まだ知らないもの
「自分がまだ知らない自分に出会うことを求めて」
「まだ感じたことのない感情を求めて」
そのために、お金を払ったり、努力をしたり、時間を使ったりしてるんだと思った。
新聞で読むニュース、テレビから聞こえてくる様々な情報。。。
それらを読んだり、見たりしたときに
「すごいなあ~」
「そんなものがあるとは驚いた」
「めっちゃ面白い!」
「つまらない、、、」
など、たくさんのことを感じる。
けど、それらを通して感じることはこれまでのニュースを通して感じたこととどこか似ていて、心を揺さぶられるほどの感情にはならないような気がしている。
本を読んだりしたときにも、
「これが現実になったら楽しいだろうなあ~」
「自分もこんなことを成し遂げてみたい」
とワクワクするようなことも多々ある。
けど、それは結局想像の中で止まっていて、自分がこれまでに経験したことのある感情の中でしかない。
例えば、
自分がカンボジアにインターンシップに行く前
「大活躍して、チームに貢献して最高な日々を送る!!」
という、ワクワクした感情や貢献した後の充実感、周りの人から讃えられる達成感を想像していた。
けれど、実際にインターンシップをしている最中や終了後は、
「自分の思ったように物事がすすまない苛立ち」
「自分がチームに貢献できていないことを実感し、理想とのギャップに打ちひしがれ自己嫌悪に陥ったときの苦しさ」
これらを感じた。
それは、これまでの自分が感じたことのなかった感情だったし、行く前に想像していたものとは違っていた。
もちろん、想像よりもマイナスな感情ばかりでなく、想像をはるかに超える感動もあった。
このこと経験して感じたことは、
「想像は想像でしかなく、自分が体験することには当然及ばないし、それは全くの別物である」
ということ。
これはもちろん自分の人生経験が少ないということも大いに関わっていると思う。
けど、想像することは机上の空論でしかなく、どこか深みを感じられないという感覚は捨てきれない。
だから、情報を得て知った気になるのではなくて、実際に行動をして何を感じたのか、それこそに価値があると思う。
さらに言うと、「行動」そのものよりも、「それを通してどのようなことを感じたのか」がとても重要だと思う。
最近は、
「モノ」から「コト」消費へ
体験型ビジネスが熱い
などと言われているが、それは
その「コト」や「体験」をした結果として感じる「心の動き」こそが求められているのだと思う。
そこで「感じたことのない感情」と出会ったり、「予想とは違う自分」と出会えることにこそ価値がある。
そんなことを思った。
目標を達成するために一生懸命努力をするということも、
全力でやりきったからこそ感じられるものがあるから頑張れるのだと思う。
適当にやっていたらその感情は得られないし、適当にやってきたことしかない人は、一生懸命に努力をしてきた人が経験してきた感情を体験することはできない。
インタビューや言葉を通して、知ることはできるかもしれないけれど、それは他人の言葉止まりで自分の感情になることはない。
だから、自分は「自分が何を感じるか」ということを大切にしていきたい。
もちろん経験者の人の声を聞き、その先にどのような世界が広がっているのかを知ることはとても大切なことだと思う。
だけど、それをあたかも自分の感情のように、自分が体験をしたかのように話したり自分を重ねすぎてしまうことには違和感があるし、薄っぺらさを感じずにはいられない。
「自分の五感で体験し、心を揺さぶられるか」
これがどれだけあるかが人生の豊かさなのではないかなと思う。
それを感じるためなら、大変なことも頑張れる。その過程があるからこそ、感じられる感動や心の動きがあると思うから。