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センスが有る人は沢山いる。しかしスキルが有る人は少ない。

デザイナー養成の専門学校に行っても、卒業後に就職してデザイナーになり、そのままデザイナーになって自立出来る人はクラスに1人いるかいないかという程度。これは学校側が決して生徒には言ってくれない現実です。

クリエイターを目指して学校に来る子たちは、やはりセンスの面では秀でたものを持っている場合が多い。しかしセンスが持て囃されるのは10代〜せいぜいが20代中盤までなのです。

ですからデザイナーとして会社に入っても、数年程度で仕事の圧に耐えられなくなって消えてゆく事になります。そこで10年しごかれて耐えられた人は残って行きますが、生き残る為には、センスとは違ったベクトルで、ある種の才能が必要です。それは一体どのような才能なのでしょうか?


仕事と趣味の違いが解っていますか?

仕事としてやろうとすればお金儲けが絡んで来ますので、スピードとクオリティーを同時に求められます。これは学生時代にセンスで褒められていた人たちが最初に直面する困難となるのです。

デザイナーと言っても駆け出しの状態の人は、まだ仕事のスピードが遅く、山のような仕事を次から次にこなすよう指示を受けるうちに、昔のようなセンスのキレが無くなっている自覚を持つようになってしまいます。プロになると、いくつかの自分が得意なパターンだけを繰り返している訳には行かなくなり、習熟を必要とする自分が苦手とするパターンの仕事や、思考力を試される仕事も容赦なく上から降りてくるからです。そういう日々が続くうちに、若かった頃の自信も失せて自分の適性に疑問を持つようになり、多くの人が業界から消えてゆくのです。

ここで要領よく手早く、上司からOKが出るクオリティーの仕事を仕上げるスキルを身につけられた僅かな人が、デザイナーとして長く残ってゆけるようになります。

しかし多くの人にはそれが出来ません。それは何故でしょうか?


仕事においては時間当たりでどれだけ稼げるか?が問題になる

そこから次の段階にゆけるようになるために必要なのは、ひたすらに量をこなす事による習熟スキルの向上なのです。スポーツの基礎練習のように、ただひたすら繰り返し繰り返し、あり得ない量のノルマをこなしてゆくうちに、何も考えなくても手が勝手に動くようになる。これがプロになるスキルを獲得出来るようになりつつ有る段階なのです。

センスのある人がプロの仕事を見ると「これなら自分にも出来そうだ」と誤解する事は良く有ります。楽器やバンドの経験が有る人だと分かりやすいのですが、憧れの曲を一曲をマスターすると、自分がそのバンドのプロメンバーと入れ替わってスターになっている幻想を見たりします。あれと同じことなのかもしれません。
現実にはそれは「100曲の中の一曲を真似して弾けるようになっただけ」のことなのですが、それだけで自分も同じようにプロとして活動出来ると誤解してしまう訳です。
現実には、その他の99曲も完璧にマスターしなければなりませんし、それをどう売るかも考えなければなりませんし、そういったことをしつつ日々の生活やお金のこともクリアして行かねばなりません。それをなんとか全てクリアして、初めてプロミュージシャンとして食えて有名になってゆく訳です。しかし、どうしても人は他者のやったことをイージーに考えてしまいます。その仕事の本当の苦労は、やってみた事のある人にしか分かりませんから、ホンの一部でしか無い表面的な部分だけを見て、自分にも出来ると誤解してしまうんですね。

しかも、センスのある人は直感だけで褒められてきた事が多いため、コツコツ作業することで努力を積み上げてゆく事が苦手なケースが多いのです。ですから、人が積み上げてきたものがあまり見えていなかったりする事が良く有るのだと思います。

クリエイターに対するよく有る誤解

10代〜20代中盤までセンス主体で生きて来た人が、20代後半までに手の速さと仕事のクオリティーのバランススキルを確保すると、30代で独立してやってゆける一人前のデザイナーになります。その過程では、かなり体育会ノリの仕事圧が与えられますが、そこで必死に食らい付いて自分を高められた人が、デザイナーとして残ってゆける人なんです。

これもセンスのある子が苦手とする事なのですが、習熟してスキルを獲得するまでの間には、とことん失敗しまくって、ダメ出しを食らいまくって、それでもしがみついてゆく、すこし鈍感にも見える意志の強さが絶対に必要です。

モノ作りの仕事をやっていてよく誤解を受けるのは、優雅にマイペースにやる芸術家のイメージで見られてしまう事。世間はデザイナーを、好きな事をマイペースに楽しくやっているイメージで見ます。しかしそれは、かなり現実を知らない部外者の勝手なイメージに過ぎません。てか、そんな仕事だったら、もっと沢山デザイナーが身近にいる筈ですよね。だってノーリスクで楽しそうですし(笑

しかし現実には、10年経っても残っている人は、その仕事に必死に食らい付いて、手が勝手に動くようになるまでの荒業に耐えられた人だけなんです。

ここまで来るのに必要になる才能とは、

「誰かに教えられなくても自分で考えて工夫し続ける能力」

です。

いや、上司はちょっとしたコツやヒントぐらいは口に出してくれるでしょう。
しかし仕事の現場では手取り足取りは有りませんから、そのコツやヒントをしっかり頭に入れ、よく考えながら消化して手を動かしつつ、どうすればもっと良い仕事になるか?常に向上心を持って工夫出来た人は残ってゆくのです。

しかし本当にそれが出来る人が大変に少ない。それはこれが、学校の勉強では評価しずらい、本物の思考力の世界だからです。

それがなんとか出来てしまうのが、前述の学校のクラスに1人居るか居ないかの希少なレベルだったりするのです。
だから、たとえ専門の学校や大学に行っても、プロのデザイナーになれる人には希少価値が有るという事になります。

多くの人が引っかかる甘い罠には引っ掛からず、一見全く隙間など見えない絶望的に見える場所に、僅かな光を見つけ、そこを強引にこじ開けて通過してしまった人。それが希少価値の有る、プロのデザイナーという人種なのです。


最後の最後の意地を持っていますか?

最終的に、そこにたどり着けるために何が大切なのか?

実はスポ根的な「最後の最後の意地」が一番大事だったりします。

要するに「自分はこれしか出来ないし、これが無かったら生きてゆく事は出来ない。」という自らの生命をかけた覚悟のようなものが有るかどうか?
我々のようにタトゥースタジオをやっている場合には、生命をかけた覚悟がない者が、人の肌に消えない絵を描く事が許されて良い筈が有りません。

彫師という仕事が表に出てくる時代になると、ただ表面的なものだけを見てミーハー的な気持ちでやってみたい気分になる人が増えているように見える昨今になっておりますが、どうか今一度、そこで良く考えてみていただきたいのです。それで何十年も喰ってゆくことって、表面的な演出でカッコ付けるだけの虚栄心じゃ通用しない、ただ腕で冷徹に評価を下される一発真剣勝負の世界なのですから。

もしもマシンを持った時のプレッシャーに耐えられないのなら、それはまだまだ、あなたが本気ではないということです。
「どんな事があっても、意地でも、この仕事をモノにして喰ってゆけるようになってやる!」という、最後の最後の意地が、あなたの中には、まだないということです。


通用するデザイナーの育成は一筋縄でゆかない

当店のお客様の経営者が自前のデザイナーを養成しようとし、僅か3ヶ月で失敗を宣言されたケースが有りました。
経営者からすれば作ったものが形にならずお金にもならないのに毎月の給与だけが出てゆくのですから、それはイライラしてしまった事でしょう。物凄く気の強い社長さんのことですから、最後は虐めて追い出したと笑っておっしゃっておられましたが、おそらく彼は自前のデザイナーを育てることがもっと簡単な事だと思ったのでしょう。

彼が話しの最後にポツリと言った事が大変に印象的でした。

「実際にはなかなか居ないもんですねえ。」と。

我々にしてみれば「当たり前でしょ。だってそんなに簡単な事じゃないから。」という感覚なのですが、たぶんデザイン業界を知らない人からすると、イージーな事に見えてしまうんだろうなと思いました。

だから言ってるんですよ。

クラスで1人居るか居ないかの、ちょっとした奇跡の末の生き残りなんですって。勉学の世界でも居たでしょう?そういう子がクラスに1人だけ。

でもちょっとセンスのある子はクラスに何人も居たでしょう?

デザイナーになれる子って、そこから抽出されて、さらに数々の試練を受けて運良く生き延びたサバイバーなんですよ。だから希少価値が有るんです。

それがよくわからない人達に大変に軽ーく見られてる感じがしつつ、わずかにおられる、こちらの仕事ぶりに驚きと賞賛を下さるお客様からパワーを頂き、本日もひたすら戦い抜く日々です。気楽に楽しんでいるように見せつつ、実際には毎回毎回が真剣勝負の戦いの日々です。

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