【神奈川のこと56】初めてのタクシー(横浜市中区)
今週は、久しぶりにタクシーに乗った。
ちょっと疲れていたので、オフィスから四ツ谷駅まで歩くのが億劫になり、「来月から節約する」と自らに言い訳をして、新橋駅まで利用した。タクシーを使うと、15分ぐらい通勤時間を短縮できるのだ。
「こんばんは~。新橋駅までお願いします。外堀通りをずっと行ってください。〇時〇〇分の電車に乗りたいんですけど、間に合いますかね~?」
とまあ、こなれたもんだ。
よって、これを書く。
子供の頃、親や祖母と時たま乗る、タクシーが好きだった。
まず、排気ガスの甘い匂い。普通の自家用車とは違う、すぐにタクシーと分かるあの匂いが好きであった。それから、乗り込むと車内の匂いも好きだったな。タバコや排気ガス、クーラーなんかの匂いが交ざって醸し出すあの香りだ。コックピットのような運転席、「空車」の表示を下ろすあのガチャッという音の感触。何を言っているのかさっぱり分からない、無線。そして、ハンドルの横についている、コラムシフトと呼ばれるギア。
車種はクラウンかセドリックと言ったところか。
そんなタクシーに、初めて一人で乗った時の話。
あれは、センジョ(セント・ジョセフ・インターナショナルスクール)に通っていた昭和52年(1977年)頃、小学1年か2年生の時だ。
朝、バスに乗って学校に向かったが、なぜか、見知らぬところで降りてしまった。
今思えば、きっと本牧通りのどこかだ。
そこからなら、何とか歩いて学校にも行けたし、親戚の家も近くにあったが、そこまで頭は回らなかった。
街は、朝の喧騒。人や車がたくさん流れていた。
どうしていいか分からず、見つけた公衆電話から自宅に電話した。
電話のかけ方と番号は知っていた。
母が出たので、「ママ、どこで降りたか分かんない」と伝えた。
「周りを見て、何か読んでごらんなさい」
「分かんない」
「困ったわね。そしたら、タクシーに乗って帰ってらっしゃい。ママがマンションの前にお金を持って待ってるから」
「分かった」
と電話を切った。
そして、タクシーを拾うべく、大人の真似をして手を挙げた。
朝の喧騒の中、クラウンやセドリックのタクシーは、こんな子供の客には気付かず、または、無視して通り過ぎていく。
人込みの中から身を乗り出して、手を挙げ続けた。
しばらくすると、1台、白いボディに、朱色の行灯(あんどん)を屋根に載せたコロナの小型タクシーが止まってくれた。
初老の運転手がこちらを心配そうに見ている。
後部座席に乗り込む。
「どこまで行くの?」
「根岸台ハイツ」
「お金はあるの?」
「ママがマンションの前で待ってる」
かくして、根岸台ハイツに辿り着くと、財布を持った母がマンションの玄関前で、心配そうに待っていた。
あれが、生まれて初めて一人でタクシーに乗った日であった。
現在、タクシーからあの排気ガスの匂いはもうしなくなった。空車のサインは、「ガチャッ」という音から「ピッ」に変化し、コラムシフトのギアはすべてオートマチックとなった。あまつさえ無線も聴こえなくなった。
本牧通りの雑踏の中に、小さな私を見つけて、拾ってくれた優しい初老の運転手。
それは記憶の中で、いつもニコニコしながらカータンの横にいた、あのピンポンパンのおじさんなのだ。