【神奈川のこと39】アリキック!(東神奈川 or 反町?/神奈川スケートリンク)

かつての「神奈川スケートリンク」が、老朽化に伴い建て替えられ、2015年より「横浜銀行アイスアリーナ」となった。

それは、JRに乗っていると、東神奈川駅を横浜駅方面に向かって過ぎた頃、右手に見えてくる。公園が隣接している。反町(たんまち)公園というらしい。

地図で見れば、JR東神奈川駅からも、東急東横線の反町駅からも同じぐらいの近さである。

私にとってあの建物は、「東神奈川」の象徴的な存在である。

ただ、もしかすると、東横線沿線に住む人達にとって、あの建物は、「反町」のスケートリンクであり、反町公園のすぐ横にある、紛れもなく「反町」を象徴する建物なのかもしれない。東白楽に実家がある元同僚に「東神奈川のスケートリンク場でさあ」なんて得意気に話をしていた時、彼女は「あれは反町なのに...」と考えていたかもしれないなと思うわけだ。

とまれ、そんな「東神奈川」のアイススケート場での唯一の、そして強烈な思い出を書く。

あれは昭和56年(1981年)、西鎌倉小学校5年生の、秋も深まった頃だったろうか。

クラスの友達何人かと「アイススケートをやりに行くべ」という話になった。

そして、「東神奈川」のスケートリンク場へ行った。正しくは、「神奈川スケートリンク」だ。

当時の私から見ても、建物はやや古い印象で、それは川崎球場や、文体(横浜文化体育館)と並んで、ある種のノスタルジーを感じさせる佇まいをしていた。

スケート初心者の私は、貸しスケート靴を履いて、恐る恐るリンクに乗り、転びつつ、つかまりつつ、そして歩きつつという一日を過ごした。まったくもって「滑った」という記憶はない。

それでも何とか、氷上での試行錯誤を終えて、スケート靴を返却し、夏のプールの帰りのような疲れを感じながら、スケートリンク場を出ようとした時であった。

少し年上と思われる数人の小学生だか中学生に、からまれた。

こちらは、5~6人だったか。向こうさんは、こちらより多くいた。こちら側の誰かが、因縁をつけられて、何だかもうそれはとても恐ろしかった。

地元の連中なのか、それとも、私たちのようにどこか別の場所から、「東神奈川」のスケートリンク場に来たのかは分からない。

私たちの仲間の中で、最も大人びていて、ちょっとそっちの世界の対応にも慣れていそうなすっちゃんが、何とか相手をなだめようとしていた。当時の彼が持ち合わせていたであろう、すべての交渉手段の引き出しを使いながら。その姿は頼もしくもあり、健気であった。

「アリキック!」

突然、向こうさんの一人が叫んだ。

そして、私たちの前に出てきて、今度は蹴るジェスチャーを加えながら、

「アリキック!」

とやった。

緊張がピークに達した。冷静に対応していたすっちゃんもたじろぎ、今は何も言えない。

「アリキック!アリキック!アリキック!」

とその彼は、陶酔したようなうつろな笑顔を浮かべながら、続けていた。

私たちは、恐怖のあまり表情が引きつった。相手は、こちらを威嚇しているのか、笑わせようとしているのか、この場合どう対応すれば良いのか。

「アリキック!」

彼は、ボクサーのステップのようなリズムを取りながら続ける。

ああ、どうすることもできない。そして、次第にそれは、顔を引きつらせつつ、笑うしかないという流れとなっていった。

「アリキック!」

陶酔したような不気味な笑みを浮かべて、蹴りのジェスチャーを繰り出す相手に対して、引きつった笑いで見守る私たち。

「アリキック!アリキック!アリキック!」

相手さんは満足したのか、それとも、この引きつり笑い作戦が奏功したか、それ以上の展開とはならずに済んだ。

もしかしたら、相手さん側にいた大人が、「もう帰るぞ」と言って連れ戻したのかもしれない。「終わり方」の記憶はいつも曖昧だ。

15年後の平成8年(1996年)、米国アトランタで開催されたオリンピックの開会式で、震える手で聖火を持つ、モハメド・アリが映し出されていた。

当時、仕事に追われて毎日、新宿と鎌倉を往復していた社会人4年目の私は、TV画面越しにそのアリの姿に感動を覚えつつ、「東神奈川」のスケートリンク場での恐ろしい体験を思い出していた。

ああ、今日も「東神奈川」の駅には、出発を待つ横浜線が静かに横たわっている。





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