コロナ禍を乗り越えた新卒1年目が、大人に対して思うこと
「新卒」なんて言葉でくくられ始めて、あと少しで半年。
何ができるようになったかなあ。成長したかなあ。実感ないな。
でも、引き続きがんばりたいな。
半年前、入社の日に
『今年の新卒の方は、コロナ禍の大変な時期を乗り越えた方々だから、期待しています』
って部長に言われた。
しんどい日々だったろうけど、グレることなく敷かれたレールを外れることなく無難に乗り越えた、ってことかしら。知らんけど。
いや、無難なんかじゃないし。心、乱されまくったし。
でも、とりあえずここでは、コロナに対するざわざわは置いとく。
部長から言われた言葉は、私にはなんだか不快ではなかった。なんならポジティブになれた。
なんでかな。その人がとても尊敬できる人だからってのもあるかもしれないけど。
たぶんそれは『肯定』してくれていたから。
一方、私には絶対に忘れられない『否定』された言葉がある。
私は、大学1年の春休みを終えるあたりからコロナに自由を奪われた学年です。2、3年生の授業はオンラインになり、通常に戻った4年生になったころには、単位を取り終えてた。そんな年です。
コロナ自粛1年目、始めたばかりのバイト先に、あるパート社員さんがいた。30代後半の方で、割とはっきりものを言う人だった。
ある日の閉店作業中、私の大学生活の話になった。
大学で友達に会えない、気軽に遊んだり旅行に行ったりもできない私の大学生活。
悔しかったけど、しょうがなかった。いつか取り戻してやるんだ。それまで、私はこの生活に胸を張れるように生きるんだ、って思ってた。だけど。
私の状況を聞いたその人は、ひとこと。
「えーかわいそうー。私だったら“絶対に”無理ー」
私は普段、どんな人の返答も難なく受け入れてコミュニケーションするタイプだけど、この時は少し、止まった。
無理ってなんですか。私、その“無理”な人生を生きてるんですが。
正気?思いやりって知ってる?
ずたずたにされた気分だった。コロナ禍で苦しかったことTOP5に入るくらい。あんたのことなんか、一生許してやるもんか、って思った。その人はもう、ああ言ったことなんて覚えてないんだろうな、というか、その日のうちに忘れてたんだろうな。
エピソードトークが長くなってしまいました。つい、怒りがこみ上げちゃって。
要は、コロナ世代を否定された経験があったぶん、部長の言葉が嬉しかった。私は強いんだ、って肯定された気分になった。
あの言葉があると、この先もがんばれそうな気がする。
コロナでひとり悶々と考える時間が多かった私たちの世代は、大人たちのことを(私だって、世間で言ったらもう十分すぎる大人ですよね)よく見てます、よ。敏感に、鋭く見てます。聞いてます。
そして、無下に可哀想がられるより、闘争心(?)かき立てられるほうが、私はやる気が出るのかもしれないと思いました。
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