入院5日目 10/06

5:20、あまり寝れず目が覚める。なぜか昨日夜中からジュディマリが頭の中で流れている。
ジュディマリといえば、高校の時カジカジの表紙にもなった憧れの女子の先輩が文化祭でコピバンやってたな。鼻水を垂らしたBIO少年は、その先輩の影響で当時アメ村にあったオシャレ古着屋DOGに行くも、緊張し過ぎて紫とオレンジの激細ボーダーのピチピチとっくりセーターを訳も分からず買ってしまう。
自分が文化祭に出演した時はドラムで、氣志團とオレンジレンジとバンプをやった。当時高校生にしては上手い方だったので、今よりチヤホヤされていた。
しかし全盛期はもっと以前にもあった。保育園の参観の時、回文を発表することになり、自分は当時よく流れていた海苔メーカーのCMで“上から読んでも下から読んでも”のキャッチコピーでお馴染みだった「山本山」と天然ボケで答えたところ、大爆笑をかっさらった記憶がある。思えばあれが自分の人生のピークで、そこからずっと右肩下がりである。

ということを考えていたら、空が白んできて点灯時間になった。

7:30朝食。この病院のスクランブルエッグはなんかゴボウの風味がしておいしい。

朝食後、夜寝れなかった分少し寝る。少し横になっただけだったが、なぜか近年稀にみる心地良い睡眠だった。

9:40日課の点滴と健診。
点滴が意外と早く落ちたので昼食前にお風呂、すっきりした。

12:10昼食。メインがカレイのカレームニエル、急におしゃれ。美味しくいただきました。

持ち込んでいた、沖縄の本屋「ある日、」さんで買った「忘れられた日本人(宮本常一著)」を読み終えた。日本各地の村々の老人から直接伝え聞いた、現代人からするとかなりRAWな明治以来の営みの姿が生き生きと描かれている。
生活の回想も良かったが、怪異の話もよかった。古狸に騙された、天狗が悪さした、狐火を見たなど、当たり前のように皆話すが、どれも人が増えてからは見なくなったという。東吉野の祖母も昔かまいたちに遭ったことがあると言っていた。自分も小さい頃祖父母の家で寝ていた際、火の玉のようなものを見たことがある。よく言われることやけど、情報が少ない分、真実に想像が入り込む余地があったんだろう。
今の社会は怪異に限らず、それは真実かどうかに目くじらを立てているように思うけど、カントの「物自体」は認識できないという言い分に立てば、それが真実かそうでないかを見極めることは不可能だし、主観に拠った想像を信じることはごく自然な行為だと思う。女の幽霊だろうと単なる柳の影だろうと、どちらも真実であろう。真偽不明の情報から自分なりの想像の内に真実を捉えるという作業は、フェイクを信じる陰謀論者の仕草っぽくもあるが。これが現代の怪異なのか。
想像できる余地すらない印象に出会ったこともある。まだ噴火する前の御嶽山を一人で登山した時、アプローチへの道中をミスって急ぎで登らねばならなくなった。森林限界を超え山頂に近づくころには息も絶え絶えで行動食も尽きていた。ガスが湧いて2m先までしか見渡せない中、荒涼とした岩が延々と続き、充満した硫黄の匂いが鼻をつく。
これらを受けて、自分はこの景色のどこにも関係してない、そもそも居てはいけなかったような感覚になり背筋が凍った。恐怖でもって対象と双方向性を保てるならまだ救いがある。負の感情があることではなく、無関係が1番恐ろしいんだと気づいた。

音楽も聞けないあらゆる作業もできないとなると、このように流れるまま文章を書いてしまい、刑務所でリリック書くラッパーの気持ちが分かる。

15時過ぎ、パートナーとneco伊藤さん田中さんがお見舞いに来てくれた。差し入れに隆祥館書店で買ったというサンレコとクロスワードパズル集をいただく、なんという差し入れセンス!ありがてぇ。
つい先週一緒にライブしてたけど久しぶりに会ったような感覚だった。入院中の晴耕雨読の隠居爺のような生活も好きやけど、やっぱり人と喋ってると俗世に未練が湧いてくる。

18:00夕食、初めて帆立が出てきた。普段そんなに有り難く思わへんねんけど、こんな時に食べれるのはやっぱ嬉しい。

差し入れのサンレコ読みながら消灯。リボンマイク特集で葛西さんが載ってた。

そういえば、聞こえない方の耳は125hzより上の周波数からガクンと聞こえなくなっている形で、例えると、車のエンジン音の地鳴りみたいな部分しか聞こえない感じになっている。体感では聴力変わらずだが果たして良くなっているのか…火曜の聴力テストが待たれる。焦らずゆっくり治していきたい。

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