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東アジアの奇跡 – 台湾スピリチュアル編


今回台湾を訪れたからにはやらねばならなぬ事がもう一つあった。

僕は旅を最大限楽しむ方法論の一つとして、その街の最先端な部分に触れるのと同時にその街に古より残る精神性、宗教性、スピリチュアルな部分に触れるという事を心がけている。文化の古から未来へ、文化の端から端へ。その旅のポリシーはその街に生きる人々の多様性を垣間見させ、そこに生きる人々への理解が少し深まる気がする。

今回もまた台北のクラブ遊びの隙間に何処を訪れようか出発の前に悩んでいた。すると東京で一緒に住むパートナーより台北の南の端にある宮殿 "指南宮” を勧められた。というよりパートナーからその指南宮へお礼に参りに行って来てとことづけられたのだった。

それを耳にした時は「お礼?」という気持ちだったが、彼女はどうやら僕と出会った事はその指南宮のマスター(門主、一番偉い人)の助けがあったからなのだと言う。彼女が仕事のし過ぎで恋愛の仕方を忘れてしまっていた時期に、束の間の休暇で台湾を訪れていた時、なんとなく指南宮を訪れたらマスターが突然現れて話を聞いてくれて、良きパートナーに巡り会える事をお願いして帰国したら僕と出会ったのだとか。

「マスターが突然現れて何も言わずにそこの椅子に座れって指をさしたの!君が来る事は分かっていたって。笑 それでマスターに話をしてるうちに何故だか涙か出始めてね。そしたら涙が止まらなくて困っちゃったのよー!今思えばあれは不思議な体験だったなぁ。」

彼女はおとぎ話でもしているような顔で僕にそう告げた。

「台湾の神様はお菓子が好きだから!」という意味不明な理由で、彼女に大量のお菓子をお礼の品として持たされて僕は台湾に出発した。

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『指南宮 : 台北の街の南に位置する120年以上の歴史を持つ台湾道教の総本山である。風水や占いが暮らしの中に根付く台湾でも聖地の一つと言われており、猫空と呼ばれる有名なお茶の名山の上に気高くそびえ建つ宮殿(廟)。その眼下に広がる美しい茶畑の景観と、歴史的に道教をはじめ、儒教、仏教を含むその色彩豊かなその宮殿は人々を魅了し、年を通して国内外から多くの来訪者が後を絶たない場所である。』

道教と聞いてもピンとこない人が多いかもしれないが、イメージしやすい事柄で言うと、陰と陽で表した白黒の円形の図柄がある。宇宙の真理を "道 – タオ”とい言葉で表し、アミニズム(自然崇拝)を原理とした宗教であり日本の神道に近しい感覚を持っているらしい。太極拳とか、陰陽道とか風水と易とかもこの道教下の元で生まれた文化であるというのを聞くと道教という宗教観をイメージしやすいかもしれない。

台湾に行くと台湾人は本当に信仰深く、風水をはじめ占いが大好きだという事に気がつく。街を歩いててもあちらこちらで占いの看板を見かけるものだ。支柱推命や手相占い、それに亀占い等。種類をあげればきりがない。お寺や公園、路上でも赤い石を地面に投げつけ占いをしている人たちもよく見かける。これは "ポエ" と呼ばれる神様に質問をする占いらしいく、熱心に赤い石を地面に投げつけ神様に ”YES or NO” で質問に答えてもらう占いらしい。

日本で言うと昔流行ったコックリさんに近いしいものなのかもしれない。台湾では老若男女問わず、皆熱心に(下手をすると何時間も)行い、人々の生活に占いがしっかり根付いている様子が伺える。


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僕らは昨夜のクラブ遊びで疲れた果てた身体で指南宮に向かった。

普通であれば台北に南に位置する動物園駅からロープウェイで指南宮にあっと言う間に行けるのだが、幸か不幸かロープウェイがしばらくの期間工事中で使用できないらしく、道行く人に尋ねながらバスを乗り付きやっとの思いで指南宮の麓まで辿り着いた。

指南宮の宮殿(廟)は山の頂にそびえ立っているのでバスの最終地点から数キロ急な勾配の階段をひたすら登って行く事になった。しかしロープウェイが工事中との事もあり、人が全くと言っていいほど居ないのは僕らにとってそれは幸であった。

階段を上がる程空気が澄んでいくのを感じる。昨夜のクラブ遊びでの寝不足とお酒の残る身体に鞭を打つつもりで臨んだ指南宮への道のりだが、不思議とその疲れを感じる事はなかった。

宮殿までつながる長い階段を上がるたびに眼下に広がっていく美しい茶畑と、遠くに霞がかってそびえ立つ山々の神秘的な景観は僕らの身体に溜まる疲れとお酒を思い出させなかった。いやそれ以上にその宮殿の地に足を踏みいれた時にから微かに感じていた感覚は、どこか” 神聖 ” という言葉を互いに僕ら二人の中に想起させた。そして真っ青な空の中遠くにそびえ立つ山々上から暖かい春に感じる柔らかい日差しが僕らを優しく照らし続けてくれた。

そんな春に感じるような軽やかな足取りで急な勾配の階段も難なく登り上げ、気がつけば宮殿に着いていた。宮殿に入っても人影は少なく、辺りを見渡して目に入る人影は日向ぼっこしながら眠るおじいちゃんとその横で同じように眠る猫だけだった。宮殿内には厳かなでも優しい空気が流れ、そこだけ時間の流れが下界とずれている感覚させあった。


山吹位色と朱色を基調とした廟の中にはうっすらと線香と果物らしき香りが立ち込み、ふとそのうすい果物の香りの方向に目をやると大きな机の上に様々な種類の果物とそれと大量のお菓子が並べられていた。

「台湾の神様はお菓子が好きだから!」と言うのはこの事だったのか。僕らは微笑みながらその祭壇に持ってきた大量の日本のお菓子を並べてお参りをした。

指南宮は山の頂にそって何軒も廟(宮殿)が建てらており、全ての廟を見て回ろうと思うとアップダウンを繰り返す階段と道を歩いて回らねばならなかった。それでも優しく照らす太陽と神秘性を帯びたその敷地の雰囲気は僕らに疲れを感じさせる事はなく、歩いて行くとそっと現れるそれぞれ異なった廟の美しい佇まいに僕らは夢中になっていた。ある場所には机が多く並べられた教室のような部屋もあり、おそらくここで道教の学びを請う僧侶達が熱心に勉強しているのだろうと僕らは想像した。

数件の廟を見終えて次の廟を目指し歩いていると、ここに指南宮に仕えているのだろう思われるずんぐりとした背中の僧侶とすれ違った。

「あっ、僧侶がいる!」

僕らはすれ違いに彼を眺めていると、その僧は僕らに気づいたのか、こちらの部屋に来いと右側の扉の向こうに目配せをしたように見えた。僕らは彼がとった今の行動は何なのかいまいち分からなかったが何となく彼が目配せした部屋の方へ向かった。

頭を下げないと入れないくらいの低い扉をくぐると回廊となる通路に様々な種類の神様が祀られていて、その横には小さな部屋が設けられていた。そこには先ほどの僧侶が低いテーブルの前に静かに座り僕らを待っているようだった。僕らはその場で彼を眺めていると、その僧侶は僕らにここに座れと無言で目の前にある椅子を指さした。

「あれ?この話聞いたことある!デジャブか!?」

いや違う。これは出発前にパートナーに聞かされた話そのものではないか。突然マスターが現れ椅子に座れと椅子を指びをさす。僕らは狐につままれたように唖然とした状態で僧侶の前に並べらた椅子にちょこんと腰を降ろした。

「貴方はマスター(門主)ですか?」

僕は恐る恐る英語で彼に尋ねた。しかし彼は僕の質問に意を介さず目をつむり瞑想を始めていた。そんな様子を僕ら二人が眺めていると後ろの方から若い女性の流暢な英語が聞こえてきた。

「えぇ、彼はここのマスターです。彼は英語を話しません。でもマスターは貴方達を占ってくれるみたいですよ。」

後ろを振り向くと30代前半くらいの小綺麗な若い女性が立っていた。「何か聞きたい事があれば聞いてくださいね。」と彼女はにっこり笑いマスターに会釈をした。流暢な英語を話す彼女はここ指南宮で道教の勉強に励み、マスターに仕えているとの事だった。彼女のその綺麗な発音の英語と凛とした所作はどこかで高度な教育を受けた者のようだ。

僕は片言の英語でまずは今回指南宮に来た理由と良きパートナーに巡り会えたお礼をマスターに伝えた。するとマスターは通訳する彼女の言葉を聞いてニッコリ笑い嬉しそうな表情を浮かべ、ここの神様へはお礼としてお菓子をお供えしてあげてくださいねと言った。

( やっぱり台湾の神様はお菓子が好きなようだ。笑 ) 

するとマスターは白い紙を僕ら二人の前に差し出し、この紙に今住んでいる住所と氏名を書きなさいと伝えた。「住所?」と思って通訳の女性に聞いてみると、書くのは台湾の滞在のホテルではなく、日本で住んでいる住所を書いてとの事のようだ。

台湾では通常、神様にお願いをするとき、「何処何処に住んでいる何(名前)と言う者です。」という風に前置きをして神様にお願い事をするらしい。そうじゃないと誰のお願い事が分からなくなってしまうとの事だ。今回は日本語の住所は台湾語では言えない為に、紙に書いてくださいとの事だった。その人間ぽい神様の在り方を想像し僕は微笑ましさを感じた。

僕らは二人ともそれぞれの住所を書き、今後の人生についてどうなって行くのか、どういう行動をとっていけばいいのかと結構幅の広い質問をした。

僕らのそれぞれの質問に対して、マスターはずんぐりとした背中を更に丸めそっと目をつむり、僕らの書いた紙を手で触れ小声で念仏を唱えながら再び瞑想に入っていった。

目の前にいるマスターは目をつむり口元だけ何かの念仏を唱え続けている。その様子をじっと眺めていると目の前に居るはずのマスターの存在が、少しづつ少しづつ薄くなってきているように感じるのは気のせいだろうか。

マスターの存在が少しづつ少しづつ地中深くに沈んでいくような、また別の此処ではない何処かに向かっているような、彼の存在感がどんどん薄く小さく感じる。終いには目の前に居るはずのマスターの存在感を全くと言っていいほど感じない。視覚では捉えらえて居るはずなのけど、その存在を感じる事ができないという不思議な感覚。ドラゴンボール的に言えば “気を消している” そんな感じがした。

何秒だろうか、いや何分だろうか、、、。沈黙の時間が流れた。

マスターがふっと目を開くと同時に張り詰めていた沈黙の空間が緩んだ。そしてマスターの存在が再び目の前に現れたのだった。目の前に居るはずなのに居ない存在感。実に不思議な現象だった。

マスターは中国語で僕らの目を見て話を始め、それを追うかのように通訳の女性は流暢な英語で通訳を始めた。

どうやら僕の友人には、口元に大きな白い髭蓄えたを素晴らしい老人の神様が彼を見守っているようで人生で困難に陥る事はないとマスターは彼に言った。貴方は神に愛されし子だと。

確かに友人は自他共に認める運の良い奴で、幸運の星の元に生まれたような人間だ。僕もその友人本人もマスターの言葉を聞いて妙に納得してしまう。マスターも「その白い髭の人に思い当たる節はないか?」と友人に問い、友人もどうやらおぼろげに思い当たる節があるようであった。友人はそれを聞いて自分の幸運に更なる自信を感じた表情になった。相変わらず羨ましい奴だ。

だけれどもマスターは言葉の終わりに一つだけ真剣な表情で彼に伝えた。「今決断を悩んでる事があればなるべく早く決断しなさい。その決断を長引かせる事は何も良いものを引き寄せない!」と。これもまた友人はおもいっきり思い当たる節があるようでギョッと驚いた表情をしていた。

僕に限っては妙にリアリティのある事を伝えられた。

「 貴方の人生は走り回る人生であり、それを受け入れなさい。貴方は消化器系が弱いので気をつけなさい。そして親が元気なら今親孝行をしなさい。特に母親に。それと絶対にお金の保証人になってはいけない。それが災いして君の人生は転落する事になる。」

友人への伝え方と比べ僕には神妙な表情で強くマスターはそう伝えるので僕は驚いた。どうやらマスターは万人に受けるもの言いをしている訳ではないらいいのは確かだ。それに僕は、公私ともに頻繁に旅をし、"LIFE IS JOURNEY"という言葉がしっくりくるような非常に移動の多い生活をしている。それをなんなく言い当てるマスターを信用しない訳にはいかないと僕は肝を冷やした。とりわけ保証人に関してマスターは繰り返し僕の眼を見て言い、「気をつけろ!」と言い、その表情に僕は圧倒され僕は唾を飲み込んだ。

マスターは僕に限っては特別に目の前で住所を記載した上に火をくべて紙を炊き上げる業まで行ってくれた。炎が燃える間マスターは僕の為に念仏を唱えてくれて、炎が立ち上がり空に消えゆく姿を共に見守った。友人への対応とのギャップには正直驚いたが、それがマスターの今見える事実なのだと素直に受け止めて、これからの日々を気をつけて過ごそうと心に決めた。

そのお炊き上げの行が終わると、「お疲れ!」と部活が終わった後かのようにマスターはスポーツドリンクを僕らそれぞれに手渡し、飲みなよと勧められた。それは何だか部活で先輩が後輩をいたわるようなカジュアル雰囲気で僕らはそのマスターの様子に一瞬クスッと笑い、スポーツドリンクを一気に飲み干した。

僕らはなんとなく、ポケットに入っている財布を取り出し、お金を払おうとした。すると通訳の若い女性は「お金はいりませんよ。」と僕らの財布に伸ばした手を止めニコリと笑った。

僕らは当たり前のように親切に占いしてもらったのでお金を支払わなければいけないと思っていた。そういえば、台北の街中のお寺でも見ず知らずのおじさんが、僕らの為に線香をタダで何本もくれて、お祈りの仕方まで丁寧に教えてくれた。日本のお寺や神社では割と、行為に対して常にお金が発生していて、お布施という考え方がしっかり根付いている。でもここ台湾では少し違うらしい。

「願い事が成就したり、感謝の気持ちを伝えたい時はここにいる神様達にまたお菓子や食べ物をお供えしに来てくださいね。」と通訳の彼女は優しく言った。僕らは改めて日本と台湾のお寺や神社の在り方の違い認識した。それと同時に僕らはお菓子好きで後払いOKな太っ腹な台湾の優しい神様に好感を持った。

するとマスターは「じゃあっ!お疲れ!」と部活を終えたお茶目な先輩のように、手を軽く上げ、するすると背中を丸めて何処かへ消えてしまった。

多分、台湾の神様もあんな風にひょうひょうとしてお茶目なんだろうなと、僕らは笑いながら指南宮を後にした。

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僕も友人も指南宮でのマスターとの場面を思い出すと、なんだか妖精かはたまた七福神の大黒様にでも会っていたかのような気になってしまう。どこか人間とは思えないような存在感と少しお茶目に感じてしまうマスター行動は今思い出しても心がとっても温まる。

僕は過去の聖者とか聖人とか呼ばれていた人たちは、厳かな雰囲気で人を寄せ付けないイメージを持っていたが、多分実際はとってもお茶目で優しくて人を惹きつけて微笑まして止まないマスターみなたい人だったのだろうと今は思う。

台湾人の優しくて朗らかな人柄も、きっとこの道(タオ)に根付く優しさなんだろうと思わずにはいられない。

僕らはまた夜にクラブに繰り出し肩を組み「ウォーアイニー!タイペイ!!( 愛してるぜ台北!)」と叫ぶのであった。

終わり。

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