退院 10/16
夜中、勝手に徘徊しようとするおじいさんに看護師さん達が手を焼いている。歩けないのにトイレ行こうとするので、看護師さんが手を貸そうとすると「離せーこらー」とか喚いていて、話も通じていない。twitterで見た「本当の弱者は救いたい形をしていない」という言葉を思い出す。なぜか申し訳ない気持ちとともに耳栓をした。
いつの間にか寝てて、起きたら2:30、ショートスリーパー過ぎる。
夢を見た。森の中を歩いていて、途中に無人小屋が何軒かあり、着けっぱなしの電気を小屋に入り順に消していくと言った内容で、最後に入った小屋には祖母がいた。大学の時、食堂で無料で配ってる漬物で飢えを凌ぐくらい極貧で、金もないのでやることなく、近所の森をよく散歩していた。その森に似てた。
6:00点灯。耳栓を取ったら、夜中のおじいさんが管を取ってほしいのか「はずせー」とまだ大声で喚いている。祖父と一緒だ。対応してくれている看護師さん達には頭が上がらない…。俺の親類でもなんでもないんやけど、ありがとうございます。
今日は退院日のため、点滴がいつもより早く始まる。
7:10最後のステロイド点滴終了。ずっと腕から生えてたチューブを取ってもらう。一気に真人間になった気分、やっぱチューブって病人感掻き立てられるな。
7:30朝食。最後にまたケチャップライスを作る。
朝食後、休憩スペースで外の景色を眺める。写真を撮ってると「よう撮れてるか?」と知らんおじいさんに話しかけられる。その人は肺がんらしく、運び込まれた経緯とかを聞く。初めて他の患者さんと喋り、気分の風通しがよくなった。
体重計ったら2週間で3キロ痩せてた。
9:20退院前の診察で外来から呼び出し。3週間後にまた検査あるので様子見ていきましょうとのこと。主治医の先生にもおせわになりました。ありがとうございます。
その後病室にて支払い案内を受け取り、一階に降りて支払う。また病室戻り、薬の受け取りやら退院後の生活の説明など。
そして病棟を出る。何人か顔を覚えてくれてはる看護師さんが「お疲れ様でした」と声をかけてくれた。こちらこそです。まじでお世話になりました。
2週間ぶりに病院の外に出る。もっと寒くなってると思ったけど、普通に暑い。浦島太郎感皆無。世界が輝いて見える、とかは無く、ツインピークスにて現世に戻ったクーパー捜査官のように、ただただ呆けてしまった。よろよろと歩き出す。
家に帰る前に病院隣の公園に立ち寄り、この文章を書いている。
当初、耳どないなんねんの不安と戦い、暇をどうさばいていくか、みたいな入院生活になると思っていたが、不意にもっともっと深い自省の時間を過ごすこととなった。
暇からくる自省と難聴の不安により、自分の中の、表現について、エゴについてなど、普段掘り起こさずに放っておいてる部分も再評価し、その過程で芋蔓式に自分の過去がズルっと引っ張り上げられたりもした。隠していた自分の矛盾も自ら掬い上げてしまった。
聴力を落とした先は自分という深い井戸であって、その底までロープを垂らして、自ら拾いに行き、また戻ってきたような感じ。聴力を探していたけど、知らぬ間に自分のかけらも拾っていたみたいな。
月並みやけど、長いようで短い日々だった。東日本大震災以前の生活のノリがもう思い出せないような感じに近く、入院以前と以後では明らかに断絶がある。
当初お見舞いのご連絡を沢山いただいたのも正直びっくりした。村の外れに住む醜い怪物の気分だったのに、こんなにも色んな方々に未だ気にかけてもらえてると知れたのは、本当に嬉しかったし、励みになった。それも自分のヤマアラシ具合が過ぎていただけやろな。病院にお見舞い来てくれた方々にも凄く元気をいただきました。皆本当にありがとう。
何か成し遂げたと思えたことは一つも無い。その先にすがるべき神がいるかも分からないのに、ただ霧の中を五体投地で歩み、その祈りがもはや誰のためかも忘れていた。苦難は全て天命である、という考え方に手放しで賛成はできないけど、ひと休みしたことで、汚れていた自分の姿と、これから進むべきところが、ぼんやり見えた気がする。
難聴になって良かったと思った。
蚊が湧いてきたしそろそろ家に帰ります。
終わり