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凡人が医学部を目指してみた![中編]
こんにちは、ヒトミです。
前回の記事↓の続きをお話しします
自分は病理検査室でどんな仕事がしたいのか?
臨床検査技師は一応資格の必要な職ではあるのですが、診断をつける仕事がしたいとなると話が変わります。
顕微鏡で観察し診断をつける一連の作業は、やはり医学部を出て医師免許のある病理医じゃないとできないのです。
「自分は病理検査室で何がしたいのだろうか」
検体を加工・染色してスライドを作る仕事がしたい
or
スライドを顕微鏡で見て診断をつける仕事がしたい
受験の難易度、将来性などを無視してシンプルに何がしたいかを考えると、自分は正直…後者でした。
あの作業がやりたくてかつ診断も…というのであればやはり医学部進学は不可避でした。
「大変な思いをするかもしれないが浪人覚悟で医学部に進む」
or
「妥協して身の丈にあった目標を決め直す」
どっちに進むべきなんだろう…
その矢先、事故が起こります。
人間関係トラブルに精神を病む
手短にいうと…
学校でいじめがありました。
それのおかげで1週間ほど学校を休みました。(保健室登校の末、教室に復活することができました。)
もともと進路で悩んでいたところに人間関係のトラブルが直撃したので、私のメンタルは…めちゃくちゃでした。
"このままプラットフォームから線路に飛び込んでみようかな"と考えるくらい、精神的に追い込まれていました。
感情も、不安定でした。
何も起こってないのに笑いが込み上げたり、急に涙が出てきたり。
私は、壊れかけていました。
学校を休んでいた時はほぼ家にこもって好きなことをして過ごしていましたが、幸いなことに両親が状況を理解してくれていました。
ある夜に軽くヒステリーを起こし、翌日見かねた母が引きこもっていた私を外出に誘いました。
家族で一緒に昼間から夜までカラオケで歌ったり、美味しいステーキを食べに行ったりしました。
少しずつではあるけれど、その後状態は良くなっていきました。
母は私の進路を気にかけていました。毎日夜遅くまで眠い顔をしながらネットで調べ物をしている母を見ていて、申し訳ない気持ちになりました。
「このままで、大学なんかいけるのだろうか」
「大学じゃなくて専門学校に行こうか」
「通信制の高校に変えようか」
「いっそ高卒で就職しようか」
…色々考えました。
詳しくは後述しますが、この時(不登校の期間)以外で、こんなにじっくり時間をかけて進路に向き合ったことはなかったです。
朝の満員電車、学校のテスト、宿題、部活、クラスメートとの関係、、そんなことから解放された貴重な時間でした。
”海外大学医学部”との出会い
そんな中ある日、母が、webサイトのコピーを片手に言いました。
「こんなのがあるらしいよ」
”海外大学医学部”の紹介記事でした。
最初はふーん、とあんまり興味ないふりをしていました。
頭がいいわけでもないし不登校の自分には縁のない話だと決めつけていました。
でも、ちょっとずつ気になり始めました。
まあ、一応調べてみるか、程度の気持ちでブログ・体験記や海外医学部斡旋業者のサイトを覗きました。
「海外医学部は医師になるための別ルート」
胡散臭い、とは思わなかったですね。
知らないことがたくさん書いてありました。
・日本と同じ6年制なこと
・学費が日本の私立医学部よりも安いこと(年間約130万円)
・卒後に日本の国家試験の受験資格が与えられる学校があること(=海外医学部に入っても、日本で医師になれる可能性があること)
・受験科目が英語・理科・数学・面接
・実際に入学・卒業・日本の病院に就職した日本人がいること
・日本には入学を斡旋する業者があって、それを仲介するのもあり、しないのもあり
・受験は競争ではなく、ボーダーを超えると合格になること(一応定員はあるが、そこまで厳しくない)
・入るのが簡単、出るのが難しいこと(入学時の3分の1が卒業する)
・授業は全て英語だが、その国の言語も学ぶこと
・机上の勉強よりも、実際に手を動かす実践的な授業が受けられること
・EU圏内の医学部を卒業すると、EU圏内で通用する医師免許がもらえること
・定期試験の日程を自分で組めること
などなど。
体験記を書いていた先輩たちも、かなり進路で悩んできていたようでした。
大学在学中に仮面浪人して受けた人、文系だったのを理転して受けた人、大学を卒業してから受けた人などがいました。
英語が大好きだったので、授業が英語で行われることに対してはそんなに嫌に思わなかったです。むしろそこが良かったし、なによりずっと過ごしてきた狭い世界から抜け出してみたかった。
もっと広い世界で、医学を勉強してみたかった。
「こんな可能性があるんだ、諦めてたけど試してみないともったいないかもな」って思いました。
異国で大学に通う、となると私の場合は学費・飛行機代・生活費を全部親のお金で払うことになります。
アジアヘイトやビザ、諸々の予期せぬトラブルなど現地で何があるかもわかりません。(これはどこの国でも同じ)
門は誰にでも開いているけど、その後自分の力で這い上がっていかないといけない厳しい世界。
卒業することがどれだけ難しいことか。
海外医学部に入るには、生半可な気持ちは許されないのです。
それでも海外の医学部に挑戦してみよう、と決めました。
「こんなのがあるらしいよ」と何気なく母が紹介していなければ、どうなっていたのでしょうか…今頃自分は何をやっていたのか、今でも想像できません。
母は、もう、神様ですね。笑
パート3に続く
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