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【神奈川のこと18】FIRE STATIONでついに迷子(横浜市中区根岸台)
最近、「思い込みが激しいな」と感じることが多いので、このことを書く。
あれは、昭和49年(1974年)、4歳ごろの話だ。
母と2歳下の弟と横浜駅に出かけた。多分、髙島屋にでも行ったのだろう。
その帰り道での出来事。
横浜駅から帰るときには、いつも市営バスの103系統に乗る。終点の「根岸台」というバス停で降りれば、自宅マンションまで約100mの距離だ。
その日、根岸台のバス停で降りた私は、弟を抱っこして歩く母を置いて、先にマンションに向かって走った。マンションの敷地内にある公園で友達が遊んでいるかもしれないからだ。
でも公園に友達はいなかった。そして、マンションのエントランスホールに戻った時に、「あれっ?ママがいない」と思った。その時、母と弟はまだマンションに到着していなかった。
母を探すため、走ってバス停に戻った。
ただ、戻り方が悪かった。母とは違うルートで戻ってしまった。
二等辺三角形に例えると、「長い直線」がバス停とマンションを結んでおり、そのルートを私も母も通って帰ってきたのに、「二等辺」のルートで戻ってしまった。それがふだんバス停に向かう時に使っているルートだった。
バス停に戻ったが、母と弟はいない。
マンションに母はいないと思い込んでいた私は、「迷子になった」と思い、と同時に不安と涙が込み上げてきた。
根岸台のバス停の目の前には、米軍住宅の消防署があり、大きくFIRE STATIONと書かれてある。
どうしていいか分からず、そのFIRE STATIONにいたアメリカ人のおっちゃんに迷子になったことを泣きながら告げた(当時はまだ英語が話せなかったので、日本語で言ったんだと思う)。すると、アメリカ人のおっちゃんはパトカーを呼んだ。そして、署内の自動販売機でペプシコーラを買ってくれた。当時、普通に売っていたあの250mlのビンに入ったやつだ。
しばらくして、FIRE STATIONにパトカーが到着。この時になると、気持ちもだいぶ落ち着いてきており、パトカーを見て、「あれっ?何か大げさになっているぞ」と幼い頭で少し冷静に考えていた。だが、もう後戻りはできないので、迷子の子どもの雰囲気のまま、黙ってパトカーに乗った。
あれが、初めてパトカーに乗った経験だ。わずか、100m。それ以降の光景ははっきりと記憶にある。運転席と助手席に男のおまわりさんがいて、私は後部座席の真ん中に、ペプシコーラのビンを持って座った。家の場所を尋ねられたので、伝えるとそのあまりの近さにおまわりさんが少し驚いていた。だが、もう、後戻りはできないので、迷子の子どもの雰囲気のままでいた。
10秒ほどでマンションに到着。
一人のおまわりさんが、自宅の103号室まで一緒についてきてくれた。
「ピンポーン」呼び鈴を鳴らすおまわりさん。
「はーい」とのんきな母の声。ガチャッとドアが開く。
「お母さん、どうか怒らないであげてください。」
「あら?.....。」
母の驚いた視線の先には、おまわりさんの横で、半べそをかき、ペプシコーラのビンを両手に握る私がいた。迷子の雰囲気のまま。