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短編小説【相談室】

訪問者1号「血」

 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 営業時間は昼過ぎの14時くらいから、22時までの8時間。
 世間様からずれたアバウトな商いです。それというのも『先生』のせいです。あの人は、朝を心から憎まれていらっしゃいます。
 ああ、噂をすればいらっしゃいました。

「あら、まだいたの」と先生。

 ずいぶんなお言葉です。あ、申し遅れました。私は先生の『助手』です。以後、お見知りおきを。

「先に帰ってよかったのに」と先生。
「そんなことできるわけないですよ」と私。怒っています。
「え、なんで?」
「お忘れですか?」
「なにが?」
「鍵です。私持っていないんですよ」
「あらぁ? そうだった? たしかスペアを持っていたでしょ?」
「はあ……そのスペアは先生が持っています」
「なんで?」
「先生がっ! 持っていた鍵を! なくしちゃったから!」
「ああ」
「私のスペアを貸したんでしょ」
「ああん、そうだった。めんご、めんご」

 先生は私を拝みました。全く有り難くないです。

「ああ、もう、こんな時間か。今日はそろそろ帰りなさいよ」
「……そういうわけにもいかないみたいです」
「なんで」
「ほら、お客様です」

 ドアが開かれ、相談者の方が来られました。

「ごめんください」

 とても小さくて、やっと聞こえる声です。
 儚い感じの色白で、ひどく猫背に見える方がいらっしゃいました。

「おやまあ、どうぞ」
「すみません。こんな夜中に」
「別に気にせず。よくあることなんで」
「ちょっと困ってしまったんです」
「どうしました?」
「人を殺してしまったんです」
「……おやまあ、それは困りましたね。どうしようかなあ。ここは警察じゃないんですよ」
「違うんです」
「え?」
「私、名前を忘れてしまって困って、誰が殺したかもわからなくて、思い出したくて、それで、ここに来ました」
「ああ、なるほど、そっちでしたか。ふむふむ、そんじゃあ、まあ、一緒に思い出しましょう」
「はい……ありがとうございます」
「まずは、その、覚えているところからはじめますか。さっき、人を殺したとかおっしゃいましたね」
「はい……」
「一人だけ?」
「いいえ……」
「二人?」
「いや……」
「ふーん、三人? もっとだったり?」
「はい……今年はもう六十万人も殺してしまいました」
「へえ、そりゃあ、すごいな。ところで、『今年は』と仰いましたね?」
「はい……去年は九十万くらい、殺しました」
「ありゃりゃ、えらいこった」
「その……ひょっとして信じていません?」
「いやいや、そんなことは──」
「いいんです……。だって、こんなこと、誰も信じられないですよね。私だって……」
「信じています。だって、あなたは名前を無くされている。それが何よりも証拠です」
「本当に……?」
「はい、本当に。じゃあ、話を戻しましょうか。ところで数十万人も殺すには、えらく苦労すると思いますが、どうやったんです?」
「血を……飲みます」
「へえ、血を。全員、そんな感じで? おなかはパンパンになりませんか? 失礼だが、数十万もの人間の血液を飲める身体には見えなくて」
「いいえ……ほんのちょっとでいいんです」
「ちょっとだけ?」
「舐めるくらいでもいいです。それで私には十分……」
「そんな、ちょっと血を取られただけで、その人は死んじゃう?」
「はい……そうです。私に噛まれた人は、しばらくして死にます。その人の身体を侵して、変えて、最後はその人ではなくなってしまう」
「へえ。それは大変だ。その、難しいかもしれませんが、僕のことは噛まないでくださいね。ちょっと、それは困る」
「ふふ……大丈夫です。みんなが死ぬわけじゃないんですよ。たまに生き残る人もいます。それに私だって、殺したくない」
「それでも噛まれるのは困るなあ。まあいいや、ところで血を飲むのは何のためですか?」
「なんのためって……なんのためでしょう。生きるため?」
「あら、それは忘れてしまったんだ。相手に特徴あります? 例えば若い女、もしくは男。力が強かったり、血筋良かったりとか」
「……特にえり好みは。私たちは誰に対しても平等です」
「ああ、ふーん、『私たち』……なるほどね。他に覚えていることはあります? そう例えば、そうだな。場所とか? お住まい覚えています?」
「住んでいるところ……ですか?」
「なんでもいいですよ。暑かったとか、寒かったとか。海辺だとか、山際だったとか」
「そういえば……私は、じめじめして暗いところが好きです」
「あなたは? そうじゃない方もいる?」
「あついところが……好きだったりするときもあります」
「なるほど、ところで昼が苦手だったりします? ほら、こんな時間にいらっしゃったので。僕も朝は不得意でね」
「私は明るいところは苦手です」
「なるほど、お日様は嫌いですか」
「はい……だって、みんな良く見えるじゃないですか」
「良く見える?」
「その……顔とか、姿とか、比べてしまうから」
「ふむ、ひょっとして、お日様じゃなくて人が嫌いってことですか」
「ああ……そうかもしれません。だって、あの人たちよく叩いたり、傷つけてくるので」
「穏やかじゃないですね。まあ、そりゃ自己防衛のためなら仕方ないけど」
「いいえ、私が何もしなくても追い詰めてきます」
「それはかわいそう。だけど、人の血は飲むのはやめられないんでしょ?」
「はい……人を見ると噛みたくなります。そうしないと私たちは増えないから」
「あらら、困りましたね」
「はい……先生、私、自分のことがわかったかもしれせん」
「ほう、それはよかった。あなたは誰ですか」
「私は……吸血鬼です」
「おっと、いきなり立ち上がってどうしました? おっと近い、近い。僕の首に手をかけてどうするつもりです?」
「あなたを……噛みます。それが私の本性だから」
「ちょっとお待ちなさい。まだ終わっていません」
「いいえ……終わりました。私は自分の正体がわかりました。あなたを噛んで、ここを去ります。朝までに戻らないと」
「いいえ、終わってないですね。だって、あなたは『わかった』と言ったじゃないですか」
「ええ……言いました? それが何か?」
「わかってないですよ。だって、あなたは名前を思い出したいんでしょ? なら、わかったじゃなくて『思い出した』じゃないと」
「そんなことは……どうでもいい」
「いや、良くない。あなた、本当は思い出したくないんでしょ? だから、僕を殺そうとしている。何が怖いんですか?」
「わた、わたしは……たくさんの目が私を見るの、たくさんの目で私をみてくる」
「大丈夫ですよ。あなたは悪くない。それに誰も殺していない。あなたがやったんじゃない」
「でも、私が吸ったせいで……」
「おっと、思い出してきましたね。そう、あなたは噛むのではなく、吸うのです。そして、中にはたまたま死んでしまう人も出てくる」
「やめて……それ以上言わないで」
「でも、あなた自身が殺すことは出来ない。なぜなら、あなたは非力で吹けば飛ぶ存在だから。人が本気にならば、片手でつぶされてしまう」
「やめ、ロ……!」
「さて、そろそろ元に戻りませんか。もう日も変わってしまう。あなたの正体は……」
「ヤメロ! イウナ!」
「五月蠅いなあ。いい加減、その人から離れろよ」

 瞬く間のことでした。噛みつこうとしてきた相談者を床に伏せると、先生は机の上にあったスプレーを振りかけたのです。

「手間とらせないでくれよ。さあ、憑き物は晴れる時間だ」

 この世のものとは思えない断末魔が響くと、相談者の方はぐったりとなってしまいました。先生は相談者をソファーに横たわらせると、ふうと自分の椅子に座り直しました。

「せ、先生、殺しちゃったんですか」
「莫迦を言っちゃいけないよ。こんなので殺せるかね」

 先生が掲げたのは殺虫剤でした。

「え……そんなのではがしたんですか」
「うん。だって、こいつ蚊だよ」
「蚊?」
「うん、正確にはこのお嬢さんに憑いていたものだけどね。蚊、その集合意識と言うべきかな」
「私てっきり、吸血鬼かと思っていました」
「そんなわけないでしょ。吸血鬼ごときが年間何十万人も殺せやしない。そんなことしたら大問題だよ」
「でも、蚊で死にますか」
「蚊じゃ死なない。正確には蚊が媒介する寄生生物、マラリアだ。毎年世界中で数十万人がハマダラカの吸血によって、マラリア感染症にかかり命を失っている。蚊の吸血行為で体内に入ると、マラリア原虫は肝細胞で増殖、破壊した後は赤血球を食い破る。このとき物凄い熱がでるんだ」
「うわぁ」
「おいおい、僕をそんな顔で見るなよ。僕は症状の説明をしているだけだ。とにかく、このマラリア熱で体力を失い、最悪は死ぬ。ただ全員が死ぬわけじゃないがね」
「そうなんですね。でも、この相談者はもう一つ気になることを言っていました。お日様が嫌いとか、比べられるとか、見られているとか、それは蚊とはあまり関係ないですよね」
「えらいな。ぼうっとしているようで、聞いていたんだね」
「先生、ひどくないですか」
「めんご、めんご。それは……」

 先生は机のPCにニュースサイトを映し出しました。

「先生、これって……」

 ニュースサイトには、殺人事件の記事が載っていました。

「ヴァーチャルアイドルのファン、親を刺殺……先生、ヴァーチャルアイドルってなんですか」
「君もっと俗事に関心を持ちなさいよ。修行僧じゃないんだから」
「いいから教えてください」
「動画サイトなどで、二次元のイラストに扮してアイドル活動をしている人たちだ。アニメ絵で歌ったり踊ったりして、あとゲーム実況なども行っている。そういう人たちがいるんだ」
「その人たちが、なんで相談者と……まさか」
「そう。そのヴァーチャルアイドルの中の人が、この相談者だ。彼女は今回の事件にショックを受けて、罪悪感を抱えてしまったのだろう。そこを蚊に付け込まれ、憑かれたんだ」
「なんで、そんなことに……」
「サイトの記事をよく見なさいよ。そこに殺人犯の動機が書かれているだろう」
「投げ銭の金を要求したところ、親に働けと言われて逆上……先生、投げ銭って──」
「動画サイトで配信者に寄付するお金のこと。ストリーミング配信中に、お金を投げるように寄付できるんだよ。だから投げ銭と呼ばれる。おそらく彼女は自身に投げられたお金を血と同一視したんだ。彼女にっては、生きる糧だね。しかし本来ならお気持ちでいただくお金のせいで、殺人事件が起きてしまった。まあ、彼女のせいじゃなくて、暴走したファンが原因だが──おっとお目覚めかな」

 相談者の方が、よろよろとソファーから身を起こされていました。

「あの、ここはいったい──」
「大丈夫ですか。そこの助手が、廊下であなたが倒れているのを見かけましてね。僭越ながら介抱していました。さて、お気分はいかがですか」
「えっと、あの、は、はい……大丈夫です。ありがとうございます」
「とんでもない。礼ならば、そこの助手にお願いします」
「え……どこに?」
「え? あ……ああ、失礼。どうやら席を外しているようです」
「そうですか。その、ごめんなさい。お手数をおかけしました」
「いいえ。よろしければタクシーをお呼びしましょうか」
「い、いいえ、大丈夫です。失礼します。本当にありがとうございました」

 相談者の方はそそくさと出ていかれました。

「なんだろう。なにか、すごい誤解を受けた気がする」
「たぶん、先生のことを頭のおかしい人だと思ったんじゃないでしょうか」
「もっとオブラートに包みなさいよ。僕は深く傷ついたよ」
「ご・め・ん・な・さ・い」
「オモテナシみたいな感じで言うやめて」
「ところで先生。もう一つ気になったことがあります」
「なんだい、疲れてやる気ないんだ。手短に頼むよ」
「なんで、あの方がヴァーチャルアイドルだとわかったんですか。顔もわからないのに」
「それは、その、えーっと……」
「そういえば昨日ここに大きな荷物が届きましたよね。中には私が見たことのない二次元絵のタペストリーやアクリルキーホルダーやフィギュアが……」
「ああ、もう疲れたなあ。疲れすぎて死にそうだなあ。僕は帰るから戸締りよろしく。あ、これ鍵ね」
「先生、先生、ちょっと待ってくださいよ! アンサーミー!」

 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 もし、お近くにモヤモヤしたかたがいらっしゃいましたら、お連れください。
 先生がなんとかしてくれます。
 たぶん、きっと。

訪問者2号「型」

 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 営業時間は昼過ぎの14時くらいから、22時までの8時間。
 世間様からずれたアバウトな商いです。それというのも『先生』のせいです。あの人は、朝を心から憎まれていらっしゃいます。
 ああ、噂をすればいらっしゃいました。

「いやあ、暑くない?」

 先生は何か言いたげです。ああ、わかりました。窓を開けてほしいようです。自分でやればいいのにと思いながら、私は窓を開けました。

「季節的には、まだ春ですよ」
「そうかなあ。初夏っぽい感じがするんだよねえ」

 どかりと椅子に腰を下ろすと、パタパタとファイルを団扇がわりにし始めました。

「ねえ、これから怒らせるようなことを言っていいかな?」
「ダメです」
「エアコンつけていいかな?」
「私の話聞いていました?」
「いや、だって、窓開けても全然涼しくならないじゃん」
「で・ん・き・だ・い。また値上げしたんですよ。これくらいで事務所のエアコン付けていたら破産します」
「あれ、そんなに火の車だった?」
「先生がっ! 出張で! ド派手に遊んだから!」
「ああ、でも、君も楽しんでたじゃない?」
「何か考えがあってのことだと思ったんです!」
「考え? ないね」
「はあ……。今月の私の給料、大丈夫ですよね」
「……たぶん、きっと、大丈夫」
「目をそらさないでください」
「いやいや、違うよ。ほら」

 ドアを見れば、お客様がいらっしゃいました。おっと、これは見るからに大変そうな感じがします。お顔が曇ってらっしゃいます。

「いらっしゃいませ。ご予約の方ですかね?」
「はい、申し訳ありません。少し早くついてしまいました」
「いえいえ、かまいませんよ。まあ、そちらの椅子におかけください」

 先生のすすめで、お客様が腰を下ろされました。なんとなく若そうな方で、女性用のキャリアスーツに身を包んでいらっしゃいます。卸したてなのでしょうか。ずいぶんとピシリとした感じがします。

「それで、どうされました」
「実は、私、殺されそうなんです」
「なるほど、それはお困りですね。詳しくお聞きしましょう。ちなみに警察には相談しました?」
「はい、でも取り合ってくれませんでした」
「それは、お気の毒に。失望されたでしょう」
「はい」
「なぜ警察はお話を聞いてくれなかったのでしょう?」
「たぶん、私が変なことを言ったから」
「変なこと?」
「私は、いっぱいいます」
「あなたがいっぱいいる?」
「はい、いつもいっぱいいて、特にこの時期はよく現れます」
「また、蚊かな」
「え?」
「失礼。何でもありません。その、いっぱいいるあなたは、同一人物という理解で合っています? 姿かたちが全く一緒という意味で」
「はい、合っています。全く一緒で……その、もし間違っていたらすみません。ドッペル……ゲンガー?」
「ドッペルゲンガーで合っていますよ」
「それだと思うんです。だから、私きっと殺されます」
「なるほど、確かにドッペルゲンガーに関しては見た人が死ぬとかいう話がありますね」
「はい、芥川龍之介も死ぬ前に見たとか」
「よくご存じで」
「はい、調べたんです」
「なるほどね。それで、あなたの場合、そのドッペルゲンガーがたくさんいるわけだ」
「はい、います」
「どんなときに現れるんですか?」
「どんなときって……というと?」
「そうですねえ、例えば道を歩いているときとか、あるいは家の中にいるときとか──」
「決まっていません。いつでも、どこにでもいました。道を歩いていても、学校にいても、不意にネットの動画やテレビに現れたりします。そう、特にこの時期は……」
「この時期? 季節性がある? いやいや、待てよ。ひょっとして結構前からドッペルゲンガーに遭っていた?」
「はい、去年からです」
「おおっと、そいつは想定外ですね。うーん、去年からというと去年の今ぐらいから?」
「えっと、はい、去年のこの時期からよく見るようになりました」
「見ないときもありました?」
「ありました。だけど、それもときどきです。一年通して、どこかで私は私を見ていました」
「色んな所で、ドッペルゲンガーに遭ったようですね。それで、よく見かけたのが、今の時期?」
「はい」
「先生、私は本当に私なのでしょうか」
「ずいぶんと実存的な問いかけですね」
「わからないんです。いっぱい、私がいすぎて、それにどの私も──」
「?」
「私よりも輝いて成功しています。色んな人に囲まれて、どの私も楽しそうなんです。どうして、私だけ──私は怖いんです。きっと私は殺されてしまいます」
「それはどうでしょうね。ちょっと違うと思いますよ」
「え……どういうことですか」
「あなたは殺されるとお話ししていますが、誰に殺されるのでしょう?」
「それはドッペルゲンガーです。ずっと話しているじゃないですか」
「なぜ?」
「それは……だって……そういうものでしょう?」
「確かにドッペルゲンガーを見ると死ぬ伝承はありますが、殺されるわけではないのですよ。あくまでも不吉の予兆で合って、死因ではない。それにもう一つ気になることが……あなたは先ほど輝いていると言っていた。それが気になっているんですよ。失礼だが優れている他のあなたが、なぜあなたを殺そうとするのでしょうか」
「私が言っていることを信じてくれないんですか」
「いいえ、信じていますよ。あなたは本当にたくさんのあなたを見てきたのでしょうね。もうひとつ。気になっていたのですが、今日はお仕事の帰りですか?」
「仕事……いえ、違います。なんで、そんなことを……」
「スーツ姿だからです。ちょっと確証はないんですがね。今も控えめに化粧をされて、整髪もしているのでしょう」
「はい、それが何か」
「怒らせてしまったのなら、申し訳ありません。じゃあ、なんでスーツなんですか」
「 れは から !」
「ん?」
「わた は 採 で ど 」
「あらら、やばいな」
「あれ? な だか、わたし おか くな て」
「名前を思い出してください。あなたの名前を」
「わた は、わた は──あ あ あ あ」
「仕方ない。失礼」

 先生は立ち上がると、お客様の目元あたりに手を当て、耳元と思しきところに顔を寄せられました。

「1、2、3で指が鳴る。すると、あなたは眠くなる」

 ぱちりと音がはじけ、お客様はぐったりと椅子にもたれました。

「ひとまず、これでよし」
「先生、この方は大丈夫でしょうか」
「うん? いや、大丈夫じゃないよ。だって、ほら消えかかっているじゃない」

 たしかに、その通りでした。お客様の身体は半透明になり、消えかかっています。ここに来られた時から、かなり危ないところだったのです。だって、お顔に靄がかかって、全く表情がわからなかったんですから。

「先生、何をなさっているのですか?」

 おもむろに先生はお客様のバッグを確かめ始めました。これは通報しないと。

「だいぶ絞れてきているんだけど、いまいち決め手に欠いちゃってね。ちょっとズルさせてもらうよ。このままじゃ、この人消えちゃうしね。えーと、いやあ、女の人っていろいろ持ち歩かないといけないから大変だよね。ああ、やっぱり、大学生か……一年留年しているな。ああ、だからかな。まあ、これだけじゃ──」

 先生の手が止まりました。

「あー、これかなあ。なぁんで、こんなの持っちゃっているかな」

 鞄から取り出したのは木製の櫛でした。

「それが原因ですか」
「うん」

 先生はしげしげと櫛を眺めると、机の上に置きました。

「ちょっと倉庫から清めの塩もってきて、それで塩水作ってきてくれない?」
「え? あ、はい、わかりました」

 私が塩水を水差しで持ってくると、先生は一杯だけコップに注ぎました。そして残りを霧吹きに入れます。

「そんなので、なんとかなるんです?」
「なるんです。たぶんね」

 先生が霧吹きをお客様にかけると、徐々に半透明から元の姿に戻りました。

「さて。私が指をはじくと、あなたは夢うつつで目を覚める。問われたことは憶えていないし、私の言うことを素直に聞く」

 先生が変なことをしないか、ちゃんと見張ります。指を慣らすと、お客様がとろんとした顔で目を開けました。

「失礼。まずはこれを全部飲んでください。ちょっとしょっぱいですけど、飲んで」

 先生が塩水のコップを渡すと、お客様は全て飲み干されました。あとで猛烈にのどがかわきそうで心配です。先生は続いて、机の櫛を手に取り、目の前へかざしました。

「こちらの櫛に見覚えはありますか?」
「……はい」
「どこで、これを手に入れました?」
「……渡されました」
「ふーん、誰に?」
「……知りません」
「ははーん。どうして、これを持ち続けていたんですか?」
「私と……いっしょだから。そういわれたから」
「なるほどね。ありがとうございます。この櫛は私がお預かりしましょう。あなたは、この櫛のことを忘れて、就職活動に専念されてください。きっとうまくいきますよ。さあ、私が手を叩いたら、あなたは完全に目が覚めます。希死念慮ともおさらば。さあ、カルペ・ディエム。はい!」

 先生が手を叩くとお客様は目を覚まされました。

「え、わたし、いったい……」
「ご気分はいかがです?」
「え? ちょっと喉が渇いて、それに、服が湿っている?」
「おっと、よろしければお茶をいれましょう。服が渇くまで休まれて──」
「いえ、大丈夫です! 大丈夫ですから! 失礼しました」

 お客様はそそくさと出ていかれました。

「なにか、また誤解されたな」
「通報されなければいいですけどね。その櫛、とっちゃいましたし」
「憑き物なんだから仕方ないよ」
「あっけらかんと言いますね」
「だってそうじゃない」
「なんなんですか。その櫛」
「うん、これ? これたぶんソメイヨシノの櫛だね」
「桜ですか?」
「うん、知っているかい? ソメイヨシノって、全部同じ株から生まれてきているんだ。まあ株分けってやつだね」
「へえ」
「興味なさそうだね」
「そんなことありませんよ(棒)。それが何か?」
「つまりね。ソメイヨシノは全部遺伝子レベルで同じ個体、クローンってやつだよ。ちょっと雑な例えだけど、種族レベルでドッペルゲンガーなのさ。今回は、そのソメイヨシノの生い立ちが、あの大学生に祟ったんだと思う」
「あの人、桜に深い縁があったんですか?」
「たまたま境遇が重なったのさ。彼女、変だと思わなかった? 学生なのにスーツ着てただろう? あれ就活中のリクルートスーツさ。ここからは僕の推測だけど、たぶん上手くいかなかったんじゃないかな。学生証を見る限り、留年しているし。留年生って就活だと不利なんだよね。自分と同じリクルートスーツ着た子たちが採用されていく中で、ずっと就職活動するってのは相当堪えると思うよ」
「そこをソメイヨシノの怨霊か何かにつけこまれた?」
「それなんだけどねえ」

 先生は抽斗からお札を取り出すと、櫛に両面テープで貼り付けました。あれはがすの面倒なんですけど、大丈夫かな。

「あの子、誰かに渡されたって言っただろう。仕組んだ奴がいるってことだよ」

 珍しく険しいお顔です。

「誰が何のためか、知らないけどさあ。酷いことするよ。あの子、あのまま祟られたら、自分が誰かわからなくなって消えてしまうところだったんだから」
「酷い話ですね」
「酷い話なのさ」
「ところで先生」
「うん、なに?」
「先ほどのお客様からお代をいただいていませんが?」
「あ……そうなの?」
「もう! 先生がすぐに帰しちゃったじゃないですか」
「ああ、そっかぁ。うーん、この櫛、売ろうか?」
「せんせいー!!」

 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 もし、あなたがモヤモヤしているのでしたら、ぜひお越しください。
 先生がなんとかしてくれます。
 破産していなければ、たぶん、きっと。

訪問者3号「跳」

 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 営業時間は昼過ぎの14時くらいから、22時までの8時間。
 世間様からずれたアバウトな商いです。それというのも『先生』のせいです。あの人は、朝を心から憎まれていらっしゃいます。
 ああ、噂をすればいらっしゃいました。

「働きたくないなあ」

 いやあ、のっけから舐めたことをおっしゃいました。

「古来から働かざる者食うべからずと言われていますよ」
「君の言う古来って紀元前の方かな? それとも20世紀の方? 後者ならだいぶぞっとしないよ」
「どっちから知りませんけど、先生の労働意欲を刺激するほうです」
「なら、両方とも効き目なしだね」
「ええ……」
「ああ、この世に労働なんてあるから不幸が無くならないんだ」
「あの世に旅立たれてはどうですか?」
「あの世も似たようなもんだよ」
「行ったこと事あるんですか?」
「なにけど? 何言っているの?」
「先生がっ! さっき! 断言したからっ!」
「めんご」
「はあ」
「ため息つくと、お金が逃げるよ」
「誰の言葉です?」
「僕の言葉」
「はあああ」
「あ、今ので五百円くらい逃げた」
「その微妙に現実的な数字やめてください。本当になりそう──あ、お電話です。もしもし、はい、お世話になっております。あ、はい、わかりました。先生、大継おおつぐさんからです」

 あからさまに先生が嫌な顔をしました。

「いま、居ないと言って」
「わかりました。あ、もしもし、はい、いらっしゃいます。お電話代わりますね」
「無慈悲」
「嘘は良くないです」

 しぶしぶ先生は受話器を受け取りました。なんとなくざまあと思いました。

「はい、代わりました。いえ、別に、居留守とか使ってませんよ。あー、良くない。そういう人を疑うのは良くないなあ。え? あ、はい、ごめんなさい。それで、ご用件は? ああ、なるほど、そっちで手に負えなくなった? それでうちに? あらら、かわいそう。お役所の伝統、たらい回しですか。いや、そんなにキレんでもいいでしょう。とにかく、うちに来るんですね。それで、いつ……え? 今日!?」

 先生が素っ頓狂な声を上げると、事務所の扉が開きました。

「ごめんください」
「先生、お客様です」
「あらら、本当に来ちゃった。じゃあ、電話切りますよ。ああ、振り込みをお忘れなく。じゃあ、また──さて、どうぞ、おかけください」
「はい」

 お客様は可愛いらしい印象を覚える方です。なんというか、どこか放っておけないような。保護したくなる感じの方に見えました。

「どうぞお座りください」
「えっと、はい、あの、わたし、大継さんから紹介されて」
「はいはい、伺っていますよ。なんでも、お悩みとか」
「その、ここにくれば解決すると言われました」
「なるほど、まあ、解決とは少し違うかもしれませんが、お力になりましょう」
「お願いします。本当に困っているんです」
「何にお困りですか?」
「あの、なんていうか、その、私、どうも疫病神みたいなんです」
「ふむ、それは大変ですねえ」
「え……反応が普通。変だと思わないんですか」
「別に、変なことじゃないですよ。よくあることです」
「そ、そうなんですか?」
「はい、そうです。わりと良くあります。それで、なぜ自分が疫病神と?」
「なんていうか、私がいると、次々と不幸が起きるんです」
「不幸とは、例えば?」
「言いにくいんですけど、私の最初の家族は全員死んじゃっているんです」
「ほう……それは、お気の毒に。もしよければ、詳しく話を聞かせてくれますか」
「あ、はい、父と母が海外旅行に行ったんですけど、その乗っていた飛行機が爆発して……遺体は今も見つかっていないんです」
「壮絶なお話ですね。それは何年前ですか」
「えっと、6年前、中学一年生のときです」
「おつらいですね」
「そうですね。やっぱり、今でもそのときのことを思い出しちゃいます……」
「あなたは一緒に旅行に行かなかったんですね」
「あ、はい、私は母の実家に預けられました。父と母の結婚十五年目の記念旅行で、夫婦水入らずで行きたかったんだと思います」
「ふうむ、寂しくなかったですか?」
「寂しかったけど、しようがないかなって」
「ん? しようがないとは?」
「なぜかわからないんですけど、父と母の仲が良くなくて、旅行で仲直りしようってしていたんです」
「それは、誰の計画で?」
「父ですね。私に相談があって、それで二人きりで旅行でもって話に……」
「ああ、なるほど……お二人が帰らぬ人となったとき、あなたはどう思いました」
「え……わかりません。覚えてないっていうか。悲しくてショックで、記憶があやふやで」
「ええ、そうなりますよね。まあ、無理もない。ご気分を害されたのなら、失礼。さあて、少し話を進めましょう。ご両親を亡くされた後のあなたについて聞かせてください」
「あ、はい。その後、私は母の実家で暮らすことになりました。ただ……」
「?」
「その家も、3年前に火事になってしまって──」
「わお。失礼ですが、実家のご家族は?」
「あ、それは無事でした。母のおじいちゃんもおばあちゃんも無事で、今は別のところに住んでいます」
「なるほど、不幸中の幸いと言うか、まあ命あっての物種ですからね」
「はい、でも、二人にとって思い出の家だったみたいで、すごく悲しそうだったんです。私、その辛かったです」
「でしょうねえ。火事の原因は?」
「わかりません。警察や消防の人は放火かもって、でも犯人は見つからなくて」
「うわぁ、やるせないなぁ」
「はい、どう納得したらいいのかわからなかったです」
「火事の後はどうなったんですか」
「その後は、父の実家に引き取ってもらいました」
「それが今、住んでいるところですか?」
「はい、でも……」
「え? まさか?」
「また火事になっちゃって」
「おっと……」
「今度はボヤ騒ぎで済んだんですけど……」
「火事の原因は?」
「それが、今度もわからないんです。それだけじゃなくて、私、今年の春から大学に行き始めたんですけど、そこで入ったサークルの部室も火事になって」
「わおわお」
「もうなんていうか、家にも帰りづらいし、サークルにも居づらいし……どうしたらいいのって。私がいると、周りの人がどんどん不幸になっていくんですよ。私やっぱり疫病神なんです。そうでしょう」
「いや、たぶん、あなたは違いますねえ」
「ええっ?」
「ちょっと気になったんですがね。最初の方に戻りましょうか。あなたのご両親が健在だったころです。お二人の仲が上手くいってなかったと聞きましたけど、それっていつごろからです?」
「えっと……たしか私が小学6年生くらいのころだったと思います」
「その頃、何かご両親にありました?」
「うーん、いえ、特には……」
「すごく失礼な質問しますけど、どちらかが浮気していたりとか?」
「え、本当に失礼」
「ごめんなさい。でも、今思い返してみてどうです?」
「ありえないです。だって、父は母のことが本当に好きでした。私が言うのもなんですけど、母は娘の私から見てもすごくきれいだったんです。お料理も出来たし、家事も一通りこなしていました。父は父で、頭が良くてまじめだったから、そんな浮気なんて……ありえない、です!」
「わかりました。それじゃあ、あなたとお母様についてはどうでしょう?」
「私?」
「はい、仲は良かった?」
「なんで、そんなことを?」
「どうなんです?」
「えっと、それは……」
「言い淀むってことは、あまり良いわけではなさそうですね」
「あの、その……はい。悪いわけじゃないんですけど、なんかちょっと変だった感じはします」
「変とは?」
「ときどき余所余所しいっていうか、他人ごとみたいな感じになって……」
「どういうときです?」
「よくわかりません。本当に何が引き金かわからなかったんです」
「では逆に考えてみましょう。お母様は、どういうときにあなたに優しく接してくれました?」
「それは……あ──父と三人でいるときです」
「ははん、なるほどね」
「え、どういうことです」
「ご両親は恋愛結婚?」
「え、はい。大学時代にサークルで会って、そのまま付き合って結婚したって聞きました。母は大学のミスコンに出るほど人気があって、父はすごいうらやましがられたそうです」
「でしょうねえ。あなた、お母さん似だって言われませんか?」
「えっと、はい、よく言われます。ちょっと嬉しかったりします」
「はい、わかりました。やっぱり、あなたは疫病神じゃない」
「え? え? どういうこと?」
「でも、このままだと、かなり不味いので、なんとかしましょう」

 先生は突然立ち上がると、事務所の外へ出ていかれました。残された私はお客様と一緒に途方にくれます。

「あの、これお茶です。どうぞ」
「え、あ、はい、ありがとうございます」
「すみません。いつも、あんなんなので気になさらないでください」
「大丈夫です。私も普通じゃないし」
「そうなんですか?」
「だって、そうじゃないですか。親を亡くして、遺された家族も不幸にして、関わった人たちも……先生はちがうと言っていましたけど、やっぱり私、疫病神なんです」
「うーん、でも──あ、戻ってらっしゃいました」

 先生は段ボール箱を抱えていらっしゃいます。

「あら、よっこいせと。あなたにはいくつか魔よけのアイテムを渡しておきましょう」
「え、どういうことです?」
「ぶっちゃけ、あなたが疫病神じゃなくて、あなたに憑いているのが疫病神的なあれなんです」
「先生、雑すぎませんか」
「いや、口で説明しきれないあれなんだよ。だから、これを持ってきた。はい、ちょっとショッキングかもしれませんが覚悟してくださいね。はい、この鏡を見て。これがあなたの背後にいます」

 先生は段ボールから鏡を取り出すと、お客様の前に掲げました。

「…………」

 大変です。お客様が白目をむかれました。

「あらら、気を失っちゃった」
「あららじゃないですよ! 何をしたんです?」
「いやあ、憑いている者を見せただけさ。ちょっとだけ加工したけどね。まあ君も、この鏡を見てごらん。君の場合、この人と違って見慣れているでしょ」
「……なんです? このお客様の後ろに映っている人って……いや、人なんですか。まるで鬼みたいですよ」
「鬼みたいなもんかな。これが疫病神とやらだよ。そして、その正体は──」

 先生は鏡をくるりと一回転させました。再びお客様の背後に鬼が映り……あれ?

「ちょっと待ってください。この人って……」
「おっと、そこまで。目を覚ましたようだ」
「う、うん……あ、先生」
「気が付かれました」
「あ、あの! 私、どうなっているんですか。あんな醜くい化け物が後ろにいるなんて、あの、あいつのせいなんですか!? あの化け物のせいで、私は、私のお父さんとお母さんは──」

 先生はお客様の前で手を叩きました。するとお客様はびっくりして、金縛りにかかったようになってしまいました。

「落ち着いてください。はい、深呼吸。今から私が説明します。大丈夫。あの化け物は、あなたの元から去っていきますよ。いいですね」
「は、はい。えっと、深呼吸。すうはあ」
「それでオーケー。さて一つずつお話ししましょう。まず、ご両親の事故ですが恐らく化け物とは無関係です」
「え、そうなんですか」
「はい。ただし、その後に起きた一連の火事は、あの化け物のせいです。あれはそういうたぐいのまあ妖怪なんですよ。ただ命までは取らないと思うので、そこはご安心を」
「でも、私、どうすれば……先生、なんとかしてください」
「もちろん、なんとかします。でも、すぐにあなたから引き離すことは出来ない。無理やり引き離すと、あなたに害を及ぼすかもしれないので──はい、これを差し上げます」
「えっと、眼鏡?」
「はい。度なしの眼鏡ですが、魔よけの細工をしています。しばらくの間、それをかけて生活してください。完全にいなくなるまで時間がかかると思いますが、あなたの周辺の不幸は無くせますよ。どうです? 試してみますか?」
「……わかりました。わたし、この眼鏡をかけます。それで疫病神を退散できるのなら!」
「よかった! では、定期的にこちらにいらしてください。経過観察としましょう。あと、それから──」
「?」
「その眼鏡、一人のときは外して大丈夫です。ただ、誰かといるときは必ずつけてください。特に異性といるときはね」
「男の人と? なんでです?」
「うーん、あの妖怪は特に男性に害を及ぼすんですよ。だから、まあ、つけておいたほうがいいかなと」
「わかりました……! 気を付けます」
「はい、そうしてください。じゃあ、今日はここまでとしましょう」
「あ、はい。その、ありがとうございます!」
「いいえ、どういたしまして、気を付けてお帰りください。あ、お代は結構ですよ。今回は役所のご紹介なので……」
「え……ありがとうございます!」

 お客様は何度も頭を下げるとお帰りになられました。

「ふう、やれやれ。まあ、しばらくはあれで誤魔化せるでしょう」
「え!? どういうことです?」
「あれ、たぶん完全に退治するのは無理なんだよ。せいぜい力を弱めるくらいかな」
「先生、あの妖怪の正体って……」
「うん、あの人のお母さん」
「やっぱり、お顔がそっくりでしたもん。でも、なんであんなことに?」
「白雪姫と飛縁魔の掛け合わせみたいなもんかな。まあ、毒リンゴじゃなくて放火しまくるっていうのがたちの悪いところだね」
「さっぱり意味が分かりません」
「うん、つまりね。あの子のお母さん、娘に嫉妬していたんだよ。自分そっくりの若々しい娘にね」
「そんなことって、だって血を分けた子供ですよ?」
「だからこそ、強力なライバルに見えたんだろうね。思い出してごらん。あの娘さんが十二のときから母親との仲が微妙になったって言ったろ。ちょうど生理が始まるタイミングだ。その瞬間から娘は子供じゃなくてライバルになったんだ」
「でも、親子三人のときは仲良かったって言ってましたよ。妖怪になって祟るほど憎めるんですか」
「それも裏があると思うね。なんで親子三人のときだけ仲が良かったのか。それは自分が母親と言うロールを夫と子の前で演じなければならなかったからさ。逆に言えば、どちらかいなくなったときは親のロールをしなくなったってことさ。つまり一人の嫉妬に狂う女に戻ってしまう」
「そんな……」
「今回の不幸は彼女の母親が嫉妬を抱いたまま死んだのがまずかった。生霊なら対処のしようがあるけど、妖怪レベルの怨霊はすぐには無理だ。だから、今回はあの眼鏡をあげたわけ」
「あれで何とかなるんですか?」
「うん、あれね。あの眼鏡は人外の認知を歪ませるんだ。端的言えば、ブスに見える。だから、あの子の背後にいるお母さんには、スゲーブスな娘に見えているはずだよ。嫉妬なんて抱きようもないほどにね」
「ええ……」
「大丈夫だよ。人には影響しないから。まあメガネっ子属性が永久付与されたくらいさ」
「でも、ちょっと見た目には影響しますよ? コンタクトとかじゃな駄目なんですか?」
「メガネっ子の何が悪いんだい?」
「いや、別に悪いなんて……」
「いけない。いけないなあ。君、言外に眼鏡をかけると魅力が落ちると語っているぞ。そういうのは、よくない。いいかい。人類の歴史は眼鏡によって飛躍的な転換を迎えたんだ。視力の弱いものに光を与えた。考えても見たまえ、今まで目が悪くて字を読めなかったものが読めるようになり、知力を向上させることできるようになった。アクセアリーとしても革命的だよ。イヤリングやネックレス、ピアスだけではない。顔に装着可能な装飾物が誕生したんだ。よく考えてみてくれ。人間の顔のパーツの中で、いかに瞳が重要な美的ファクターなのか。古来それこそ紀元前のエジプトから目元にアイシャドウを施すなどして──」
「ああ、めんどくさくなったので、私、先に失礼しますね」
「え、いや、ちょっと待ちなさい。僕の話はまだ終わってないよ。なあ、君は眼鏡の深淵を知らないんだ」
「さ・よ・う・な・ら」

 ここは都内某所の相談所。
 色んな方がモヤモヤを抱えてくるところです。
 もし、あなたがモヤモヤしているのでしたら、ぜひお越しください。
 先生がなんとかしてくれます。
 ちょっと、めんどくさいときもありますけど。


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