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【神奈川のこと86】赤い光(鎌倉市上空)
昨晩、仕事の帰り道、最寄の湘南モノレール西鎌倉駅を降りてマスクを外すと、心地よい南風が吹いていて、そこらじゅうが潮の香りに満ちていた。
歩きながらその心地良さに身体を預けて、深く呼吸する。いつもより少しゆっくりと歩く。ふと空を見上げると、月が薄い雲を通して淡くおらが街を照らしている。レストランの窓ガラスがすべて曇っていて、中がぼんやりとしていた。
よって、これを書く。
あれは西鎌倉小学校5年生の夏の夜。すなわち、昭和56年(1981年)だ。甲子園では今年と同じく横浜高校が出場していた。愛甲投手を擁して全国制覇をした翌年だった。
夜、自室の窓から外を見上げると、赤い光が星空の中にあった。普段はそんなところには存在しない赤く丸い光だ。場所はちょうど同級生のいんちゃん家上空辺り。割と近い。
あんなはっきりと赤く光る星は見たことがない、点滅しているわけでも、動いている訳でもないので飛行機や人工衛星でもない。
ということは…UFOかもしれない。
眼をこすって何度も見返すが、それは、はっきりと存在し、むしろ、自分に向かって光を放っているかのようであった。
両親にも見せたところ、「珍しいわね」なんて母親が吞気に言っている。
何とか誰かに知らせたいと言うと、母が「新聞社に電話したら?」と提案してきた。
むしろウルトラ警備隊に電話する方が筋が通ると考えたのだが、母がそそくさと電話帳を出してきて、どこかの新聞社の神奈川支局の番号かなんかを見つけ出し、結局、自分がかけることになった。
でも何て言えば良いのか皆目見当がつかない。そこで、母に「何て言えば良いのか」と尋ねてみると、「小学5年の者ですが、と言えばいいのよ」と言う。
そんな大人みたいな言い方をそれまでの人生でしたことがなかったので、かなり緊張しながら電話をかけて、「小学5年の者ですが」と切り出した。
その後、拙い言い方で状況を説明するも、電話口の新聞記者か職員かの男性は、「江の島灯台の光が反射しているのではないか」とか、「相模湾の船の明かりが反射しているのではないか」と言うのだ。
「絶対にそんなのではない」と確信をもって言えるのだが、それを言い返す術も勇気もないので、そのまま電話を切った。
その後、あの赤い光がどうなったかは忘れた。翌日の夜にはもうなかったと思われる。
今思えば、あれはペロリンガ星人の乗った円盤が星にカムフラージュしていた可能性も考えられる。
ペロリンガ星人はきっと、私だけに分かるように何かを伝えようとしていたのではないか。
52歳を迎えて、視力が徐々に衰えを見せ始めているが、心の眼はいつも開いていたいと願う。その眼で聴いて、その胸で話すのだ。
昨夏、コロナに感染した時に、市の保健所に電話した。「市内津在住の者ですが」と切り出した。
ぶち上げろ、魂。