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ワークショップについて その一(和田)

こんにちは。鳥公園のアソシエイトアーティストの和田ながらです。
いま、ワークショップ「2020年に『2020』(作:西尾佳織)を飽きるほど読む」の参加者を募集しています(締切:7/7)。ワークショップの中身や応募方法は鳥公園のウェブサイトをご覧いただければわかるのですが、「どうしてこういうワークショップにしたのか」とか「そもそも『2020』ってどんな戯曲?」といったあたりの、ウェブサイトでは盛り込みきれなかったもろもろを、自分の整理がてらnoteに書いてみようと思いたちました。
まずは「どうしてこういうワークショップにしたのか」について、書きはじめてみます。

稽古場で俳優と一緒にテキストを「読む」作業は、わたしのクリエイションのスタート地点でもあり、また、プロセスの全体の中でもかなり大きなウェイトを占めています。演出プランも更地に等しいような段階で取り組む「読む」作業では、たとえばせりふまわしや間の作り方といった、上演に向かう表現の方途についてはあまり頓着しません。むしろなるべくいろんな予定をはぐらかしながら、とにかくしつこくくどくどと、逐語的にテキストにさわっていく。

俳優がテキストの音読を繰り返す。わたしはそれを聴く。ここで焦って勝算めいたものを見出してやろうとこわばっていると表面的な全景に気を取られてしまい、単語のひとつひとつが内側にはりめぐらせている微細なネットワークに気づけなくなるので注意。辛抱強く音読を反復していると、やがてテキスト固有の言葉の生態系をつかむ糸口が見えてくる。どんなにかすかでも、それさえ見えればしめたもの。その生態系に照らして、言葉を身体にインストールする仕方を、声にする作法を、時間の紡ぎ方を、試行錯誤しながら俳優とみちびきだしていくうちに、演劇が少しずつ形作られていく。

これは「現代詩手帖」2018年11月号に掲載していただいた「翻訳/移植」というエッセイの一部分です。テキストを扱う作品を作るときは、おおむねこういったステップを踏んで上演に向かっていきます。(ちなみに、同じ号に寄稿していた西尾さんがこのエッセイをきっかけに私を「鳥公園のアタマの中展2」(2019年3月)に誘ってくださったようです。)

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なので、「西尾さんの過去戯曲を使ったワークショップを考える」というお題に対して、自分の「テキストを読む作業を重視するクリエイション」と「2021年2月に『2020』を上演する」という計画がガッチャンコした「『2020』を読むワークショップをやる」というのは、素直にみちびきだされてきたアイディアでした。ワークショップの企画という宿題をクリアでき、かつ、ここで得られたことを『2020』の上演に繋げられるという、一挙両得!
(このワークショップは『2020』の公演におおいに影響を与えるに違いないので、参加者の方のお名前をクリエイション協力者として公演クレジットに記載させていただこうと考えています)

ちなみに、『2020』はわたしもまだ家で黙読しかしていないので、今回のワークショップの場で、参加者のみなさんと一緒に、初めて『2020』をガッツリ「読む」作業に取り組みます。わたしは演出家で、劇作家ではなく、もちろん西尾さんでもないので、『2020』のことをまだそんなに深く知りません。西尾さんが演出した上演も見ていません。ですので、『2020』のことを解説する、みたいなことはできません。『2020』のわからなさは参加者のみなさんとほぼ一緒です(上演を見たことがある参加者がいらっしゃれば、その人はわたしよりもかなり大きくリードしている)。
たぶんワークショップでは「なんじゃこりゃ、ここヤバい」とか「変なト書きだな!」とか「全然わからん」みたいなことを平気で言って、げらげらと笑ったりします。そして、「で、なんでこうなってるんだろう?」ということを、ほとんど脱線まがいの歩みで参加者のみなさんと一緒に考えていくことになります。ふだんのわたしの稽古のように。

続きます。
(記事ヘッダーと文中の写真は、『文字移植』という作品をつくったときの稽古の様子です。俳優が「なんじゃこりゃ」と思いながら(多分)読んでいます。)

★鳥公園ワークショップ参加者募集中!(締切:7/7)
詳細は⇒ https://www.bird-park.com/ws2020

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