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わたしを支えてくれたもの  退院後編

年の終わりによかった本や映画や展覧会、仕事のことなどの振り返りをしている方が多いと思いますが、去年は全然余裕がなかったので2023年、2024年に助けられたものをまとめてみました。


2023年


マティス展(東京都立美術館)

https://www.tobikan.jp/exhibition/2023_matisse.html

3か月の退院直後、家に帰ってどう生活していいのかもわからない状態で、歩くことも、見ることもおぼつかないなか、連れて行ってもらった思い出の展覧会。
激混みの中、館内付属の車いすを借りて低い視線で見たこともとても思い出深いですが、そのことはそのうち日記に書きたいと思います。

ハン・ガン『回復する人間』

事故で目が悪くなったのもあり、本や映画を積極的に見ることが少なくなりました。わずかながらに読んだ本で印象に残っている本。まだ全部読めていません。ただ、見えにくい片目の状態で、池のそばのベンチに座って水辺をたゆたう水鳥を見ながら読んでいたときの風景はよく覚えている。

そのときできたこと、できなかったこと、回復していくなかでできるようになったこと、できないままだったこと、失われていくことについて考えていた自分にとってなんだかとても大切な響きの本でした。
2024年にハン・ガンがノーベル賞受賞してそのスピーチに影響を受けたこともあり、この2年間を通じて底の方にハン・ガンの文章がいたような気がします。

2024年

指輪

入院中、ジュエリーについて考えることがあり「身につけるということ」というエッセイを書きました。
その関係で知り合ったインド占星術師のラジャさんに守護宝石を教えてもらったのもあり、あるとてもすてきな石との出会いで年明けにオーダーした宝石が、この1年、困難なときにも文字通り寄り添ってくれました。
「石はご縁」とのラジャさんの言葉どおり(ラジャさんは宝石商でもありますが、占いのときは石の営業をしないのがポリシーだそう)、作ってもらったのはインド関係ではなく、ネパール人のバイヤーさんにデザインしてもらい、ネパールで加工とお祈り(プージャ)してもらったもの。わたしの生年月日にちなんで決まった曜日の決まった時間に身に着けました。

なくしものが多いことで有名なわたしですが、金額的にも、レアな石ということもあり、これなくなったら本当に泣いちゃうと思う。
石やジュエリー、アクセサリー(あるいはファッション)とは大事にこれからも付き合っていきたいです。

※エッセイは、公開から1年を過ぎたのもあり一般公開としました。

濱口竜介 監督「悪は存在しない」

事故後、はじめて普通の映画館で見た映画。(普通の、というのは、その前にシネマ・チュプキ・タバタという小規模のユニバーサル映画館でパレスチナのサーフィンについての映画を見たことがあったので)。
この映画を見た時、ようやく電車に乗れるようになったころで、自分の目がどこまで密接空間で大画面の映像についていけるのか、不安だったときに
「けっこういけるじゃん」と思えたものですが、途中のキャストに友人が出てきて途中でそのことで頭がいっぱいになったこともよい思い出。
その後、ロケ地となった長野県でなぜか2度目の『悪は存在しない』を見て生まれてはじめて聖地めぐりしたいのもよい思い出。

裁判を終えた直後なこともあり、「悪は存在しない」という言葉にも考えさせられた。

北尾修一『自分思いあがってました日記』『調子悪くて当たり前日記』

最初、北尾トロさんと勘違いしていた編集者、北尾修一さんのがん告知後の日記。あとあと調べたら、太田出版の「Quick Japan」の元編集長の方で、当時夢中になったDate course Royal garden特集などを生んだ方でした。そういえば、菊地さんの日記にもお名前出てましたね。

読んで、自分の入院していたときと同時期に、そしてとてもすごく近しいところで治療や手術をしていたことを知り、思わず「わたしも同じ時期に手術したり、入院してました」と手紙を出しそうになりました。

ガンプ『断腸亭日常』

これを読んだのは、12月にはいってから、いろいろなことがまた違う局面に入る時期でした。病院に行く回数もかなり減っているなか、病院についての描写や病院の対応などでものすごく同意する部分が多く、いま夢中で読んでいます。

病気と事故が決定的に違うのは、事故には事故をおこした原因となる人や事象があり、病気にはそれがないということなんだ、ということを、入院していたときによく考えていました。病気は誰かを恨んだりできない、自分のなかにできたものを治していくしかないということがいいときもあるし、苦しいこともあるだろう。そして裏返しの意味で事故もまた。

この数年、友人の幾人かをがんで亡くした。
それぞれの暮らしや生き方があって、なんも正解ないな、と誰かの病気や事故の話を読んだり聞いたりする度に思うし、治療している人の非日常感や苦しみや理不尽さは、自分がなにかの形で傷ついたり、あるいは身近な誰かをケアするに関われない立場にならないとわからない地平があるということ。そしてそのディテールは全部違うということ。
誰かの闘病記を見るたび、病気のつらさにについて語ることのないままに向こう側に行ってしまった人たちのことを思い出す。

菅啓次郎『ヘテロトピア集』

現実が失われたとき、書かれたものはフィクションと見分けがつかなくなるのか。

菅 啓次郎『ヘテロトピア集』(コトニ社)より

前述したとおり、手にした本は2024年もとても少なかった。仕事に復帰して、大量の文字と情報が流れてくるので、文字を読むことに疲れているのもあったのかもしれない。
ただ、すぎていく日々をなかなか日記にまとめられないことにあせりを感じていた自分にとって、2013年に同名の演劇プロジェクトのなか、携帯ラジオを手にして、東京の片隅で聞いた「東京ヘテロトピア」。場所に紐づけられたラジオ音声メディアとして発表されたものたちが10年以上の時を経て、本と言う形で見られることになったのは、希望のようなものだと思った。その場所では、もうそれらは聞くことがかなわないのだけど。
「いますぐ何かを表にするのではなく、1年後でも10年後でも、何かの形なっていくことがあるのだ」

翻訳者で文学者の菅啓次郎さんとの最初の出会いは、学生時代の卒論のときにヒントというか思考の下敷きになったエドゥアール・グリッサン『関係性の詩学』の訳者として入り、旅や言語にまつわるエッセイを読んできたが、知らない土地の誰かの1人称の話しことばがとても心地よい本。そしてニンゲンの想像力に希望を与えてくれる本。
ところでグリッサンの『関係性の詩学』はポストコロニアル時代のねじれが表出しまくっているいま、もう一度じっくり読みかえしてみたい名著です。

Podcast「Over the Sun」

わたしが今更言わずとも以下、大人気のコンテンツではありますが、本や映画を見れなくなった分、音声メディアをよく聞くようになりました。
去年の今頃、近所のOsaji に友人の誕生日プレゼントを買いに行ったときに知った「ご自愛ください」の言葉がはいったハンドクリーム経由でその存在をはじめて知ったのですが、一番の思い出は、目がよく見えなくなり、セカンドオピニオンを兼ねて、眼鏡の処方箋をもらおうと診察を受けた眼科の検診で「眼球にボトックスを打つと改善するかもしれませんね。ただ、3~4か月で効果が切れますので何とも言えないですが」という治療方法を提案され、新しい眼鏡が欲しくて病院に行ったのに、目ん玉に美容整形などできいたことのあるものを打つと言われてショックを受けていた私が、とぼとぼと通勤の道すがらでつけたポッドキャストのテーマが「顔のお直し」で、リスナーの淑女のみなさまから繰り出される「糸リフト」「脂肪吸入」「ハイフ」などのワードとともに、ポジティブな言葉や体験談が繰り出されるのを聞きながら、目の偏りとか、見えなさとかをくよくよ気にしてボトックスにいる自分と、すすんで何かを切ったりはったりしようとするみなさまの情熱に勇気をもらった気持になったものでした。わたしもいつか目の治療が落ち着いた暁には、肩ボトックス(肩こり対策)とか顎ボトックス(歯ぎしり対策)を試していみたいものです(ちなみに眼球ボトックスは医療なので保険診療、肩ボトックスや顎ボトックスは自由診療なので保険適応外です)。

YouTube「HIRO BEAUTY CHANNEL」

これもまた、私が言わずともな人気コンテンツですが、前述のとおり、事故の影響で目や顔の形が変わってしまったことに思い悩んでいて、鏡で自分の顔が直視できなかったり、それゆえ化粧ができなかったりした自分にとってヘアメイクアーティストの小田切ヒロさまの動画は、見ると「明日からがんばろう」と思えて、メイクやスキンケアをきちんとしよう、そしてよく寝てよく生きようと思える、「先の見えない未来に対して前向きになれる」ものでした。あと、食生活が美容すぎて。疲れているときはおすすめされたものはすぐ買いそうになるので大変。
自分に自信を持つ、自分を大事にするって大切ですよね、とヒロさまの人生相談コンテンツを見ながら。


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