【神奈川のこと10】22系統の運ちゃん(横浜市中区/根岸不動坂上)
根岸に住んでいた頃、不動坂上というバス停から、横浜市営バスの21系統に乗り、元町で降りて、センジョ(セント・ジョセフ・インターナショナルスクール)に通っていた。
この不動坂上というバス停には、主に21系統というバスが来るのだが、朝だけとか、ごく少ない本数で、22系統と55系統もやってくる。
22系統と55系統は、元町には行かない。確か22系統は、山元町の信号を左折して、伊勢佐木町方面へ向かい、55系統は、山元町の信号を真っすぐ進み、地蔵坂方面に向かうのだ。
あれは、昭和51年(1976年)か昭和52年(1977年)、センジョの1年生だった時の話。いつものように朝、不動坂上のバス停で、バスを待っていた。
いつもなら、21系統がやってくるのだが、その日は、22系統がやってきた。21系統と勘違いをしたのか、それとも22系統に乗ってはいけないことを忘れていたのかはよく覚えていないが、そのバスに乗ろうとしてしまった。
前扉から乗り込もうとした瞬間、「ドスン!」。ステップに乗せた左脚がドアに挟まれた。22系統の運ちゃんが乗せまいとドアを閉めたのだ。その瞬間、運ちゃんと目が合った。有無を言わさぬ勢いであった。
慌てて脚を引いて、呆気に取られている僕をよそに、22系統はエンジン音を立てて走り去って行った。
すると、マンションの入口から、見送っていた母が、叫びながら走ってきた「びっくん、それ乗っちゃダメ!」。そこで、間違えに気付いた。
あのまま、22系統に乗ってしまっていたら、迷子になっただろう。
ただ不思議なのは、なぜ、22系統の運ちゃんは、黙ってドアを閉めたのか。
センジョの制服だと分かったので、日本語が通じないと考えたのか。それとも、「僕、このバスじゃないよ」と言ってくれたのに、聞こえなかっただけなのか...。
このことを思い出すとき、挟まったドアは、重くはあれど、決して痛くはなない。あれは、誤った道に進ませまいとする、22系統の運ちゃんの不器用な優しさだったのか。
黙って、有無を言わさず締め出した22系統の運ちゃんと、走り叫びながら間違いを正そうとした母。二人の大人によって、誤った道に進まずに済んだ。
昭和の大人たちが愛おしい。
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