現代におけるタトゥーの意味と効用について
実はタトゥーにも意味や効用が有るのですが、全く関心の無い方や嫌いな方にとって、それは大変にイメージしにくいもののようです。
最近になってタトゥーを入れ始めている方々は至極常識的な社会人が99.999%以上。全くの部外者たちにとっては「ただのカッコつけ」にしか見えない(カッコつけと認識しているということは、実はカッコいいって認めているようなモノなのですが....)のでしょうが、実はタトゥーには実利的な効果や意味が有るんです。
以下は最近、お客様からいただいたお手紙です。我々彫師はこのようなお手紙をお客様からいただく事が大変に多いのですが、その一例として掲載させていただきます。
好きな絵柄のタトゥーを入れて、自分を愛せるようになったというお手紙です。
よく考えていただきたいのですが、実利的な意味や効果がなければ、辛い痛み=生みの苦しみを乗り越え、こんなに多くの方がタトゥーを入れると思いますか?
ちなみに女性の場合には、服で隠れて見えない位置に自己満足で入れている方の方が圧倒的に多いのですから、前述のカッコつけにも全く当てはまらないケースの方が8割〜9割以上の状況です。
当店のお客様には医師、歯科医師、薬剤師、獣医師などの理系難関資格を持っておられる方々や医大生も沢山おられます。
タトゥーを下衆に見て批判している方が多いようですが、彼らは平均的な日本人よりもはるかに知的で論理性が有ります。その彼らでも、非合理的な苦痛を乗り越えてタトゥーを入れるのですから、ただのカッコつけだけである訳がないのです。
彼らなりに、苦難の向こうに有る何か自分の人生にプラスになるものを求めてタトゥーを入れているはずなのです。
これは日本国憲法で保障された国民の権利である”信教の自由”にも強く関係がある事柄なので、本日はここを深く掘り下げて解説させていただきますね。
いきなり核心に入りますが、タトゥーって、ようは”アニミズム”なんです。
”アニミズム”とは宗教用語なのですが、コトバンクによると以下の通りです。
【アニミズム】
ラテン語の「気息」とか「霊魂」を意味するアニマanimaに由来する語で、さまざまな霊的存在spiritual beingsへの信仰をいう。霊的存在とは、神霊、精霊、霊魂、生霊、死霊、祖霊、妖精(ようせい)、妖怪などを意味する。
アニミズムは、人間の霊魂に類似する実体を、人間以外の諸存在にも認めようとする営為である。 一般にアニミズムは原始社会や原始宗教の特質であり、現代社会や文明宗教においては、その意義や機能を失うかのように考えられてきた。 しかし現代の諸宗教において、霊魂や死霊、祖霊など霊的存在と無関係の宗教はない。
ここで「アニミズムは、人間の霊魂に類似する実体を、人間以外の諸存在にも認めようとする営為」と書かれていますが、ようするに噛み砕いて言えば、
『人以外のものに対しても、それが人であるかのようにみなして、そこにスピリット(魂・生命)を感じる』ということです。
その次には
一般にアニミズムは原始社会や原始宗教の特質であり、現代社会や文明宗教においては、その意義や機能を失うかのように考えられてきた。 しかし現代の諸宗教において、霊魂や死霊、祖霊など霊的存在と無関係の宗教はない。
と書かれていますが、これはようするに、”アニミズムは現代においては、既に時代遅れで用済みな原始宗教”とみなされていたと言うことです。
ここからは10年以上に渡ってタトゥーをお客様に彫り続けてきた現場の実感になります。
お客様は自分の好きなアイテムをタトゥー化すると、そこに「ご自身の神」を感じておられるように見受けるのです。
たとえば文字を入れた方は、その言葉に「神」を感じているし、何かのアイテムを入れた方は、そのアイテムに「神」を感じています。
神と言っても崇めたり拝んだりするような神ではなく、常に自分にそっと寄り添ってくれる穏やかな神様のようです。
辛い時や苦しい時には、その神様をみながら瞑想(精神統一)すると、気分が軽くなってパワーが湧いてくる。そんな存在としてタトゥーが利用されているようなのです。
無宗教の時代と言われるようになって久しい状況ですけれども、やはり人は常に側に信じられるものが共に居ないと、精神的にキツくなってしまうものなのかなと感じています。SNSやスマホが発達して世界中の誰とでも気軽に連絡を取り合えるようになった現代においても、多くの人は孤独や不安を感じて生きているということなのだと思います。
自分自身の精神力は目に見えるものではなく、そもそも無形の概念に過ぎないので、なかなかそれを根拠にして元気を出す事が出来なくなる時があります。
でもタトゥーは信じるものや好きなものをグラフィックデザインというもので具体的に形状化したものですので、常に目で確認する事が出来るんですね。
これもお客様皆さんが良くおっしゃる事なのですが、信じるアイテムや好きなアイテムを肌に彫り込むと、その神的存在と常に共に生きているような幸福感が得られるようなんです。何故か心強くなって、生きる事に対する虚しさや寂しさが薄れ、力が湧いてくる。
男性にとってはカッコいいものや、強いもの、不思議なもの、美しいもの、友や富を象徴するもの。
女性にとっては可愛いものや、美しいもの、優雅なものが、その神に相当するもので有る事が多いのです。
タトゥーを神とみなす、この世界では、逆に恐ろしいものや怪奇的なものを入れる方もおられます。こういった本来ネガディブなものには、古代から魔を避ける効果が有ると信じられている国や地域が世界中にあります。これはきっと「毒には毒をもって制する」という感じのイメージなのだと思います。
よく考えてみると、これこそが原始時代に人間が全てのモノの中に「神」を見出した原理そのものなんです。これはようするに、アイヌなどの先住民のアニミズムと本質的に全く同じなんですね。
当店では常日頃から、お客様それぞれの注文に応じた神さまを作る仕事だと思って取り組んでいます。
私たちは言ってみれば、タトゥーガイドみたいな存在ですね。これが神社であれば、巫女さんのような存在で有ると言えるでしょう。
さまざまなタトゥーに限らず、様々なデザインパターンを常日頃から勉強し続け、その方にとっての神を一緒に探しながら具体的なデザインとしてご案内する仕事だと思っています。
そして戦後の日本人こそ、まさに歯止めが掛からなくなる程、タトゥーが流行る要素を持っている気がします。人に何かを強制し、トップ周辺の幹部が受益するピラミッド型の組織宗教だらけになって、それに幻滅している人が多数派だからです。
だからといって、何も信じるものが無いのも何か不安になってしまう。論理性や合理性だけでいくら考えてみても、絶望しか感じられない時だってある。自分を信じろと言っても、自信が感じられない人の方が多いはずでしょう。
この状態で生きていると何か空虚に感じてしまう。だから何か目に見える形で自分を勇気付けてくれるものが欲しくなる。人は「形とか意味を欲しがる動物」なのだと思います。
この宗教では難しいことは何も必要がないんです。
この神はその人が、その人らしく生きる事を肯定してくれる神です。
組織に入って意に沿わないことを強制されることも有りません。
本当に気に入った良いタトゥーを入れると、人は生きることに対するモチベーションが明らかに上がるんです。
つまり国境や民族を超えインターネットが伝搬する、新しい宗教が現代のタトゥーカルチャーで有ると言える状況なのです。
この宗教で勉強の必要があるとしたら、それは「自分が何を好きなのか知る」事ぐらいでしょう。人間は自分が何が好きなのか、あたらめて時間をかけ良く考えてみないとわからなかったりするものなんです。
でも人が良い人生を過ごすためには、「自分は何が好きなのか?」というシンプルなようで難しい大命題について、よく考え抜く必要が有るんです。それが人生の選択に大きな影響を与えてゆくからです。
この部分については、決して周囲に流されていてはいけません。自分は周囲の人とは違います。まずは自分は自分という独立心を持って、周囲とは切り離してよく考えるべき問題なのです。じっくりと時間をかけて決して妥協せず、自分が好きなこと、憧れ、願望、夢、希望などを詰め込んだタトゥーのデザインを彫師と共に練り上げる必要が有るのです。
タトゥーで後悔するパターン(リンク先動画)は、衝動的に、あまり吟味せずに入れてしまったケースなんです。これは最悪のパターン。よく見てみたら気に入らないものが何十年も自分の身体にあるのですから、自己肯定感も下がってしまい気分が悪い。それに加えてタトゥー自体が批判の対象にもなりえるのですから、余計に立場が無くなるのです。
タトゥーでポジティブな結果を出すために絶対に必須なのは、何十年も共に過ごせるお気に入りのデザインを確実に自分で掴んでおく必要が有ると言うこと。そこに時間や労力をかけずに衝動で入れてしまった場合に不幸な結果となってしまうんです。
好きなアイテムやデザインをイメージする事の他には、「痛み」という通過儀礼が必須ですね。タトゥー嫌いな方の発言には、何故かいつもこの「痛み」というファクターが抜けています。痛みを乗り越える修行のような過程を経なければ手に入らないという視点がすっぽりと抜け落ちていることが多いのです。
でも人生のここぞという場面では、やはり根性で切り抜ける場面も多いですから、タトゥーに伴う「痛み」だって、これも自分に自信を付けるための試練、精神修行、通過儀礼の一種だと思って、頑張る必要があるでしょう。痛みがあるからこそ、タトゥーに対する願掛けにも、その人なりの意味付けが強化されてゆくのです。
この痛みがあるからこそ、ただのファッションであるシールやジャグアタトゥーとは違ったレベルの精神的なものになり得るのです。楽に手に入れたものは、それなりの価値しかない事がほとんどなのです。
最終的に全身をタトゥーで埋め尽くすと、気がついたら自分自身が神になってるお客様もいます。全身に彫り込む厳しい痛みに耐える修行を乗り越えると、やがてその人自身が「生ける神」になってしまうんです。
激戦を潜り抜けた有名プロスポーツ選手たちの中には、全身がタトゥーで埋め尽くされている「酋長」クラスのカリスマプレイヤーが居ます。
人々は彼らのことを「神」と称しますよね。まさにあの世界がタトゥー好きにとっての最終的なゴールなのです。
デイビット・ベッカム
ズラタン・イブラヒモビッチ
全身をタトゥーで埋め尽くしながらも、この社会で生き抜いてゆけると言うことは、その方がその方なりの手段を確立して居なければ不可能な事です。この手段を得ることは決して容易なこととは言えず、かなりハードルの高い事であると言えます。ハードルの高いことを成し得た人は、それがどんなジャンルのことでさえも、やはり「神」なんですよね。
マオリ族の酋長クラスが入れていた顔面タトゥー
全身トライバルタトゥーで有名な精神科医の遠迫先生をみていると、タトゥー好きな人間からみて、まさに「神」に近い存在に見えます。
汝はいかにして“縄文族”になりしや──《JOMON TRIBE》外伝 ❷| 「タトゥーとは死のアートなんです」|精神科医・遠迫憲英
いや、現代のタトゥーには、ホワイトタトゥーやブラックライトインクタトゥーもあり、手首など人目につきやすい部位に入れたとしても他人から見てまず気がつかれることが無かったりするものも出てきています。
そのうちに人知れずホワイトタトゥーを全身に入れ続けた女性の中から、「隠れ神」になった方があらわれる時代がやってくるのかもしれませんね。
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