ミュージカルな一見さん(超短編小説)
洋介(ヨウスケ)は出張先でのこの日の仕事を終えると、時刻は午後八時を少し過ぎていた。
(腹減ったなぁ、午前中バタバタしていて、昼食を食べ損なったしな。これはホテルまでもたないぞ。よし、今から歩いて、一番最初に目にしたお店で夕食を摂ることにするか)
洋介は、滞在しているビジネスホテルの方角に向かって歩きながら、食事ができるお店を探した。
(……おっ、あったぞ。「まごころトンカツ食堂」か)
五分ほど歩いて、洋介が最初に見つけたお店は、こぢんまりとした店構えのトンカツ定食屋であった。
(……ウソだろ、隣もトンカツ定食のお店だ。……こっちのほうが旨そうだな……いや、ダメだ、男に二言は無し、最初に見つけたのはこっちの店だ。まだ営業中だし、ここにしよう)
洋介は、入店することに決めたお店に隣接するトンカツ定食屋のほうが、トンカツ定食専門店という感じがして食欲をそそったが、自分で決めたマイルールに従って、後悔しつつもこじんまりとしたほうのお店の暖簾をくぐった。
「いらっしゃいませ!」
出迎えてくれたのは五十代とおぼしき、“ザ・お母ちゃん”といったような雰囲気の女性であった。
なぜか女性店員は涙ぐんでいる。
「大丈夫ですか」
洋介は、きっと前の客に嫌な事でも言われたのだろうと推測して、気遣いの言葉をかけた。
「いらっしゃませ!」
すると、女性が返答する前に、厨房からご主人と思われる男性が出てきて、接客の言葉をかけながら、同じように涙ぐんでいる。
「え?」
洋介は言葉に詰まってしまった。
「いらっしゃませ!」
今度は二十代後半かと思われる、風貌からしてこの二人の娘であるであろう女性が、案の定、涙ぐみながらそう言って厨房から出てきた。
「いったい、何があったんですか?」
洋介は、初めに推測した前の客とのトラブルといった路線はそのままに、三人に向かって尋ねた。
「実はこのお店、今日で最後なんです。そして、あなたが最後のお客様なんです」
娘がそう言うと、ご主人が娘の右手側に、母が左手側に肩が触れるか触れないかという距離に横一列に並んだ。
そして、三人揃って無言でお辞儀をした。
洋介は何も言わずにお辞儀をし返すと、席に案内されてカウンター席に座り、ロースカツ定食を一人前注文した。
ご主人が厨房の中に入り料理を作り始めると、母と娘は洋介の視界に入る場所に横並びに立ち、涙目で洋介の顔をじっと見つめている。
(……何だよ、勘弁してくれよ。常連客ならまだ分からなくもないけれど、初めて来た客に何の思い入れがあるんだよ。これからどんな顔して、出された料理を食べればいいんだよ)
洋介はどう振る舞えばよいのか分からずに、うつむきながら料理が来るのを待った。
「はい、こちらロースカツ定食になります。冷めないうちに召し上がって下さい。ごゆっくりどうぞ」
料理を作ったご主人が自らロースカツ定食をトレーに載せて持って来ると、洋介の前に差し出してそう言った。
(料理を作ったご主人が自分でオレの所まで運んで来るって、他の二人は何者なんだよ。それに“冷めないうちに召し上がって下さい。ごゆっくりどうぞ”って、早く食べろなのかゆっくり味わえなのかどっちなんだよ。……まぁ、オレが最後の客な訳だし、細かい事は気にせずに、思いっきり旨そうな顔して食べてやるぞ)
洋介はそう決めると、箸を手に取って三人の顔を順番に見た後に、「いただきまぁ~す!」と元気のよい常連さんを通り越して、ミュージカル俳優が舞台の上から台詞を言う時のような、完全に場違いな声量と言い回しでそう言った。
そして、切り分けられたロースカツを一切れ箸で掴んで口に運んだ。
(……どこにでもある普通の味だな。これは隣のお店に客を取られたんだなきっと)
洋介はそう思ったが、本音は表情には出さずに、咀嚼していたモノを呑み込んだ。
「すばらしい! こんなに愛情のこもった料理は初めてです!」
洋介は、“美味しいです”と決して嘘はつかずに表現をかえてそう言うと、椅子から立ち上がった。
そして両腕を広げて目を見開き、”スコップで庭の穴を掘ったら温泉が噴き出したんですよ“といったようなジェスチャーをして、並の味にスタンディングオベーションみたいな態度をして見せた。
洋介は再び席につくと、一口食べ終えるごとに、命を削るかのような迫真の演技をし続けた。
三人はそんな洋介を見て、悲しい表情が、いつしか笑顔に変わっていた。
三人はそんな洋介の心遣いに、心からの有りがたさを感じているようであった。