見出し画像

【ベトナム】はじまりの旅

私にとって、初めての海外旅行がベトナムだった。
異文化に衝撃を受けたとともに、これが「旅」にのめり込むスタート地点にもなった。

当時19歳の大学生だった私は探検部という部活に入っていて、この部では春休みに「春合宿」と称した海外旅行をするという活動がある。毎年行き先の国が変わるが、その年はベトナム縦断10日間。その時の私にとってはあまり馴染みのない未知の国だった。

計画した先輩によると、行きがホーチミン到着、帰りがハノイ出発という航空チケットしか取らず、ホーチミンからハノイまでの交通機関や宿は現地でなんとかする、とのこと。行き当たりばったりな旅に不安を抱えながらも、私は念願の海外へと旅立つことになった。

ようこそ暗黒の町へ

関西国際空港から出国して、ベトナムに入国したのは夜。ガイドブックの地図を頼りになんとかホーチミンの中心部まで行ったものの、道路の向こう側に行きたくてもバイクが多すぎて道が渡れない。そう、ベトナムはバイク天国だったのだ。さらに信号も見当たらない。お腹も空いてきた。10人ほどの部員全員が泊まれる宿もなかなか見つからない。むわっとした湿気を含んだ夜空に、バイクの音が騒々しく響いている。

「もう、帰りたい」

そう呟いたのは私だけじゃなかった。バイクの恐怖とゴールの見えない宿探しに疲れ果てて、何人かが弱音を吐いた。
なんでこんなところに来てしまったんだろう。暗いし怖いし。道を渡るだけでストレス。バイクに轢かれて死んでしまう。日本に帰りたい。でも帰りの飛行機のチケットは10日後。そんなの耐えられない。あぁ、暗黒の町だ。
そう思った。

悪印象で幕を開けたベトナム旅。
しかし、これが後に決して忘れられない旅となる。

南部・ホーチミン

人というのは不思議なもので、一晩寝ると気持ちが落ち着く。
夜は町のカオス具合に打ちのめされていたけれど、朝になってゲストハウスの外を見てみると、案外大丈夫かもしれない、という期待が胸をドキドキさせた。道には民族衣装のアオザイを着たお姉さんが歩いていたり、三角形の笠をかぶって歩いているおばちゃんとすれ違ったり。
ここは、日本とは違う。
外を見ているだけで楽しくて、気分はすっかり回復していた。

ベトナム滞在2日目は、ベンタイン市場で「チェー」という具沢山カキ氷のようなローカルスイーツを食べた。
市場のトイレに入る際、お金を払わなきゃいけないことには驚いた。さらに桶に水を汲んで自分で流さなきゃいけないことも衝撃だった。日本の当たり前は世界の当たり前ではないのだなと強く感じた瞬間だった。

その他、ホーチミン市人民委員会庁舎やサイゴン大聖堂を見に行ったりもした。どこへ行ってもブーゲンビリアが咲いていて、気持ちがなごむ。

当時はスマホもなくデジカメも持っていなかったので、インスタントカメラで撮影していた。そのため現像するまで確認できず、かなりの確率でピントがずれていたりぼやけているが、それもそれで味があると今では思う。

毎日のように米麺のフォーを食べていた。ベトナム語を話せない私たちに選択の余地はなく、いつもパクチーやミントなど数種類の香草が麺が見えなくなるほど盛られていた。最初は見分けがつかなかったのでとりあえず全部食べてみたが、ノコギリコリアンダーがカメムシの味がすると判明したので、だんだんと苦手な香草をよけながら食べる技術を身につけていった。

そして、だいぶ慣れてきてからは路上の屋台でニワトリの足を食べたりした。

中部・フエ

フエはベトナム中部にあり、かつては王朝があった町だという。ホーチミンからフエへは列車で移動した。

車窓からはのどかな田園風景が広がる。
途中、水牛も見かけた。

池のあるトゥドゥック帝廟。

カイディン帝廟の階段は荘厳さを感じる。

宮廷料理もいただいた。鳳凰をイメージして飾り切りされたニンジンに感動した。
フエはさすが"古都"というだけあって、ゆったりとした雰囲気を持つ町だった。

北部・ハノイ

フエから再び列車で北上し、ハノイへ向かった。
ハノイは美しいというか、整っているという印象の町だった。例えるなら、ホーチミンが商業のまち・大阪で、フエが歴史のまち・奈良、ハノイは行政のまち・東京、そんな感じ。
町の中心部には、大亀がいるという伝説のホアンキエム湖がある。

朝の風景。右手前には天秤のようにして荷物を運ぶ人が見える。

写真はないのだけれど、ハロン湾にも行った。
とても景色がきれいだったことが今でも忘れられない。またいつか訪れたいと思っている。
さらに、クルーズ船の中で真珠を押し売りするおばちゃんがいたことや、帰りのツアーバスの目の前でニワトリを積んだトラックが横転してしまったことも同様に忘れられない。この日はいろんな意味でとても思い出深い日になった。

お土産屋をぶらぶらするのも楽しかった。茶器がかわいくてほしかったが、割らずに持って帰る自信がなくて結局諦めた。

この頃にはだいぶ旅慣れてきていた。
夜の暗さにカオスを感じることもなくなったし、バイクがいても堂々と道を渡れるようになった。水圧の弱いシャワーでも大丈夫。
だからこそかもしれないが、油断をした。お腹を壊したのだ。おそらくスープで肉に火を通したフォーを食べたからだと思われる。まだ生肉だったのを食べたのだ、きっと。お腹を壊した日はゲッソリしながらベッドとトイレの往復に始終した。

そしてついに帰国の日。
自分でもびっくりしたのだが、とても名残惜しくて、もう少しここにいたくなった。もうすっかりベトナムが好きになっていた。いつか絶対また来よう、と心に決めた。

(2008年3月1日~10日)

それから14年後

ベトナムの旅から14年経った2022年、改めて振り返ってみようと思って写真をスキャンし、文章を綴った。
写真を見るまで忘れていたできごとも多々あったが、覚えている中でも書ききれていないエピソードがいくつかある。それほど私にとってベトナムを縦断した10日はディープで衝撃的な記憶として残っている。

こうやって初心に帰ってみると、これまでのいろんな旅があったから今の自分があるんだなと感じる。もう今では旅行会社を通して予約することはほぼなくなったし、飛行機も宿も自分で予約できる。英語でコミュニケーションがある程度は取れようになった。カメラも買った。それに文明の利器、スマホもある。ソフト面でもハード面でも良くなった。

そしてこれから先、自分の旅のスタイルがどう変わっていくか楽しみでもある。

読んでいただきありがとうございます。サポートしていただいたお金は「旅と食」のために使わせていただきます。いつもとは違う空の元、旅先で飲むコーヒー1杯分でもご支援いただけるととっても嬉しいです。