見出し画像

科学と宗教についての雑記

1963年4月に行われた
ファインマン博士の三夜連続講演
それを文字に起こし日本語訳したもの
だそうで、とてもおもしろかった

科学と宗教の矛盾について
書かれているところがあり

科学は神の存在を否定することはできない、ということには僕もまったく同感です。心底から同意します。また科学と宗教に対する信念は矛盾しない、というのにも同感です。

科学は不確かだ!

と前置きし、宗教の3つの面を強調し
問いを投げている

宗教の3つの面

1.形而上的側面
物質とは何か、それはどこから来たのか
人間とは何か、神とは何か、神の特性とは

2.倫理的側面
一般的に言って
どうすれば道徳的な生き方ができるか

3.霊感的側面
神の意志にしたがい、
神のために働いているのを意識するとき
自分の行動がもっと偉大な世界、宇宙全体と
かかわりを持っていることを感じる

問いかけ

形而上的側面を信じないのに
霊感的側面を信じることができるのか?

雑記

考えてみると自分でも少し不思議だった
私は創造主などを信仰していないけれど
”大いなる力”みたいなものは信じている

つまり形而上的側面は信じていないけど
霊感的側面は信じている

それがどこからくるのか?

(形而上的側面)
世界の創造の源として信じるのは物理学で
この宇宙をずっと遡れば
たどりつくのは神ではなく量子ゆらぎ
そう考えます

すべて自然法則に従って動いている
そのことに疑いの余地はない
法則に従ってただただそうなるだけ

(霊感的側面)
それでも私は
世界はやさしい
人は素晴らしい
ということを信じていて

自分が何かをして人が喜んでくれたら
自分と世界とのつながり
大いなるものの一部であることを実感する

それは
神の意志にしたがい神のために働いている
という感覚ではなく

素晴らしき自然法則によって生み出された
私という生命が
世界の素晴らしさに溶け込んでいる
という感じ

自然の奥深さを日々味わっていると
自ずと醸成されていく感覚
ではないかと思う

宗教信仰によって得られる霊的感覚と
同じなのかどうかはわからないけれど

生きていくうえで
大切にしたい感覚ではあります


長々書いてしまったけれど
もしかしたら
スピノザの神、と言ってしまえば
一言で済むのかもしれないと思う
信仰しているとすれば、
神即自然

ファインマン博士が書いていた
これ、とても共感します

こうして客観的なものの見方が完全に身につき、物質の神秘と壮大さが十分に理解できたら、その客観的な目を今度はただの物質である人間にもどすのです。そして生命を、この深遠な宇宙の神秘の一部として見直すのは、なんと心躍る稀な経験でしょう。この経験をした者は愉快になって、たいがい笑い出してしまいます。宇宙の中のこの原子とはいったい何なのか、それが集まってできているこの自分が自らを見つめ、なぜこんなことを不思議に思っているのか、いくら理解しようとしたところで、とても無理だと悟って、何となくさっぱりした気分になるからです。このような科学的な世界観でものを見る人は、不確かさの深い淵に臨む畏怖と神秘に打たれることでしょう。

科学は不確かだ!

いいなと思ったら応援しよう!