【神奈川のこと53】カントリー・キャプテン・チキン(藤沢市/デニーズ六会店)

昔、デニーズにカントリー・キャプテン・チキンというメニューがあった。

よって、これを書く。

平成元年(1989年)5月、東海大学の一年生になりたての若葉の頃。

大失恋をした。

無様な振られ方であった。

予感は確信に満ちていた。

止めときゃいいのに、念のため、彼女の家を訪れて直接確認した。

完膚なきまでの "The End" または、"fin"、はたまた「終」。

駆けるように彼女の家の庭先を飛び出し、外に停めてあった親父の日産グロリアY30の運転席ドアを勢いよく締める。浅い溜息をつき、エンジンキーに手を伸ばし、鎌倉街道を家路へ。

保土ヶ谷バイパスでは、大音量で久保田利伸の「流星のサドル」をかけ、泣きつつ、叫びつつ歌いながら、若葉マークをつけたグロリアで、生まれて初めて100km/hを出した。

それから数日後。

綾瀬市にあるアルバイト先のTry学習教室。

授業が終わり、他の講師たちは皆はけた夜の11時頃だろうか。職員室では、私と先輩講師の「ひのちゃん」の二人が残業をしていた。

ひのちゃんは、授業の分かり易さ、面白さ、そして何よりも生徒に対し分け隔てなく平等に接することができる当塾の人気講師であった。今なら、「カリスマ講師」と呼んでいいだろう。

あれは一体何だ?生徒を惹きつけるあれは。体験値として最も分かり易いのは、ひのちゃんが授業を行なった後の教室に行くと、「あったまっている」のである。真似のできない芸当であった。

そのひのちゃんは、私に背を向けた格好で、パソコンに向かって教材を打ち込んでいた。

カタカタとひのちゃんの叩くキーボードの音が職員室に響く。テストの採点でもしていたか、私は書類に向かってペンを走らせていた。

お互いに仕事をしながら、ふと、彼女の話になった。ひのちゃんが、「彼女とはうまく行ってるの?」とか「びっくんは彼女いるの?」と聞いてきたのか、私から切り出した話題なのかは、忘れた。

話している内に、私は嗚咽してしまった。

それまで背を向けて作業していたひのちゃんは、こちらに顔を向け、ゆっくりと眼鏡を外した。そして、セブンスターに火をつけて、しばらく私の話に耳を傾けてから、「びっくん、飯でも行こう。ご馳走するよ」と誘ってくれた。

藤沢町田線(国道467号)沿いにあるデニーズ六会店。

そこで、カントリー・キャプテン・チキンを注文した。

その後、30年余りの月日の中で、最も一緒に食事をしたであろう仲間の一人であるひのちゃんとの、初めて二人で行った食事がこの時だった。

ひのちゃんは、デニーズの長椅子にあぐらをかいた。

ムムム、初めて光景であった。

それまでの人生で、周りにそういう先輩はいなかった。

でも、本音で話ができそうだ、と思った。

そして、ひのちゃんは運ばれてきた食事を、ナイフとフォークで切り終わると、「すみません、お箸ください」と店員に言った。

ムムム、これも初めての光景だ。

でも、これはきっと長い付き合いができそうだ、と思った。

更に、「びっくんは何か嫌いな食べ物あるの?」と聞いてきたので、「う~ん」と答えを考えていると、「俺は漬物が食べられない」ときた。

デニーズのソファにあぐらをかき、店員に箸を注文する男が、漬物を食べられない。

このアンバランスさに、どう反応すべきか、戸惑った。

でもなぜかこの時、目の前に座っているこの男とは、本音で話せて、一生の付き合いができる仲になるだろうと確信した。

ひのちゃんは、物まねが上手かった。いや、本当に上手いかは、物まねされている本人に会ったことがないから証明できない。だが、高校時代の野球部の監督さんや先輩、同級生なんかの物まねをよくした。それがとても面白かった。ひのちゃんの物まねを通じて、会ったことのないそれらの個性あふれる人々に対し、親しみを覚えた。

さながら、ちあきなおみを、コロッケの物まねでしか知らないというのと同じ感覚だ。

こうしてひのちゃんとの深い付き合いが始まった。

しばらく経つと、友達や知り合いがとても多くて、誰とでも気兼ねなく話せるのに、意外と孤独であることに気付いた。

また、何でも器用にできるが、実は、生き方は意外と不器用であることにも気付いた。

そんなひのちゃんをいっとき、遠ざけたことがあった。

全知全能を持った頼れる先輩でないことに気付いたからだ。

今思うと、わがままで甘ったれの、全くもって身勝手な行動だった。

学生時代も社会人になってからも、よく相談をした。

温かく耳を傾けてくれるが、苦言も呈してくれた。

「世の中そんなもんだぜ」

「ビリー、小せぇな」

頭ごなしにNOとは言わない。話をすべて聞き、理解を示した上での苦言は応えた。

綾瀬市各所、デニーズ六会店、長後街道、神奈川県民ホール、保土ヶ谷球場、天王町。東京では、新宿アイランドタワー、そして九段下。

俺たちきっと、きっとまたどこかで会えるはず。

カントリー・キャプテン・チキンが満たしてくれたもの。

それは、空きっ腹と、傷ついて穴が開いた心。

尚、32年前の大失恋した彼女は、結果的に人生の伴侶となった。

平成元年の別れと出逢い。

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