平成不況と吉右衛門の「鬼平」

中村吉右衛門の訃報が入り、急いで自分なりに温めていた考えを公表しようとnoteに向き合った。

「鬼平犯科帳」は吉右衛門の父松本白鸚(当時:松本幸四郎)がスタートではなかったかと思う。初代は警察として任務を全うせんとする姿が印象的で、近寄りがたいものがあった。その後息子の現2代目松本白鸚、丹波哲郎、萬屋錦之助とくるのだが、やはり火付盗賊改の「頭(かしら)」としての威厳さが目立つ。これもこれでいいのだが時代劇という架空の中でのお話という域にどうしてもとどまる。

しかし中村吉右衛門の「長谷川平蔵」だけは違う。

人情味があり、洒落がある。長谷川平蔵の先天的な洞察力が光っていた。そして決定的な違いは「部下を愛おしむ気持ち」と「人を信じる強さ」があったことだ。

それを強く印象づけた回がある。

火付け盗賊改に情報を採集していた元盗賊の密偵たちが、盗賊時代を懐かしみ実行に移した。結果は案の定、長谷川平蔵のお縄を頂戴することとなったが、すぐに平蔵は不問に付した。その後平蔵が昼の心地よい風を受けながら船に乗っているのを、岸の葦やぶの中から無罪放免になった密偵たちが、こっそり覗き見をし「さすがはおかしらだ」と笑いながら平蔵の寛容さを褒めた。ところが脇にいた平蔵の部下が「もしもこの件がばれたら、腹を切ることを覚悟していたのだぞ!」と烈火のごとく彼らを叱り飛ばすと、密偵たちはまるで神様でも拝むかのように、平蔵をじっと見つめた。そんなことを知ってか知らぬか、平蔵はうららかな青空を眺めてエンディングとなった。

中村吉右衛門の「鬼平犯科帳」がスタートした日本社会は、バブル全盛期であった。ところが約7年後不況のどん底へと傾斜し、デフレ不況が続いた。失業者が増加し、ブルーシートでホームレス生活を送ることも、職がなければ当たり前の時代であった。錬金術に奔走した日本株式会社の体制はほぼ完全崩壊し、会社の生き残りのために解雇された人間は、何を信じて生きていけばいいのかわからなかった。彼らの中で吉右衛門の長谷川平蔵から、部下への際限ない信頼と愛情を感じ「これが求めていたリーダー」と思った人は多かったのではないだろうか。

社長室のないベンチャー企業の最高責任者や、「社長といえども社員の一人」とする社長は、不況の中を仲間とともに乗り切った。もちろん全部が全部成功したわけではない。しかし確かなのは社長室に閉じこもって偉そうにすることが社長だという考えは、昔話となってしまったことだ。

吉右衛門の「鬼平犯科帳」は、一話一話秀逸な作品である。ただそれよりかは、21世紀に求められるリーダー像に影響を与えた方が大きかったと思う。それを証拠に求められるリーダー像として中村吉右衛門が入ったことがある。

笠を被って川船に乗り、煙管に詰めた葉を燻らしながら、笑って遠くを見つめている吉右衛門の長谷川平蔵。おそらく彼はこういうだろう。

「明日どうなるかはわかりゃしねぇ。分かっていることは俺は家族や部下たちに支えられていることだけさ。だから明日をおそれることはねぇんだ。」

とね。

中村吉右衛門殿。私はあなたから「粋」というのを学ばせてもらいました。ありがとうございました。


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