セブンルーム 月・金星・海王星 合 スコーピオンの暴走
生まれた時、西洋占星術で第7室が蠍座。そんでもって月と金星と海王星が「合」となっている。月と金星・月と海王星・金星と海王星と、一つ一つ見ると、全部「美的センスが高い」とでる。は耽美性に官能性が入り交じる状況だという。でも詳細なことはわからない。ただ言えることはちょっとのことで傷ついたり、詩や音楽や美術になじめば生きている意義を見いだせるのだという。
なるほどこのコロナ禍でも、一日美術館巡りしたいと、強く思っている。絵を見て「素晴らしい」とは思わない。むしろその絵の中にあるドラマに飛び込んで、彼らの言葉を聞く。
例えば9日間の女王と呼ばれた レディー・ジェーン・グレイの処刑を描いた作品がある。男たちは土のにおいがするような黒い服を着て、悲しむもの、指名を果たすために無機的な表情をするものと様々な表情をしている。その中にふくよかな真っ白いジェーン・グレイがいる。まるで鬼さんこちらの遊びをするかのように。だがこの白とジェーン・グレイの間には絶対的な端麗な美しさが存在する。
私は絵の中の出来事に糾弾はしない。ジェーン・グレイの言葉ではなく、明日も生きるであろう人間の心臓の鼓動を聞く。裁量はまぎれもない確定された未来であり、血しぶきが飛び散り執行完了し、過去の出来事と処理された直後、私はそこにいる人間の言葉に耳を傾ける。悲しみ叫べばそれは詩であり、「やれやれ疲れた」と言えば道徳と殺人の間に新たなる哲学が生まれる。事実を日記に記せば伝記になり、恨みのリズムでこの地獄を語れば、シンフォニーになる。
現実世界に戻ると「そんなヘンテコ妄想を抱いているから駄目駄目人間なんだ!!」と責めてしまう。でも見るとそういう物語を紡ごうとしてしまうのだ。たとえそれが江戸時代につくられたが一円にも満たない古い茶器であっても、手垢を見て、名もなき人たちが茶を楽しんだコミュニティーを、彼らの声が聞こえそうなのだ。「これがお茶か。」「こういうのをお武家様は飲んでいるのか。」「ありがたや、ありがたや」とね。
誰々が作ったということが問題にはならない。物語ができるのならば、それは価値あるものとみなす。プライスの問題ではなく。イマジンの問題なのである。こんな座相だからなのか。
※お願い! どなたかこの惑星の意味を教えてください!
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