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成功ストーリーと向き合う~偶発性への理解

※2023/3/30:最後の②「分かった気にならない」を追記しました。

前回、3回にわたりスリランカの紅茶産業とAmba Estateの事業について記事を書いた。
友人から記事に対してコメントをもらった。

友人のコメントを要約すると、

「政策でも、事業でも、成功しているケース(ベストプラクティス)を分析・研究する手法に危うさがある。
「こうやれば上手くいく」みたいに簡略化して、分かった気になる。それって汎用性はないのでは?」

あー「その通りだな」と思ったので、成功ストーリーの取り扱いについて述べたい。

「成功ストーリー」とは?

まず、成功ストーリーとは何か?

プロジェクトX、ガイアの夜明けのようなTV番組もあれば、偉人の人生を描いた伝記もそうだろう。
本屋にいけば数多の自己啓発本が並べられていて、「(私はこれで上手くいったので)こうすればあなたも上手くいく!」のようなストーリーもある。

さらに、「成功の5つの条件」とか「この5つをやれば成功する」みたいなノウハウ本・攻略本もある。

プロジェクトXのようなテレビは娯楽としても楽しい。アドベンチャー映画と同じく、起承転結で、色々苦労を経て、これで上手くいきました!最後はハッピーエンドで終わる。

娯楽として楽しむ分には害はないが、これを妄信すると怖い。

「この人の成功要因は、AとBの二つだったのね」
「目の付け所が良かったね」
「アイデアが素晴らしかっただけね」
「最後まで諦めずに努力を続けたからだよね」
「人脈がよかったのね」
「時代にマッチしていたのね」

いくらでも、短絡的な因果関係に落とし込めるし、
あたかもそれが成功の主要因と錯覚する。

とはいう自分も、昔は単純に受け取っていた時期があった。

いつの頃からだろう。
おそらく、自分で色々とプロジェクトや事業を興す中で、「違うな?」と気づくようになった。
いや、弊害ですらある。

いや、自分が興す立場になると、上記の受け取り方は「弊害」でしかない。。

今回は、「なんで成功ストーリーをそのまま受け取るとダメなの?」「成功ストーリーはどう受け止める時の注意点」について述べてみたい。

①全ての事柄に意味づけをしたい人間の性


人間の脳は不思議なもので、「偶然性」への理解が乏しい。

これは、人間の進化の過程で、生き残るために必要な情報を取捨選択するために備わった能力と言われている。
人間の脳は物事に意味を求め、それをストーリーとして理解しようとする。

モノゴトには因果関係があるはずで、その因果関係で、過去におこった出来事を説明しようとし、未来への予測を試みる。

これは人間の生存本能みたいなものなので、意識しなければ、誰でも陥る思考なのだと思う。

ベストセラーとなった不確実性に対する名著「ブラックスワン」は分かりやすい例だ。

ブラック・スワンの定義として、三つ子の特徴、①異常であること、つまり過去に照らせば普通に考えられる範囲の外側にあること、②とても大きな衝撃があること、③異常であるにもかかわらず、私たち人間は、生まれついての性質で、それが起こってから適当な説明をでっち上げて筋道をつけたり、予測が可能だったことにしてしまったりするような事象であること、を挙げています。

10分でわかる「ブラックスワン」 - 超要約と読解ガイド -|泥万次郎|note

「人間は過去の出来事から未来を予測しようとする傾向があり、その予測が外れた場合には、その理由を後付けで説明しようとする傾向がある」

最近では、コロナウイルスのパンデミックがその最たる例だろう。

  • 人間は分からないことが不安なので、自分の知識や経験の範囲で分かった気になる。

  • そのため、世の中の複雑性、歴史の複雑性を削り取り、単純化することで理解した気になり、安心する。

  • 自分の理解できることは、実際には非常に確率が低くても、過大評価してしまう。

  • 逆に誰もが「あり得ない」と思っていることは、確率が高くても過小評価する。

まぁ、「全てのモノゴトに説明できる物語がある」と思いこみたい。
因果があると思い込みたい動物なのだ。そうじゃないと未来への不安に耐えられないのだ。

全く同じ環境を用意しても、偶然そうなっただけかもしれないが、そうは考えない。

これは人の脳の個性なので、ある意味仕方ない。
ただ訓練を重ね、意識的であれば回避できることも多い。

完全に回避するのは無理だとしても、気づける回数は増やせる。

②ストーリーの裏にある真実


この理解の上で、ストーリーを読むと、別の見え方がある。

もちろん、史実・ノンフィクションとは、実際に起きた出来事だ。フィクション(創作)ではない。
しかし、創作でなくとも=真実の全てが書かれているわけではない。

書き手の理解の範疇で「理由」を探し、編集し、取捨選択して、届けている。

先日のAmbaの記事だって、紅茶の歴史を除けば、Ambaの15年以上の歴史を30分程度で紹介してくれただけだ。
説明してくれたのは創業者ではなく、マネジャーの人。創業の初期数年は彼も入社前だ。

さらに僕はその説明を、自分なりに理解して、解釈を付けて、皆さんにお届けした。
情報がそぎ落とされている上に、何十もの伝言ゲームが起きている。

さらに、昔の歴史ものは、後世の人が書いたので、色んな思惑が入り混じっている。
一般的に、王朝や政権、王国が交代するときは、「前の政権は最初は良かったが、時代を重ねて悪政になったので、現政権が正しい方向に導いた」という”史実”を書き残す。

クーデターで奪ったような政権なら、直前の政権を誉めたたえるインセンティブもないし、現政権を悪く言う理由もない。

きっかけは「空が青いから」?

セミナー登壇やインタビューで定番の質問がある。
「なんでウガンダで起業したんですか?」

原体験を問う質問だ。他にも、、
「起業のきっかけは何ですか?」「なぜ、ウガンダを選んだのですか?」「なぜ、物流事業だったんですか?」

起業当初、インタビューを受ける際、帰国時のセミナーに登壇する際に、どう答えてよいか、悩んでいた時期がある。

「そんなの一言で説明できないよ。そのまま丁寧に語ったら何時間もかかってしまう。。」

起業家の先輩方に話を聞くと、
「いや、難しく考える必要ないよ。コミュニケーションであり自己表現の場。嘘や誇張はしないけど、相手に合わせて、相手が期待する内容を、その制約条件の中で見繕って伝えればよい」

とアドバイス頂いた。

人が何か行動をおこす理由は複雑だ。
数週間、数か月、数年の中で、様々な出来事、出会いが関連しあい、自分の価値観が変容し、意識が変わり行動に移す。

丁寧に自己分析すれば、自己認識している範囲でも、数十のきっかけが見つかるだろう。

仮に20個の理由があったとしたら、それを全て伝えると数時間かかるとする。相手はそんなストーリーは求めていない。

  • パネルディスカッション形式で、登壇者の一人として問われたら、1-2分で、他の登壇者の属性と被らない理由をかい摘まんで伝える。

  • 1時間のインタビューの中で問われるなら、10分程度で相手の経験、興味・関心に合わせて伝える。

  • 相手が社会人経験のない学生なら、キャリアに役立ちそうな話

  • 相手がアフリカに対して古い時代の偏見を持っていそうなら、その既成概念を変えられそうなこっちの話

  • 相手が事業への投資に興味があるなら、事業の強みを伝えられるこっちの話

などなど

聞き手の経験値やヒアリング技術によっても、引き出せるストーリーは変わるし、
こちらの最近の関心、当日の気分によっても変わる。

さらに言えば、「僕はこう思っている」と当事者が自己認識していることすら、後付けだ。

自分で、自分の行動を後から振り返って、自分の決断を納得させるためのストーリーを創作しているに過ぎない。

ある時、この話題を起業家の友人と話していたら、
「結局、起業した理由なんて「その日の空が蒼かったから」と大して変わらないよね」と。

連続的に色々積み重なって、最後の一押しは「その日の空が蒼かったから」みたいなもん。

きっかけなんて、なんにでもなる。
些細なことが始まるきっかけになる。

勘違いしないでほしいのは、「原体験を聞く質問は無粋だからやめろ」と言いたいわけではない。
ぜひ聞いてほしい!僕自身も聞かれることは嬉しい。興味を持ってくれている証拠だし、人との交流のきっかけなんてそれでいい。

僕自身も、「xxを始めたきっかけは?」「なんでキャリアチェンジをしたの?」を問いかけるのが好きだし、答えを聞くのが楽しみだ。

自分が思いもよらない理由が聞けたら楽しいし、
また自分との会話で、相手が意識していなかった理由を引き出せて、想定外の会話に発展したら楽しいからだ。

ただ、その答えを鵜呑みにするか?は別のはなし。

書き手の問題

その場の1:1の双方向のコミュニケーションはともかく、テレビ番組、書籍、記事など一方通行の媒体になると、より注意が必要だ。

書き手(作り手)のフィルタを通して編集された二次創作に過ぎない。

例えば、世に出ている成功本・ノウハウ本・自己啓発本を読んでいて、「これ浅いなー」と興ざめして、本を閉じる経験はないか?

そして、ふと巻末の書き手のプロフィールを見てみる。
誰が書いた?実践者か?、評論家か?

起業や事業運営を例にとれば、書き手に事業立ち上げ、事業運営の経験がない(少ない)場合、とってつけたような理由が並ぶことがある。
(※経験がない著者でも良本ももちろんある!)

評論家やコンサルタントにありがちな例として、
結論ありき、伝えたいメッセージが先にあり、そのメッセージを補完するための事例を探してきて後から意味づけしている場合だ。

その伝えたいメッセージ自体は理解できる。その分析や視点自体は有益なことも多いだろう。
ただ、そこに書かれた事例は要注意。

自然科学ならいざしらず、
起業や事業運営、組織論、社会学など、要素が多すぎて、全てを捉えれることは不可能だ。仮に捉えても、パラメーターが増えすぎて、全て独自のケースになってしまう。

少ない情報の中で妄想(イマジネーション)を駆使して示唆を得るのが人間の脳の強みなので、そこは大いに活用したいが、過度なストーリー偏重には気を付けたい。

③質の高い試行錯誤の積み重ね

新しいものが生み出された時、
「こんなの思いつかなかった」「思いついた創業者は天才」となる。
その着眼点、アイデアはスゴイ!と。

確かに、その着眼点、アイデアは目から鱗でスゴイのだが、これまでの話を振り返れば、少し違うのが分かるだろう。

自分でゼロから起ち上げる経験を重ねて気づいたことは、
「その一つのアイデアが生まれて上手く軌道に乗るまでに、裏には数多くのアイデアがあり、数多の人と出会い、仮説検証、試行錯誤を繰り返し、色んな失敗を繰り返した中で、その一つが花開いた」だけ。

その一つにたどり着くまでには、結局行動しかなくて、色々試していき、気づきを得て、失敗を経て、”たまたま”辿り着くイメージ。

”たまたま”ってことは「すべては運任せですか?」と問われると、そうではない。

もちろん、一つ一つの試行錯誤は誠実に向き合い丁寧に検証していく。
実際の行動、人とのコミュニケーション、試行を通して得た気づきをもとに、自然と確率を高めていく。これが経験知だ。

以前、キャリアの記事の中で、「計画された偶発性」について書いた。

Planned Happenstance(計画的偶発性)という理論がある。
教育心理学者であるスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授により提唱された理論である。

「個人のキャリアの8割は予想しない偶発的なことによって決定される」とし、その偶然を計画的に設計して自分のキャリアを良いものにしていこう

最後は天運に身を任せるのも大事だが、その前に「不確実性」をデザインすることはできる。

時間もお金も人材も、そしてやる気も限られているので、単純に「数打てば当たる」は違う。
かといって、考えすぎて迷路に陥り行動を起こせないは本末転倒。一定の数を試してみるしかない。

人間、楽したいので「なるべく近道でお願いしますw」と言いたいのは山々だが、新しく始める際は、あまり効率性、生産性の論理に引きずられると「偶発性」を生み出せなくなる。

要は、質の高い試行錯誤をデザインすることだ。

まずは実践してみて、期待通りになろうがなるまいが、ちゃんと振り返る。
期待通りにならない方が気づきが多い。
内省して次に活かせる学びに落とし込む。
その繰り返し。

今回のAmbaの例でいえば、「オンラインの時代で、スリランカにいながら世界のブティックショップに連絡ができる時代。だからメールをたくさん打った。それが成功要因だ」って言ってたけど、そのまま受けとれない。(後述する)


アンラーニングの重要性

経験知を貯めていくのは重要なのだが、、もう一つ注意点がある。

上記の作業を繰り返すと、どんどん知見が溜まっていく。
今度は固定概念となり、自分を縛り付けて、逆に「試行錯誤」に質が低くなる。

似たような事を少し違うやり方で繰り返しているだけで、ブレークスルーが起きない。
経験に縛られると、どんどんサイロにハマる。

なので、斜め上の発想を得るため、偶発性を得るために違うところからスパイスを振りかけていく。

先日の記事で書いた、「アンラーニング」の重要性もここにある。

キャンバスに整理してみたとき、「最近、右上の方ばかりに集中しているな」と思ったら、思い切って、「空白の多い左下にタッチしてみよう」など、軸をずらしてみる。

④その時代、その環境に応じた試行錯誤の結果があるだけ

話を「成功ストーリー」に戻す。

当たり前だがストーリーは過去の成功体験だ。
5年前はハマったやり方も、今の時代ではハマらないかもしれない。

逆に、5年前の情勢や価値観では不可能だったことが、今の時代ならイケるかもしれない。

成功ストーリーを読み解くとき、ストーリーには描かれていない、その時代描写、周囲の環境など、見えない背景も汲み取る洞察力も持ち合わせたい

ニュースやSNSを見ると、「2023年は生成系AIの時代」「2023年は生物多様性が動く年」など、技術進化や社会変化のバズワードが並ぶ。

これはこれで役立つことも多いのだが、現在進行形で動いている変化など、本質的なところは誰も分からない。
現時点では、ほとんど誰も意識していない背景が大きな影響を及ぼすかもしれない。

大抵の場合「真理」などないし、世の中の9割以上が信じている「真理」も時代や社会背景によって大きく変わる。

こんな話をしていたら、
「過去は過去。今は今。ストーリーで理解するのがダメなら、歴史を学ぶ意味はなんですか?歴史の勉強は無意味ですか?」と問われた。

いや、むしろ逆だろう。

歴史を学ぶ意義

歴史を学ぶこと、先人の意思決定、成功例、失敗例を学ぶことは大いに意味がある。

僕自身は、社会人になって歴史のおもしろさを知った人間だ。

暗記が苦手な上に、年号や人の名前、顔を覚えるのが苦手だ。(今でもスゴイ苦手意識がある)
歴史のテストは、その年号、名前の暗記力を問うテスト。
学生時代、歴史の時間は睡眠時間だと割り切っていた。

社会人になり、色んな国を訪れる中で、歴史に興味がわいた。
例えば、20代後半に半年かけて取り組んだ自己ワークがある。

西洋の歴史を学ぶ上で、軍事の歴史、科学の歴史、宗教の歴史、音楽の歴史、美術の歴史、会計の歴史、法律の歴史、気候環境の歴史、、、などの本をそれぞれ読み、
次に、それを整理して、別々に並べて、関連性を探る。

色んな歴史を読み解けば、人間の普遍性にも気づく。
どの地域でも、どの分野でも似たような失敗を繰り返す。
この先人の知恵、知識が生きる上で大きな学びになる。

また「この事象って、もしかしたら、ここにも関連があるのかもしれない」と発見するのも楽しいものだ。

その発見が正しいかは重要ではない。
正しさは、歴史学者が調べてくれるだろう。
ただ、関連性を推理するのは楽しい。副産物として洞察力も磨けるだろう

ただし、その発見を唯一の正解と思い込むことが害悪なのだ。
だから、学校の歴史の勉強は難しい。教科書に書いてある話は否定しづらい。
「もしかしたら、違う原因があったかもしれない?」と想像を膨らませて解答用紙に書いてみようものなら、単に減点されるだけだ。

歴史を学ぶこと。つまり、過去におこった事例をもとに、成功や失敗など物事の起因のケースを溜めていくことは有益だろう。
自身の経験だけでなく、他者の経験からも学ぶ方が圧倒的に学びの数は増える。

ただ、同時に、そぎ落とされている数多の情報があることは常に意識する。

「人は皆、自分が理解できる理由を求めて生きている」と意識するのが大事なのかもしれない。

最後に


色々講釈を垂れたが、個人がおのおの好きなように読めばよい。(と思う)

僕自身は、普通に楽しい物語としても読むし、何か気付きを得る学びの手段としても読む。
ただ、数多の情報が欠落している点は常に意識する。

①「当事者」になる

最後に、その欠落を気づくための手段として2つ紹介したい。
自分が主人公だったとして追体験しながら読むのは有用だ。

Ambaの例でいえば、

2010年前後、最初の頃は試行錯誤の連続だったようだ。ちょうどECショップなどが中小製造者が直接海外のバイヤーと取引ができる土壌が整ったころ。
1年目は、ネットでイギリス、ベルギー、日本、アメリカなどの良質なお茶を扱っているショップを調べては1000通以上のダイレクトメールを送ったとのこと

上記を題材に考えてみる。

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2010年当時、個人が持つモバイル端末がネット繋がる以前の時代
(日本は世界に先駆けてガラケーで、一部の情報にアクセスしていた。途上国を始め、先進国でも、日常的に個人がネットの世界にアクセスするのはパソコンが主流。年齢層の高い人は、仕事で使う人以外はネットにアクセスしていなかった時代)

確かに、オンラインショッピングが動き始め、途上国でも3Gが普及してきた時代。ダイレクトメールは有効だ。
では、自分が同じ状況で、世界の紅茶ショップをネットサーフィンしてリストを作り、1000件のメールを打つかな?

いや、たぶん数十件を洗い出してみて、メールしてみるかな?
打つとして、どのくらいの文章で、どんなストーリーを載せる?

きっと、最初は陳腐な文で返信がなかったかもしれない。DM以外の方法に切り替えようと思うかも。世界の展示会には出たんだろうな。
メールも短くしたり、長くしたり、ストーリーを入れたり、簡潔にしたり。色々試行錯誤したのかな?

初めてトップブティックショップから返信が来たときはどんな気持ちだったのだろう?

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とかとか、当事者になり切って読んでみると、違った視点に気づけるかもしれない。背景にある失敗や試行錯誤にも意識が及ぶだろう。

<追記>②「分かった気にならない」

もう一つ。成功ストーリーに限らずだが、何か一つのストーリーや本を読んで、専門家が述べる話を聞いて、すぐに「分かった気にならない」ことだろう。
何でもかんでも、「すぐに判断しない」「決めつけない」ことだ。

こちら、以前に異文化理解の文脈で、記事にした。
「”文化”のせいにしない~共創の異文化コミュニケーション」

文化のせいにするのは簡単だ。しかし、その先には何も生まれてこず、根本的な問題の解決にはならない。

文化への先入観でその人をわかった気になるのではなく、その人の生きてきた価値観、暮らしている環境の価値観、現在の生活実態などから、その人がどう考え、なぜその行動をとったのか、深く考えるようにする事で、暗黙知であるバックグラウンドの違いに目を向け続けていきたい。

「”文化”のせいにしない~共創の異文化コミュニケーション」

事業をしていれば、情報が揃っていないままに意思決定に迫られる場合もある。スタートアップは特にそうだし、途上国のように統計などのデータが揃っていなければなおさらだ。
それはそれで意思決定すればよい。

でも、不必要に判断して、偏見を広げる必要はない。「決めない」のも選択肢だ。

また、事業上、意思決定を下しても、「意思決定=確定情報」にはならない。あくまで確度の高い仮説であり、後で覆す余地を頭に残しておけばよい。
まぁ「言うは易し、行うは難し」で、自分ひとりならともかく、チーム全体をコミットさせて導く場合、より難しくなる。
だが、意識することで、余計な判断をする可能性を減らすことはできる。


最後に、成功ストーリーの楽しみ方は人それぞれ、好きに読めばいいと思います。
一つの見方として参考になれば幸いです。
友人が質問してくださったおかげで考えを整理したので、記事にしてみましたー!

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Jun Ito
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