入院14日目 10/15
今日は最後の聴力検査の日。結果如何によって今後の見通しが立つ。どうなるのか。
4:00頃、眠剤飲んでいつの間にか寝ていたが目が覚める。北山雅和さんと白根ゆたんぽさんのいつもの先輩達と飲んでる夢を見ていた…。強烈な飲酒の暗示。スマホを見ると、このタイミングでメルカリで出品していた鞄が売れている。発送が遅れる旨を送信。
6:10点灯。起き上がると目眩。
7:30朝食。
朝食後少し寝る。
9:20頃そろそろ外来から呼び出しあるかな、と起きて待つが来ない。
例の隣人が看護師と会話しているがだいぶ弱っているようで「もう逝ってもええわ」とかゆうてる。そんなんいいなさんな。祖父もそうだったが、お年寄りって日々の生活を取り上げられると途端に弱る人多い。若い頃は分からなかったが、今ならそうなってしまう気持ちがよく分かる。
10:00点滴。一時間後に点滴終わるもまだ呼び出しは無し。
11:30検査午後になりそうやなおもてたら、外来より呼び出し。最後の聴力検査へ。
結果、8khzあたりの高音域の聞こえにくさ、耳鳴りは依然残るものの、ほぼ正常な状態まで回復していた。良かった…!
退院後の生活でさらにどれくらい元通りになるかは個人差なので分からない、ガツンとステロイド打ちまくってるので退院後も安静にすること、大音量は控えること、など今後の処遇を伺い、診察終了。まじありがとうございました。経過を見るためまた三週間後に診察予約。
安堵感でふわっとした気持ちのまま病室戻る。
12:20、診察が遅くなったので既に昼食が病室に置かれていた。今まではこの病室は自分のもののような感覚だったが、回復の結果を受けたからか、お邪魔している来訪者のような気分に変わっているのに気づき、そんな気持ちで、味の無い焼き鮭をいただいた。
昼食後、各方面に今後についての連絡、そして昼寝。カーテン越しのちょうど良い日光と、病棟の慌ただしさが落ち着き、中弛みしたようなこの時間が好きだったがこれも最後。と感傷的になりながら横になるも、相部屋の人の回診やシーツ交換が一斉に始まり、にわかに騒がしくなってきたので、一階のカフェに移動。
カフェでぼーっとする。ここにいっぱいお見舞い来てくれたな〜皆ありがとう。
テラス席で今回の入院生活のこと考えてみた。
自由、何かを失うことについて。
一昨年、作業していたスタジオlublabの近所でカクバリズムのパーティーが開催されていると知り、作業終わりに遊びに行った。その流れで皆と路上飲酒からのホテル部屋飲み、コロナがちょうど落ち着いてきた時だったのもあり、楽しかった。その中でceroの髙城くんが、多分どういう生活スタイルを選択するかみたいな文脈やったと思うけど、「少しくらい不自由がある方がクリエイティブでいられる」みたいなことを話していた。その時はそうなんやーくらいにしか思わなかったけど、妙に印象に残った言葉だった。
難聴になって以来またその言葉を思い出すようになった。耳が聞こえなくなるということは、自由が一つ奪われるという意味でも捉えられる。
思えば普段の生活も、自分の作業能率を最大化するために出来るだけ自由でいる、誰にも邪魔されないようにしよう、という意識があったかも。自由でいることこそが自分を最大化できる唯一の手段と信じて。なるべく自分の存在を純粋培養させてノイズとなる他からの影響を省くみたいな。見えるもの全て自分に関係あるようにしたかった。
それが入院生活で全て取り上げられた。神の指で自分がつまみ上げられ、持っていた自分らしさを衣をはたくように落とされ、知らない真っ白の病室に置かれる。難聴というもう一つの不自由のおまけつきで。
この日記を書く以外は何も出来ることはないし、最大化させていた自分が萎んでいくのを感じた。が、逆にその貧相になった自分を省みるにつれて、日々の生活でマスキングされていた、あるべき自分が見えてきたように思う。
入院当初、片耳が聞こえなくなった場合の将来のパターンを並べてみたりした。最初は「フレットレス・ベーシストなぁ〜」みたいに半ば笑えたが、目の前に並べてみると妙に説得力あった。それらが自分の中にあるのに、認めなかっただけなんかも。周りに仕事道具が一つもないこの病室では、それら全てを肯定できる。不自由とは、視野が狭まるだけではなく、新たな視点の獲得でもあると思った。
そういえば自分のアレルギーも、他人からはよく「かわいそ〜」って言われるけど、自分からするとハンディではなくオリジナリティと思ってるふしがある。小学校の給食の時、卵と鶏の二色そぼろ丼が、卵アレルギーのおかげで俺だけ全部鶏肉のそぼろ丼が供されていたので、皆から羨望の目で見られたこともある。アレルギーを不自由の一つとみなすなら、自由か不自由かってそんなもんなんかも。
そもそも、現代で唯一神のごとく信仰されている「自由」もそれほど絶対的でもない。油絵画家は「筆をもつ」、ピアニストは「鍵盤を押す」といった不自由が既に設定されており、本当の自由はその時点で存在しない。仮に本当の自由を想像するならば、自分以外何もない状態、ということになる。そこには、絵を描く筆も音を奏でるピアノも、鑑賞者さえもいない。
「生命・医学・信仰」にて「人は病気になって初めて健康を意識する」と書かれていたが、自分もそんな感じなんやろう、聴力を失い不自由になったからこそ自由を意識できている気がする。今までの自分はそれに気づかず、自由の名の下で無作為に自分を拡張し、外遊び後のくっつき虫のごとく関係ない情報をまとい、レトリックとアナロジーの力を借りて、これが正しいと言い張ってただけかもしれない。
人はあらかじめ可能性が閉じた存在であり、それを不自由と捉え、自分を広げようとすることは、自由でもなんでもないんかも。
自由とは選択肢の数の多さではなく、与えられた選択肢を受け入れられるかどうかだと思った。
長ぇ〜。ぼちぼち病室に戻る。
18:05最後の夕食。肉野菜炒め。しょっぱい。
19:00回診。突然入院費の概算を渡され、不意にリアルになる。夜の眠剤もいただく。
21時過ぎ、さっきまで延々聞こえてた誰かのうめき声が止み、急に辺りが静かになった。そういう効果を狙う舞台装置だったみたいに感じる。
病院で過ごす最後の夜。聴力が戻ってきたからこそ、余計に静けさが際立つ。
22:00消灯、眠剤を飲む。
明日で退院。