入院10日目 10/11
大台の10日目。こんな長引くとは。
龍虎の拳解説動画、王舟いわく寝落ちできるとのことだったが、はたして見た後スッと寝れた。なんで?
4:00頃一旦目が覚める。
退院したら何しよとか考えてみたけど、出たら絶対あれやる!とかが何も無いことに気づく。美味しいもの、イベント行くとかピンとこず、それより家の掃除とかの方がグッとくる。禁欲的な生活送ってるはずなのに過不足を感じてない。俺ってこんなにおじいさんだったのか…。今思えば入院前は、仕事・家事・勉強・運動・娯楽に箸を立て混ぜて酒で無理にかきこんでいた感があったが、憑き物が取れたのか。
強いて言えば、やっぱり曲は作りたい。あと友達が騒いでるのを脇で見ていたい、スターウォーズの霊体になって宴を眺めてるやつみたいな。
30分ほど寝て6:30点灯時間。
7:30朝食。青梗菜のソテーがかなり美味しかった。超薄味だからこそ油分も旨味の一つだと気づく、ウー・ウェンさんの野菜炒めにかなり近い。全て揃っておらず足りないものを想像しながら味わう高揚、ミニマルテクノのブレイクが続いてる時みたいな。
9:20外来から呼び出し。龍虎の拳のおかげでよく寝れましたとは言えなかった。来週火曜にまた聴力検査。検査の結果の良し悪しに関わらず、ステロイドを二週間以上打ち続けるのは危険なので、翌日水曜16日にはどっちにしろ退院とのこと。
10:00点滴。その後読書。
12:10昼食。鶏肉カレー風味焼き。こういうオシャレなやつたまに出るな。
鳥取の汽水空港で買った「生命・医学・信仰(著:川喜田愛郎)」を読み終わった。細菌学者でありクリスチャンである著者が残した文書や講演記録の断片集。
生物と無生物との境界線、技術的・倫理的行動を兼ね備える医学、究極の主体とも言える信仰。分子学から哲学へ横スクロールしながら人の本質を探るといった内容。冗長した文章ばかりで答えは一つも無かったけど、思うところはあった。
信仰において、花を供えるような、意味がなくても真理があれば行動できる、人を主体的存在とする目線。医学の進歩により先鋭化する、人を機械とみなす目線。人を分子の塊と捉える目線。どれもが正しくどれもが間違っている。
自分の祖父が亡くなる前の話。怪我など重なり入院したが、家のある東吉野に帰るといって聞かず、点滴を抜こうとしたりするのでしまいには拘束具をつけられることに。その処置もあってかしばらくしてせん妄のような状態になり、そのまま亡くなった。亡くなる前に一人で見舞いに行った時、俺を見るなり物凄い剣幕で罵倒してきて、かつて見た祖父の姿とのあまりの違いに悲しくなり、すごすごと帰った。その時の大きく開き濁った眼をよく覚えている。
祖父の帰りたいという思いに真理はあったが、山奥の東吉野の家に車椅子の年寄りを帰すなんてあり得ない。最適解の判断だったと思うし、今や「真理」なんてものは「効率」「正しさ」の前には太刀打ちできない。
でも何かやりようはあったんじゃないかとも思う。祖父のことだけじゃなく社会も含めて、皆何か大きな勘違いをしてるんじゃないか。最適=最善なのか?人間の尊厳の領域にまで効率を求めないといけない世の中になってるし、皆そのノリに慣れている。
真理を持ち、利害を考えず、意味のないことをする、それが人間だと思うけど。
昼寝して15:20くらいに起きる。なんとなくエレベーターホールに赴き、窓から阪神高速を眺める。屋内にしかいないので、遠くへ焦点を合わすのに目が疲れる。
18:10夕食。マカロニ入ったトマト煮。
夜の回診時、隣人がまたイヤホンつけずにテレビを見ていてたので、看護師さんに怒られろ〜と思ってたけど、看護師さん来る時だけ音量下げとった、古狸が…。
20:00頃、エレベーターホールであまから手帖を読む。ふと外から暴走族の爆音が鳴り響いてくる中、東棟の方から「痛い」「薬飲ませてお願い」「嫌やー」「怖い」というおばあさんの叫び声が聞こえてきて、気持ちがぐしゃっとなった。
病室に戻り続きを読む。無欲とか言いつつやっぱり飲酒欲が。紹介されていた二宮の藤原というお店に行きたくなった。
22:00消灯。龍虎の拳のチャンネルの人がサムスピもやってるので今晩はそれを見ます。
なんか疲れた。入院は羊水の中に浸かるようなものと思ってたけど、別にそうではなかった。心の平安はいつも自分の内に、退院する時のために準備しておこう、と思った日だった。