入院13日目 10/14

眠剤服用。しばらく何も起こらないので効くんかいなと思ってたらいつの間にか寝てた。起き抜けのぼーっとした頭でなぜか、そういや家にコーレーグースあったな何に使おう、とか考えてたら点灯時間に。

もう入院生活も終盤に差し掛かると、完全に無音で放屁できる方法も編み出した。気になる方は直接訊ねてみてください、実演します。

7:40朝食。

朝食後また寝る。ステロイドの効果大を期待してじっとする、自分が空になるイメージで…。ちなみに入院生活での大きなタスクって1日1回のステロイド点滴だけなので、暇な日は暇。

起きて窓から外の景色を見る。病院がすぐ近所なので、駅に行く時通る道など、よく見慣れた景色が見える。すぐそこに知ってる景色があるのに届かない感じ、サイレントヒルの裏世界みたいと思った。そういえばサイレントヒル2のリメイク出たけどどうなんでしょうか。

回診。例の厄介な隣人が看護師さんと話しているのを聞くと、奥さんが痴呆になったところでの入院だったらしく心配だとのこと。なんかイビキも許せそうになるし、人の印象って曖昧なもんやな〜。だからこそ最初どう思おうがとりあえず「他人に優しく」しとけっていわれんのかも。

「他人に優しく」ってなんなんか。
人と人が生きる上で効率を求めると、優しさなど曖昧なものに頼らず、お互いの行動に国境のような冷たく絶対的な線を引けばいい。「こっちからこっち俺の陣地な」と言ってしまう方が楽でいい。だがそれが先鋭化すると「生命・医学・信仰」で危惧されてたような「人間機械論」に至り、祖父のことのように最適だが飲み込めないことも起こる。だからこそ利害や効率をこえたいわば「意味がない」緩衝地帯としての優しさが必要なんじゃないか。
そしてその優しさを担保しているのが、同じく「意味がない」芸術などの文化活動だと考えている。意味がないものを認めることで、優しさという曖昧なものの存在意義も浮かび上がる。そういう意味では、世の中のあらゆる意味がないものには優しさが潜在化していると思う。効率が何より求められる現代では、(上がり続ける防衛費とは違い)文化予算のような意味がないものが取捨選択されるのと同時に、優しさも一緒に淘汰されているように感じる。

反対の気分ももちろんある。子ども乗せてる癖に信号無視する電動ママチャリとか、玄関先に干してた俺のサロモンの靴パクる奴とか、有名人と対バンする時だけライブ見に来て知り合いヅラする奴とか、優しさが大切と思ってもダルい奴はダルい。
入院生活を経るにつれ、消灯後に部屋で大声で電話する奴いたり、エレベーター乗り損ねて大きな音で「ちっ!」と舌打ちする奴いたり、トイレの大の方流さん奴いたり、外では往々にしてある「なんやねん…」的な出来事を、院内で徐々に目の当たりにしてきて、忘れていた外での生活のノリを思い出してきた。
内省的な生活で自分の気持ちがクリアになってるからこそ、外の生活に戻った時の自分がどうなるのか少し怖い。

院内機器点検のため、廊下にクラシック音楽が流れ始める。
前に住んでた大国町のアパート、建物内の廊下の天井にスピーカーが設置してあり、ずっと有線が流れてたな。隣人が廊下でスケートしていたり、「⚪︎⚪︎号室の〜さん、ゴミの日間違えてますよ!」という大家による注意の放送が流れたり、そういえばめちゃくちゃやった。

9:50点滴。体を真一文字にして横になり、ステロイドをあますことなく摂取。

その後主治医の先生が来て話をする。眠剤は依存性のあるものではないので、寝れたなら飲んだ方がいいということになり、退院までいただくことになる。そして明日の、最後の聴力検査の話。回復しているとは思うが、果たしてどうなのか…。

点滴終了後、入浴。

12:10昼食。すき焼き風煮、初めての牛肉で元気出た。

13:50昼寝。

16:00頃hopkenこと杉本くんがお見舞いに来てくれる。この歳になると頑張るとかじゃなくて、なるべく自分を磨耗から守りながら生きる術を見つけるに尽きる、みたいなおじさんサバイブ話。生きるぞ…。

病室に戻る際、窓から綺麗な夕陽が見えた。それを後ろ手にずっと見つめているおじいさんがいて、杉本くんとの会話もあってか、人間として凄く真っ当で、羨ましい行為に思えた。

18:10夕食。赤魚の塩焼き。
今頃は神戸でneco眠るが2回目の俺抜き編成でのライブを行っている。盛り上がってるかな〜。

夕食後、退院したら「何もしない」ことも出来なくなると思い、ただぼーっとする。ステロイドの副作用でお腹が空いてきた。

消灯前、斜向かいのおじいさんが寝言で誰かと会話しながら爆笑しだしてビビる。

22:10消灯。眠剤を飲む。

入院当初は先のことの不安しかなかったが、改善の兆しが見られる今、外の生活へのチューニングがじわじわ進んでるように思う。
難聴を治す入院生活、それの副次効果として現れた自分を見つめ直す時間。難聴のみならず、明らかに自分自身そのものの治療になっていることに気づいた。ぼちぼちそれらが終わろうとしている。

退院まであと2日、明日は最後の聴力検査。退院後の処置も明日決まるんだろう、どうなるんやろか。

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