【神奈川のこと36】大人の階段、一段目(鎌倉市/西鎌倉小学校)
冷たい雨の日曜日。静かに家で過ごすと心に決め、これを書く。
あれは昭和55年(1980年)、西鎌倉小学校4年1組の時だ。
2時間目が終わると、「20分休み」がある。
雨天でもない限り、そして、「チェ―リング」が大流行した一時期を除けば、大概は校庭に出てドッジボールなどをして遊んだ。
ある日の20分休み、当時、学年で一番のやんちゃ坊主であったひろきと、何かのきっかけで、一触即発の緊張状態になってしまった。「テンションが上がる」と言うのは本来、こういう時に使うべき表現だろう。確かひろきは4組だったか。遊び場所の取り合いか何か、そのいきさつは忘れた。
普段ならできるだけ避けるべき相手だが、こちらも興奮して、カッとなり思わず「お前、どうせ暴力でしかやれないんだろ、やれるもんならやってみろよ!」と挑発的なことを言ってしまった。
「てめぇ、コノヤロー!」と怒り狂ったひろきは、持ってた木の枝を振りかざして突進してきた。その時、♪キーンコーンカーンコーン♪と休み時間の終了を告げるチャイムが鳴り、実際の戦いとはならずに済んだ。「昼休みに決着だ!」とお互いに啖呵を切って、教室に戻った。
3時間目、4時間目と時間が経つにつれ、私の興奮は明らかに冷めてきた。それと同時に「やっべぇことした。一番けんかしたくない相手にふっかけちまった」と猛烈な後悔の念に襲われる。
そして、給食が終わり、運命の昼休みが始まった。
クラスの男子のほとんどは、いつものように校庭に飛び出して行ったが、完全に戦闘意欲を喪失していた私は、教室に残っていた。校庭に出れば、鬼の形相のひろきが仲間を引き連れて待ち受けているだろうと考えると、恐ろしくてどこにも行くことができなかったからだ。
すると案の定、クラスメイトの一人が息を切らしながら教室に入ってきて、「びっくん、校庭でひろきが『早く来い、ぶっ飛ばす!』って言ってるよ。行かないの?」と興奮気味に伝えた。それは、ひろきとびっくんが対決するところを見てみたいという野次馬的好奇心が見え隠れした言い方であった。
「わかった、ひろきにごめんって謝っておいて」
と私は、恥を忍んで言った。
そこにちょうど、担任の大串ツヨ子先生がいて、
「びっくん、大人ね」。
ニッコリと笑顔でそう言われた。
大串先生の言葉に、一瞬戸惑った。そして、次第に胸が熱くなった。
大人の階段、一段目を上がった瞬間だった。
その5年後、手広中学校3年4組でひろきと同じクラスになった。卒業間近に起きたある事件で、ひろきの「男気」に私は助けられることになる。そのことはいつか書く。
そして大串先生、ありがとう。あれから40年が経ち、50歳となりました。
果たして、大人か...。