『ドラゴンボール』もしもあの時こうだったらシリーズ~もしも〇〇がなければ、戦闘力の数値は継続されていたかもしれない~
ということで、今回は『ドラゴンボール』のコミックを全巻(1巻~42巻)読破しての、その過程で個人的に気になったことを書いていきたいと思います。
まず、『ドラゴンボール』の凄いと思うところを、タイピングと平行しながら語らせてもらいますと、何といっても「“だけれども”『ドラゴンボール』」なわけですよ。
詳しく言いますと、『ドラゴンボール』よりも泣ける漫画、熱くなる漫画、心を揺さぶられる漫画って他にもあると思うんですよ。
“だけれども”、それらの漫画よりも『ドラゴンボール』なわけですよ(私個人の主観です)。
それは「S級」作品だからこそ成せるわざであると思ってます。
ちなみに、
そうなんです、山に例えると「A級」は世界世界最高峰であるエベレストクラス(標高8848メートル)。そして「S級」は、エベレストクラスの山々が見上げる、まさに別次元の山(標高1万メートル以上)のことを言うのであります。
『ドラゴンボール』はその「S級」に認定しても異論の無い作品なのではないでしょうか(私個人の主観です)。
そんな『ドラゴンボール』のコミックを全巻読んでの(『ドラゴンボール超』は含まず)個人的に最も熱くなった所は、やっぱり戦闘力という強さが数値化される概念のあった「サイヤ人編~ナメック星編」です。
そして、その戦闘力が絡む場面の中でも圧倒的に衝撃を受けたシーンが、宇宙の帝王フリーザがナメック星の番長ネイルに対して発した「わたしの戦闘力は53万です」という一言。
このカットを初めて観た時は、それはもう、都内在住で家族みんな標準語なはずなのに、修学旅行から帰ってきたら家族全員、大阪弁で旅行の感想を尋ねて来るぐらい、非現実的な状況で、しばらくの間思考が止まってしまいました。
コミックでは、そのシーンの後に40ページ近く続きがあるんですけど、動揺を隠すことが出来ずに、全ページ1回目はページをめくり損ねましたも(すみません、誇張です)。
だってしばらくの期間、戦闘力が2万とか3万台でどっちが強いんだって動向を見守っていた中での、予想の遥か上を行く数値なわけですよ。
これ、リアルな我々の住む世界ですと、土日が休みの会社で、金曜日の業務終了後に同僚数人で、それぞれ休みの日はどう過ごすかを話しているとします。
「オレは歯医者に定期検診を受けに行く予定」「僕はスーパーに買い物にでも行こうかな」「私は美容室に髪をカットしに行く予定です」「自分は家でずっとゲームしてるよ」といった具合に、みんな戦闘力2万前後の予定を言ってるわけですよ。
そんな中でただ1人。
「タカヒロの予定は?」と同僚の高橋が尋ねました。
するとタカヒロは上を向いて、
「わたしは明日、地球をたちます(わたしの戦闘力は53万です)」
という具合に、1人だけ53万的な浮世離れした発言をする訳ですよ。
それはもう、
「タカヒロ様(フリーザ様)」
って、必然的にそうなりますよ。
そんな我々読者をワクワクさせてくれた戦闘力という名の強さの数値化も「ナメック星編」で終盤を迎えてしまいました(公式のデータでは)。
それで、大概は何かが幕を閉じる時ってターニングポイントととなる出来事があると思っていまして、戦闘力の概念が崩壊してしまった瞬間というのが、
悟空が「界王拳10倍」を発動した瞬間
だと考えてます。それでもって、
「界王拳」に2倍以上が無ければ戦闘力による強さの数値は継続されていたのではないか
ということであります。
それまでは絶妙なバランスで、物語が進むにつれて登場人物たちの戦闘力は上昇していたと思うんです。
フリーザー様個人に焦点をあててみましても、変身をしていくごとに第一形態(53万)、第二形態(100万以上)、第三形態(200万以上?)といい具合に戦闘力が上昇していました。
それが最終形態となり正式な数値かどうか分かりませんが、最終的には戦闘力が1億2000万にまで飛躍していますも。
上がりすぎですよ。
それもこれも悟空が「界王拳10倍」を発動してしまったがために、そうせざるを得なかったのだと推測します。
悟空がフリーザーと闘った時の通常時の戦闘力が300万とされていますから、「界王拳10倍」を発動したら戦闘力が3000万です。
ここでバランスが崩れてしまい、戦闘力の数値の歴史は幕を閉じたのだと考えています。
その後に悟空は「界王拳20倍」を使っていますから、戦闘力が6000万です。
それより後に悟空がスーパーサイヤ人に覚醒することを考えますと、フリーザーの戦闘力は、それを遥かに上回る数値に設定しないと成り立たちませんから。
“だけれども”、「界王拳」を悟空が使えなかったらというのは、また違う話だと思います。
「界王拳」は悟空の必殺技で代名詞ともなっている「かめはめ波」に次ぐ、重要な技だと思います。
個人的には、「ドラゴンボール」の中で使われた全必殺技の中で2番目に好きな技です。
ちなみに1番は、スーツの似合う誠実な男、天さんこと天津飯の必殺技である、肉を切らせて骨を断つ、己の命を懸けて放つ「気功砲」であります。
ですので「界王拳」が無いことなど考えられません。
あくまでも3倍以上の「界王拳」が無ければ、戦闘力は継続されていた可能性があるのではないかということです。
その概念をもとに、主人公である悟空の戦闘力をシュミレーションしてみますと……。
フリーザとの戦闘時に「界王拳」を発動して、戦闘力600万。
その闘いでスーパーサイヤ人に覚醒して戦闘力1200万(フリーザ・フルパワーで1000万)
完全体セルとの闘いで、スーパーサイヤ人2の一歩手前の時で戦闘力3000万前後。
スーパーサイヤ人2の状態でベジータと闘った時で戦闘力4000万以上。
スーパーサイヤ人3での魔人ブウとの最後の闘いの時で戦闘力7000万以上。
ちなみに、個人では物語の中で最強とされている、潜在能力の開放された悟空の息子、ネット上ではアルティメット悟飯なんかと称されています、孫悟飯の魔人ブウとの戦闘時では戦闘力9800万。
この通り戦闘力が1億以内で納まってしまいます。
そして、1億以上は戦闘力計測不能とします。
これだったら戦闘力の数値化の継続は、充分に可能だと思うんです。
それでここからが重要なんですけど、もしこのように「ナメック星編」以降も戦闘力の数値化を今までと同じようにやってしまっていたら、白けてしまう可能性があるような気がします。
「この闘いはこっちが勝つのね」と、前もっておおよその予想がついてしまったら、最初の頃は新鮮でワクワクしていたけれど、だんだんと心が弾まなくなってくる可能性があると思うんですよ。
ですので、リアルタイムでは公表しないで、闘いが終わった後に『週刊少年ジャンプ』やコミックの紙面で、「あの時の誰々の戦闘力の数値はこうでした」っていう形で発表するんですよ。
そこから、現在のZ戦士と敵の戦闘力はどれぐらいなのか推測するのが、また面白いと思うんですよね。
このように、「界王拳」に3倍よりも上があるという設定が無ければ、「ナメック星編」以降も戦闘力の数値は続いていた可能性もあり、また違ったワクワクがあったのではないかと、個人的にはそう思います。
いやぁ、『ドラゴンボール』の記事を書いている時の楽しさは異常でございます。
すみません、最後に歌わせていただきます。
「~うぃ・がぁ・ぱぁ・わぁ・どぉらぁごぉんぼぉるぅ……すぅえったぁ~!」
END。