リンゴジャーニー Vol.3〜ちょっと寄りみち
寄り道は潤い
実はこのリンゴジャーニー、2023年10月すでに某SNSに投稿し友達限定で公開していたのである。長文駄文にもかかわらず、多くの方に応援メッセージやコメントをいただいた。それが励みになり、また協力してくれた方へのお礼の気持ちも込めて今回Noteに綴ることにしたのだった。
今回のVol.3では、お友達からいただいたリンゴジャーニーにまつわる情報を紹介させていただきたい。
SNSへのコメント、個人的なメッセージ、写真など資料を添えてのメール、酒の肴としての話題、本当にいろんな形で面白がっていただいて、大きな励みになりました!改めてお礼申し上げます!
当時のジャマイカのレコードレーベルに関して
新しい音楽に対してライバル間で事件が起きるほどに貪欲で、北米へ買い付けに行くレーベルオーナーさんもいたんだそうです。
ジャマイカのレーベルオーナーである、Coxsone Dod(Studio One)、Duke Reid(Treasure Isle)やJustin Yap(Top Deck)がアメリカで仕入れたレコードの中に紛れ込んだRingo Oiwakeを誰かが気に入り、取り上げたというのが夢があるなぁ…と、F見さん。実際にCoxsone Dodさんの友達?がアメリカのレーベルSpecialityのレコードを手にする写真を共有してくださいました。
Jamaicaはつい最近まで著作権というものが存在していませんでした。よってこの曲のような背景を持ったカヴァー曲が自由な解釈で演奏、録音されていた歴史あり。…I原さん
当時のジャマイカのレーベルでは、とにかく新しい音楽を最高のサウンドシステムでプレイすることに躍起になり事件が起こったほどだ。…Acさん
たくさんのアーティストに愛されたリンゴ追分とRingo
戦後の大ヒット曲、美空ひばりさんのリンゴ追分に関するエピソードも残っていました。筆者が知らないだけで、ジャマイカのミュージシャンのみならずアメリカのブルースやジャズミュージシャンにも気に入られカヴァー演奏されていたようです。
Bobby Blandさん(アメリカブルース歌手)が進駐軍で日本に来たときにリンゴ追分を聴き痛く気に入って、日本公演でも歌っていたと『ニッポン人のブルース受容史』(日暮 泰文・高地明編著)に書かれています。…F見さん
もう少し詳しく紹介させていただくと、本書への福嶋岩雄さんからの寄稿に「1978年11月9日(木)中野サンプラザでのBobby Blandさんの東京公演でのこと、"I'll Take Care Of You"の終わりの方で突如たどたどしい日本語で「りんごの花びらは〜」というメロディーが出て、、、」と書かれています。Bobbyさんは1953年から1年半ほど北海道千歳の基地にいたそうで、そのときに気に入った日本の歌がリンゴ追分だったそう。
Nina Simoneさん(アメリカ歌手)『Little Girl Blue』(1959年)に収録の『Plain Gold Ring』がリンゴ追分にそっくりと語られてきた。…H房さん、T島さん
Nina Simoneさんの曲に関しては「語られてきた」だけあってネット上にも同様の話題を散見しました。
Yusef Lateefさん(アメリカジャズマルチ・リード奏者)も1963年にRingo Oiwakeのタイトルでレコーディングしています。これまで日本語で検索していましたがローマ字で検索することで見つけた情報。多言語検索、大事ですね。
そして、同じく1960年台にThe SkatalitesのメンバーTommy McCookさんはアメリカでジャズの修行をしていたんだそうです。もしかしたら、その間にRingo Oiwakeを聴きジャマイカへ持ち帰った(1962年初頭にジャマイカへ帰国)可能性も秘められていますね。(SKABADIPさん)…T島さん
Louis Armstrongさんが関わる有名なエピソードもあるようです
1964年の来日時、「Louis Armstrongさんが美空ひばりに会いたがっていたが会えなかった」というエピソードがある。…H房さん。確かに竹中労著『完本 美空ひばり』で紹介されているようだ(TAP the TOP様)。
美空ひばりさんに関しても調べてみました
参考にしたのは、美空ひばりさんの公式ウェブサイト(こちら)。
なんと1950年5月16日に川田晴久さん、母・喜美枝さんとともにハワイ巡業へ行っているのですね。ホノルル・シビック公会堂、マッキンレー・ハイスクール、カツナコア講堂とそれぞれの公演は大成功をおさめ、その後アメリカ本土にも渡り、ハリウッドではマーガレット・オブライエンと会い共演作に発展した、という歴史を持つそうです。
ハワイ巡業の際の写真はウェブ上で多く紹介されていましたが、ハワイのアーティストArthur Lymanらしき人物が一緒に映る写真はありませんでした。写っていたとしてもリンゴ追分リリースよりも前の巡業なので、Arthur Lymanがリンゴ追分をライブで聞いた可能性は極めて低い。が、美空ひばりさんに興味を持つきっかけにはなったはず。
ネタのようなおもしろエピソードも
スカ好きな友達はみんなこの日本語版の本を所有しているようで、数人からこのエピソードを共有していただいた。最初は「まっさか〜」と思ったけど、こんな偶然をきっかけに世界が拡がるのは自身もこのリンゴジャーニーで体験済みなので共感のエピソードなのだ。それにしてもこの時のGazの衝撃たるや!いつか機会があったらその時の想いを聞いてみたいな。…T志さん、S憲さん
実にいろんなエピソードがありました!筆者の知らないことだらけ。美空ひばりさんの関係者の方たちは、ファンの方のみならずこんなにも多くのアーティスト達に愛されていたということをご存知なのでしょうか。これらのエピソードから分かるように、時代を超えて語り継がれ、新たな息吹を吹き込まれ形を変えて演奏され、そして世代を超えた人とのつながりを生み出す音楽。音楽にはさまざまな魅力があって人それぞれ異なる想いがあって当然ですが、筆者にとっては世代も時代も言語も超えられるのが音楽の大きな魅力だな。いろんな情報や話題を共有してくださった方達、どうもありがとうございます!
これにて寄り道終了🍎