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美術作品の解説に納得いかないとき、どうすればいいのか?
みなさんは、ある作品の解説を読んだとき、ほんとにそうなの~?っていうモヤモヤした気分になったことってありませんか?
わたしは、わりとあります(照)
今回は、そんなときの対処法について書いてみようと思います。
きっかけは、わたしはTwitterでマシュマロをやっていまして、そこでこんな質問をもらいました。
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こういうふうに思ったことがある人って、けっこう多いんじゃないでしょうか?
まず知っておいてほしいのですが、作品の解釈がどれだけ事実であるかのように書かれていたとしても、それが筆者の見解であることには違いありません。
そして、作品の解釈でこれこそが絶対に正しいと言い切れるものは一つもありません。
ただし、ある解釈が他のものよりすぐれていると思えることはあります。
その解釈の良し悪しを自分で判断できるようになれば、モヤモヤも少なくなるはずです。
その判断基準は、根拠がちゃんと示されているか、そしてそれが妥当だと納得できるものかどうかです。
ということで、これから例をあげて実演してみたいと思います。
解説の読み方
質問者さんが紹介してくれたのが、こちらの本です。
美術評論家の海野弘さんが文章を書いています。
では、質問者さんが最初に挙げてくれたクリムトの≪ダナエ≫(1907‐08)の解説文を読んでいきましょう。
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解説文はこちらです。短めですね。
これから詳しく検討するので、まだ読まなくて大丈夫です。
アルゴスの女王ダナエにゼウスは黄金の雨となって侵入し、犯す。彼女の赤毛はエロティックな女の象徴である。身体を丸め、セックスを受け入れるポーズをしている。
紫色のヴェールの指環のような文様は女性器をあらわしている。降り注ぐ黄金の流れの中に見える細長い四角は、男性のシンボル、精子を示している。
1917年、クリムトは「ダナエ」と対になるような「レダ」を描いた。こちらもギリシア神話で、ゼウスが白鳥となってレダを犯す。この作品は、1945年、ウィーン郊外インメンドルフ城の戦災で失われた。この城に収容されていたが、ナチの親衛隊が撤退する時に城もろとも放火したのである。
「ダナエ」と「レダ」のいずれも、ゼウス(男)の姿は描かれていない。
この解説文は、4つのパラグラフ(段落)に分かれています。
順番に見ていきましょう。
1段落目
アルゴスの女王ダナエにゼウスは黄金の雨となって侵入し、犯す。彼女の赤毛はエロティックな女の象徴である。身体を丸め、セックスを受け入れるポーズをしている。
これを整理すると次のようになると思います。
① ≪ダナエ≫は、ギリシャ神話の性交の場面を題材にしている。
② この作品には、エロティックなものが表現されており、とくにそれがダナエの赤毛と身体の描写に表れている。
①は、作品の典拠についての情報なので問題ないでしょう。
一方で、②は作品内容に踏み込んだ解釈を述べています。
なので、解釈の根拠を見ていく必要があります。
「彼女の赤毛はエロティックな女の象徴である」というのは、唐突な感じがしますね。
なぜそう解釈したのか説明されていないので、筆者はそう思っているんだなと納得するほかありません。赤毛というだけでエロティックなわけがないだろうし、たぶん他になにか理由があるんでしょう。
一方、身体の描写については、ダナエの丸まった体勢が性交を受け入れるポーズであると述べています。この点はたしかに、彼女が性交を拒んでいるようには見えませんし、その通りかもしれません。
彼女が「身体を丸め」ているという具体的な描写に注目するように促しているので、赤毛についての記述より納得しやすいと思います。
2段落目
紫色のヴェールの指環のような文様は女性器をあらわしている。降り注ぐ黄金の流れの中に見える細長い四角は、男性のシンボル、精子を示している。
描かれている文様がそれぞれ女性器、男根、精子を表していると言っています。
ですが、その根拠を示していません。
断定するくらいですからそれなりの理由があるのだろうと思い、調べてみたところ、このような解釈がこれまで専門家によってなされているようです(池上英洋『官能美術史』ちくま学術文庫、p.80でそのように解説されていますが、その専門家とは誰なのかは不明です)。
ともかく、その専門家の見解を筆者も支持しているという以上のことはわかりませんね。
3段落目
1917年、クリムトは「ダナエ」と対になるような「レダ」を描いた。こちらもギリシア神話で、ゼウスが白鳥となってレダを犯す。この作品は、1945年、ウィーン郊外インメンドルフ城の戦災で失われた。この城に収容されていたが、ナチの親衛隊が撤退する時に城もろとも放火したのである。
この段落では、クリムトは≪ダナエ≫と同じような題材の作品を他にも描いている、という情報を提示しています。
クリムトの関心について理解を補強してくれる情報ですね。
これは事実関係を述べているだけなので、すんなりと受け入れられると思います。
4段落目
「ダナエ」と「レダ」のいずれも、ゼウス(男)の姿は描かれていない。
意味深な一文で締めくくっていますね。
そんなことを言われると、男性が描かれていないことにどんな意味があるのか気になりますが、この解説はこれでおしまいです。
まとめ
では、わたしがこの解説を読んで理解できる点、納得できそうな点をまとめてみます。
・ギリシャ神話の性交の場面が描かれていること
・ダナエの身体を丸めたポーズは性交を受け入れていると解釈できること
・クリムトは他にも似たような絵を描いていること
の3つです。
次に、納得しにくかった点、説明が足りていないように感じられる点。
・彼女の赤毛がエロティックな女の象徴であると解釈できる理由
・文様が女性器、精子をあらわすと解釈できる理由
・男性が描かれていない理由
これも3つ、半々って感じですね。
まぁもともと短い文章ですし、そこまで完璧に読者を納得させてくれるはずだというのは期待のし過ぎでしょう。
根拠が不明瞭な解釈については、無理に納得する必要はありません。
読み慣れていない人は、これはなにも説明がなくても理解できて当たり前のことなのだろうか?と不安に思うかもしれませんが、そんなことはまったくないので大丈夫です。
そういうときは、そういう見方もあるのかもなぁ~という感じで受け流しましょう。
どうしてもその解釈がひっかかる、真偽を確かめたいと思ったなら、他の本で同じような問題が詳しく取り上げられているかもしれないので調べてみましょう。
わたしは、文様についての記述が気になったのですこし調べました。
そうやって知識を積み重ねて理解を深めていくことが、勉強するということです。
つまり、モヤモヤは、勉強をするきっかけでもあるのです。
自分の中にある釈然としない感覚に敏感になって、その原因が何なのかを理解しようとすることは、とても大切なことだと思います。
以上のように、筆者の主張とその根拠がどこにあるのかを探していけば、解説文との適切な距離感をつかむことができるようになっていくはずです。
次に解説文を読むときは、自分がどこを理解できて、どこができなかったのかを意識してみてください。
そして、モヤモヤを勉強する意欲にどんどん変換していってください。
オススメの本を紹介
わたしがこういうことを意識できるようになったのは、この本のおかげです。
シルヴァン・バーネット (著), 竹内順一 (翻訳)『美術を書く - 美術について語るための文章読本』東京美術 2014
美術史の本をオススメする記事でも紹介しましたが、この本は作品について書いた文章を丁寧に分析して、どうやったらこういった文章が書けるのかを解説してるんですよ。
そりゃあ、書くためには、その前に読めなきゃいけませんよね。
少し専門的な内容も含みますが、もし気になったら本屋とか図書館で探して読んでみてください。
追記
みいまさん、質問ありがとうございました!
基本的に文章に書いてあることは、筆者が妥当だと思っていることだと捉えていいと思います。
なので、「~とされる」という遠まわしな言い方をしていても、とくに前置きがないなら筆者もそれを支持しているはずです。
そして、支持する根拠を示していない場合は、筆者が読者を説得しようとしていないということです。
ついていけないなぁと感じるのは、筆者が想定する読者のレベルが高いからかもしれませんし、単純に文章が良くないからかもしれません。
赤毛についてですが、赤毛=エロティックと一般化して言っているわけではないので差別的とまでは言えないかなぁと思います(いちおう「彼女の赤毛」と限定してはいますよね)。
まぁ、根拠が不明瞭なので、何とも言えないというのもありますが...。