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ワンダーランドタイランド / ARRIVAL

機体から足を踏み出すとそこは南国だった。体に絡み付く暑さと湿気。南国に着たのだと肌で感じさせられる。着いた先は、バンコクの中心部より30キロ程の場所に位置するスワナンプーム国際空港。アジアにおける新時代の24時間体制のハブ空港だ。

それは想像以上に近代的であまりにも巨大。成田の3倍の大きさだ。その規模、その建築様式はどこかドイツのフランクフルト空港に似ている。そこにいる人も日本の成田や羽田では見る事のない様々な人種、欧米人はもちろんの事、インド系、アラブ系、ヒスパニック、アジア系。世界中の人種が集う、これこそまさに国際空港と呼ぶに相応しい空港であり、東南アジア、タイの勢いを実感した。

到着時間が夕方だった事もあり、足早にイミグレーションを終え、宿泊予定地のバンコクの中心部へ向かう。と簡単に言いたいところだが、ここはバンコク、日本の時間厳守の精神は通用するはずもない。同じアジアなのだから時間はそれなりに守ってくれるのかなと淡い期待をしてしまっていた。

タクシーで行けば1000円程度なのだが、せっかくしばらくバスを待っているのに今更タクシーで行けるかと意地を張りになり、結局1時間半そこで待つ事に。しまった、かなり無駄に時間を使ってしまった。バスを待っている間、人間観察をしているとふとある事に気がついた。

以前よりタイはニューハーフが多いとの話は良く耳にしていた。しかしながら、空港の中だけでも、明らかに女装をしたニューハーフの人、見た目は男性だが心が乙女のゲイさん達がやたら目につく。まさかここまでとは。空港の職員と言えば、日本では少し敷居の高い面があるが、そういった方々も女装をしたまま働いている。要はニューハーフが、ゲイが市民権を得ているのではないだろうか。

バスを待つ間の人間観察にも飽きて、バス案内所の人(見た目は男、心は乙女)と痴話でもするかと案内所に向かう。僕は非常に痩せているし、他の国の人から見れば服装もゲイに見えないとは言い切れない。ロンドンに住んでいる頃もゲイにアプローチをされる事もしばしば。ゲイには割とモテル方だと変な自信を持っていた。

ところがどっこい、どうやらタイのゲイの方々の好みは違うらしい。俺の趣味は筋トレですと言わんばかりに筋肉モリモリの体を見せつける程深く開いたVネックのタンクトップを着た屈強なヒスパニック系のアメリカ人がやって来た。するのその案内人(見た目は男、心は乙女)は僕と話をしているのにも関わらず、初恋をした少女の様に目をキラキラさせて足早に僕の場所を後にし、いわゆるオカマ走りでその男の所へ走っていってしまった。僕の存在は始めからそこになっかたように。

「オイオイ、別に残念でもなんでもないけど、悔しい気持ちにさせるなよ。」と一人ぼやきながら溜め息混じりにタバコを吹かしていると、遂にバスが来た。

そしてバンコクの中心部へ。

バスを降りるとそこは夜だった。初日は到着時間が夕方になると分かっていた事もあり、初日の宿は確保していた。以前バンコクを訪れた事がある友人がおすすめしてくれたのだ。早速地図を広げ宿を探す事に。

しかしバスを降りた場所は、立ち止っている事が許されないくらいの人だかり。バンコクは夜になると屋台が所狭しと現れる。僕が降り立った場所が繁華街だった事もあったのだが、そこには多種多様な屋台で溢れている。フルーツ屋、ラーメン屋、チャーハン屋、お土産屋、服屋、エログッズ屋、ナイフや警棒を売る屋台まで。そして道路は、タクシー、車、トゥクトゥク、そしてそれらから発せられるクラクション、道行く人々の熱気で溢れている。

僕はバンコクにいるのだ。

背中に背負ったバックッパックを道行く人にぶつけながら屋台で埋め尽くされて狭くなった歩道を歩く人をかき分けながら歩いていく。暑さと人々の熱気が絡み付く。

「邪魔だ、退け!」。風俗の客引きがうっとうしい。

僕はいつの間にかイライラしていた。客引きなんか冗談を織り交ぜて笑顔で交わせばいいものを、僕の心の中はネガティブな感情で埋め尽くされていたのだ。それは暑さのせいなのか、それとも寝不足のせいなのか。一人旅は慣れているはずなのに。

そんな感情を傍らに置いたまま宿に着いた。

宿は友人がおすすめするだけあって、木や草が生い茂るファンキーなゲストハウスだった。欧米人のバックパッカーが多く集まりそうな宿だ。日本円で1500円程度だが、部屋もそれなりに広くシャワーもついている。汗と体の火照りを冷ためのシャワーで洗い流し、気持ちが落ち着き、冷静な自分を取り戻した。

何故、僕はこんなにイライラしてたのだろうか。ピリピリと神経を尖らせていたのだろうか。すべて笑顔でかわせる事じゃないか。自分で何故、旅をつまらないモノにしてしまっていたんだ。

僕は街に呑まれてしまっていた。街の、人々の、熱気に圧倒されてしまっていた。だからこそバンコクという街に対して、人々に対して牙を剥いていたのだ。 以前、ヨーロッパ周遊の旅の途中でパリに立ち寄った。その際にも同じような感情が芽生えた事を思い出した。TGVという列車に乗りベルギーからパリに入る際に、僕は座席の指定券を取るのを忘れて罰金を取られた事があった。それがパリの列車の規則に違反している事をしらず、列車員の嫌がらせなのかと勘違いし列車員とおおいに揉め、口論のあげく結局罰金を取られた。その後も、ことあるごとに物事をネガティブにとらえ、パリを嫌った。そしてパリを憎んだ。自分のミスが発端なのにも関わらず。

モノの考え方、捉え方一つで旅は、素晴らしいものにも、最悪なモノにもなる。喜びや楽しさ、幸せは自分で創り自分で掴むものだ。それはパリでの一件が教えてくれた事だった。

「街に呑まれるくらいなら、自らとことん呑まれてやろう!」と腹をくくり、気持ちを切り替え、パスポートとクレジットカードを置き、はじめからボラれる覚悟の現金を握りしめ、夜の街に飛び出した。


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