「銃・病原菌・鉄」を観て。。。
先日、『銃・病原菌・鉄』という本の著者が監修した動画を観た。
動画はこちらです↓↓
著者は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校で教授を務めるジャレド・ダイヤモンドさん。
この本の内容は、ヨーロッパの人々が世界を治めていった要因、現在の現在の世界に広がる富とパワーの「地域格差」を生み出したものは何か、を述べています。その結論として、ダイヤモンドさんが考えたのが「銃・病原菌・鉄」でした。
率直な感想は、、、
「めちゃくちゃ面白い!」
ダイヤモンドさんの主張は、地域格差を生み出したものは「地理的要因・銃・病原菌・鉄」であり、ヨーロッパ人が優れていて、発展途上国の人たちが劣っているというわけではないということです。
人間にとって効率よく生活することが出来ていた人が急速なスピードで文明を発達させていったということでした。
自分が、最も興味深いと思った点は、
「専門家が生まれるには、研究に充てられるだけの自由な時間が必要」ということです。
昔、世界の中で文明が発達したのは中東だったそう。
その理由は大きく2つ。
1. エネルギー量が多く栽培・保存が容易な小麦や穀物を安定的に作ることが出来たから。なぜなら、中東にそれらの種があったため。
2. 牛、ヤギ、豚といった家畜化しやすい動物が中東にいたから。家畜を用いて、畑を耕すことで作業効率が格段に良くなった。
つまり、地理的条件が非常に良かったんです。
そのため、村の人々全員が朝から晩まで「生きるために必要な作業」に携わる必要がなくなった。
逆に、エネルギー量が少なく、栽培・保存が難しい作物しか育たない場所は、「生きるために必要な作業」にかける時間が相対的に多かった。(地理的条件が悪い場所)
中東では、その結果、専門家が生まれさらに文明が進化していったそうです。
それを聞いて、僕が感じたことがこれです。
目先の利益を求めず、難題に挑戦できる環境があるかどうか、が大きな発見、成長を促すうえで大切なのでは
もし、「今日全力で畑仕事をしないと生きていけない。」という環境で、一日という単位で見ると何も生み出さない研究をすることが許されるかと言われると、厳しいものがあると思います。
これは自分の全くの想像ですが、
中東では、専門家と農耕をする人の関係が持ちつ持たれつの関係であり、お互いがお互いのことを信頼していたのではないかと思います。
専門家は、すぐには結果が出ないけど、その間食事を作ってくれる人たちに感謝する。
農耕をする人は、生活を劇的に便利にしてくれるものを作ってくれる専門家に感謝する。
今の日本は、大学の研究費が少ないだとか、企業の研究開発費が欧米企業に比べて格段に少ない、などど言われています。
これはもちろん、そこに充てるだけの余裕がないということもあるとは思いますが、目先の利益ばかりを追い求めてしまい、長期的に見れば便益をもたらしてくれる専門家を蔑ろにしているのではないでしょうか。
むしろ、現代はほとんど何不自由ない生活を送ることが出来ているがゆえに、もうこれ以上望むものはない。という考えで、専門家の必要を感じなくなってきているのかもしれません。
専門家には、知識や経験など、常人にはない特徴があります。
専門家に限らず、世の中の誰にも特徴があります。
じゃあ、誰しもがお互いのことを信頼し、持ちつ持たれつの関係であることを自覚し、感謝を伝えたらどうでしょうか。
専門家と農耕をする人の関係で言うと、
専門家が農耕をする人に
「いつも美味しい食料を作ってくれてありがとう。あなたのおかげで研究に没頭することが出来ている。最近、結果が出てなくて申し訳ない。早く結果を出して、みんなの生活がよりよくなるように頑張るよ!」
農耕をする人が専門家に
「生活をよりよくする発明をしてくれてありがとう。あなたのおかげで助かっているよ。こっちのことは任せて、研究に没頭してくれ!」
と言えるように。
もちろん、これは生活できるだけの食料が十分に確保できているからこそ成り立っている関係、安全が確保されているからの関係性だと思いますが。
期待されている、信頼されているという気持ち、信じてもらえているんだという実感が自分を更に一歩進めてくれると僕は思います。
これは、昔の中東の人たちだけでなく、今自分が所属している組織でも言えることなのではないでしょうか。
人は思いもよらなかったほどに成長するし、心がある生き物です。
だからこそ、お互いのことを尊重、信頼し、気持ちよく過ごしていきたい。
それができれば、もっと心が豊かな毎日を送ることが出来るのではないか。
失望するから人には期待するな。
という考えもあるけれど、期待するからこそ感じられる喜びや感動もある。
それをどれだけ味わえるかが人生の豊かさなのではないか、とこの「銃・病原菌・鉄」を観て感じました。
そのためにも、まず自分が近くのひとを尊重し、信頼し、信じていきたいと思いました。