【神奈川のこと54】マイカル本牧と、ブルースと(横浜市中区)

昨日の朝、最近の土曜ルーティン、大船での五十肩リハビリテーションの帰り道。自宅までウォーキングで柏尾川沿いをゆく。耳には、NHK-FMの音楽番組。ふと一瞬、日本のブルースバンド、「憂歌団」のボーカリスト、木村さんの名前が出た。

よって、これを書く。

大学生の頃と社会人となった20代、たまにマイカル本牧へ行った。

バブル時代の絶頂期とも言える、平成元年(1989年)にマイカル本牧は誕生。すなわち、大学1年生の時だった。

本牧には、親戚が暮らしていて、根岸時代からよく行っていたし、初めて骨折した時には本牧外科で治療した。わりと馴染みの場所だ。

マイカル本牧は、当時としてはとびきりにお洒落な建物で、洗練されていた。あまつさえロマンチックであったので、デートでよく訪れた。

まあ、洋服を買ったな。覚えているのは、紺色の丸首のセーターと、社会人になって、アパレル業界出身の先輩が教えてくれたブランド、「ファソナブル」のネルシャツ。2つともお気に入りで長いこと着ていた。あれは良かったな。

当時お付き合いしていた彼女と一緒に、一体私はどんなツラをぶら下げて、あの空間を歩いていたのか。いやはや、思い出すだけでちょっと恥ずかしくなる。

そんなマイカル本牧のもう一つの思い出。

それが、ブルースだ。

大学生の時に、小中学校時代の親友であるいんちゃんと一緒に、何度か憂歌団のライブに行った。

マイカル本牧にはちょっとお洒落で小ぢんまりしたライブ会場があったのだ。

いわゆる一つの「ワンドリンク付き」のチケットって奴だったと思う。酒の味を大して分かってもいないくせに、このワンドリンク付チケットで、ビールやウイスキーを飲みながらライブを観る。それは大人の証左だと粋がりながら、懸命にその振りをしていた。

しかし憂歌団のライブは楽しかった。演奏に酔いしれ、木村さんの関西弁のトークに腹を抱えて笑い、ああ、良い時間と空間だった。

そして、もう一つが、ブルース・ブラザーズ・バンドだ。これは、大学時代の親友、のりと一緒に行った。当然、映画に出てくるあの二人はもういなかったので、いわば、リバイバルバンドということだろう。

その日はたまたま、従姉のマリちゃんが米国新婚旅行で買ってきてくれた土産で、 "GEORGETOWN"と書かれたTシャツを着てライブに行った。ライブの後半、ボーカルの黒人男性歌手が、演奏中にこちらの方を指さして、「来い、来い」と手招きをする。私は周囲をキョロキョロと見渡すのだが、「違う、違う、お前だ」とこちらを指さす。どうやら、私のことらしい。「俺か?」とジェスチャーをすると、「そうだ、そうだ、ステージへ上がって来い」とジェスチャーで返してきた。

こうして私は、ステージ上に招かれた。オーディエンスからは、拍手喝さい。どうやら、このTシャツが良かったらしい。黒人歌手はTシャツを指さして、親指を立てた。そして、私は、曲に合わせてステージ上で踊った。

憂歌団とブルース・ブラザーズ・バンド。日米を代表するブルースバンドと言っても過言ではないだろう。

マイカル本牧と、ブルースと。

ぼかぁ、しあわせだな~。






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