感じた。この空間は、この構造は、捕縛したモンスターを隔離した、鉄の監獄、冥匣と同じ思想によって建造されたような気がした。
まるで、俺たちは水族館や動物園の猛獣だ。暴走する可能性も考慮されている。
なあ、花岡。なあ、鳥谷。
俺たちがモンスター化する可能性すら考えられているんだよな。
この日、新調、改良され、ヘッドギアからマスクになった装備を手にする。顔の上半分、目と鼻は覆われて、そして額の左右に尖る突起。まるで、般若だ。まるで、鬼だ。
四百キロを超える鋼鉄の棒を、片手に持ち上げ、両手にして振り回すことが可能な、特殊な力を持ち、訓練された、自分という存在。正気を失えば、モンスター足りうるだろう。そして、冥府は、それを知って、俺たちを軍事に、兵器として使っている。連中は、おそらく、俺たちを制御下に置く方法も持っているのだろう。
冥府って、一体、何者なんだ。
彼らは、それを知らされはしない。
「なんか、これ、きつくなったんちゃうの」
「お尻のとこ、はち切れそうで怖い」
「よもやのサービスカットあるでこれ」
同時刻。
花岡しゅり、鳥谷りなの二名もやはり、別の機密室に於いて、新しくされたアサルトスーツの試着、運用データ採取に望んでいた。
二人はそのスーツを着た、お互いの前後を確認し合っていた。以前より仕様が細身になり、素材は厚みを増していた。そのぶん、窮屈に感じた。
ベースは男女同じだが、女性隊員用のスーツは、胸部に別色の切り替えが施され、体型がより強調されている、ように思えた。肩や肘関節のプロテクターには、横に二つのツノのような突起が加えられた。太腿の左右に、コンバットナイフとピストルが収納されている。
りなは思う。サブマシンガンでさえ、まるで役に立たなかった、超獣ギガ(仮)との戦闘。それを経て、この装備が追加されとる。他にも敵がおる、ゆうことやろ。ナイフとピストル。こんなやわな装備が有効やなんて、動物園におる獣くらいのものか、それともいっそ。
うちらと変わらんサイズなんかもしれんな。
「平気よ。よく似合ってるわ、二人共」
強化アクリルガラスの向こうにいるのは、伊尾たおりと、雪平ユキ。
「似合いたくないっちゅうねん」
「これ、見られるの恥ずかしいな」
鏡に映った、秘密工作員のその姿。よりSF的でもあり、よりスパルタンになった、その容貌。
「機動性や敏捷性を失わずに行動するためには、どうしても細身のつくりにはなるんです」
雪平は、しゅりやりなを慮る。チームメイトの二人が、どこか、見せ物のように見えてしまうことに気づいていた。
「手首のスイッチを」
マイクから伊尾が命じた。年齢や階級が少し上ではあるが、どこか、高圧的に聞こえる日がある。
しゅりとりなは、それぞれに、手首内側の薄く丸い、小さな赤に、円を赤いラインが象っている、それに人差し指を乗せた。指紋で認証され、そこから全身に配線された赤が、後頭部から首筋を張って肩へ、肩から肘、手首へと縫う線と、両胸から臍部へ、そこから膨らんで骨盤へ、それぞれの脚へと伸び、ぼんやりと光って、その光は血液のように流れてゆく。
「二人共。少し増えたんじゃない?」
モニタの数値を見つめながら、伊尾が笑う。しゅりとりなは、お互いの肢体を見比べた。伸びやかでしなやかな、細身。野生の黒豹を思わせた。
「花岡さんは五百グラム、鳥谷は八百八十の増加のようです」
先週のデータと照合して、雪平が続けた。
体温や血圧だけではなく、身長や体重などのバイタル情報も共有されるシステムだという。今後、隊員が増えた場合に、その識別を容易にするためだと聞いていた。
「おもちゃにされとる気分や」
「やだなー、これ。体重までバレるんだ」
「太れへんやんな」
早く。
早く、戦うことが終わればいい。そうすれば。
そうすれば、私はそのとき、どうすればいいのだろう。
ずっと、この日のために訓練を続けてきた。戦うために生まれてきたのかと錯覚するほどに。いや。きっと、そうなのだろう。超獣ギガ(仮)は、その出現が予見されていた。
よぎるのは、あの日の父の姿。
父は、あの日。
時間と空間を跳躍した。私を抱いて、超獣ギガ(仮)を連れて。何もない空洞だった、いつしか、私はそこで生まれたのだと思うようになっていた。記憶に前後の入れ替えが起きているのかもしれない。
混乱した私自身が記憶を改竄したのだろうか。それとも、誰かによって変更された箇所があるのか。
あの空洞。記憶している。
あの空洞。画像データを取得できないエリア。見上げると漆黒。どうやって、帰って来たのだろう。あれはきっと、月。
そうだ、あれは月なのだ。
その裏側にある、大質量空間。地球からの観測が不可能な、月の裏側。
そう、文月隊長が奈落と呼んでいた、捕縛したモンスターを送り込む場所。
人造の天体、月。
それを建造したという、先住民族。
あの日。
東京にモンスターが現れた、二十五年前の冬の日のこと。父は、きっと、私とよく似た、しかし、跳躍できる距離が大きな、神技を使ったのだ。そして。
どうして、父の記憶がそこで途切れているのだろう。思い出そうとするたびに、酷い頭痛に襲われた。
超人。進化を果たした人類。本当にそうなのだろうか。
恣意的に操作され、進化させられたのは、あのモンスターだけではないのかもしれない。
花岡しゅりは、アサルトスーツの黒い手で、左のこめかみを押さえていた。痛む。開いた口から涎が流れた。
「しゅり。どないしてん」
盟友がしゅりの身体を抱き寄せた。
文月玄也は、いつもと変わらぬ表情で、しゅりの様子を見つめていた。
彼は知っている。この世界の多くの人が知らない、この地球の正史について。それを語るには、人類はまだ、未熟なのだ。
なあ、花岡。天にも僕の声が聞こえるか。
やられたら、やり返すぞ。
やられる前にやってやるさ。誰に優先権があるか、なんて、そんなの僕たちには関係ない。
お前は。僕に、しゅりを託してくれたんだ。父娘二代で世話になる。彼女だけはなんとかするさ。君のところに行くのは、その後だ。
花岡しゅりは、僕たち人類の光だ。
彼らが生きる時代は、間もなく、昭和一〇〇年を迎える。
つづく。
artwork and words by billy.
to be next…