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そこに写り続けていたもの

前々回の投稿をするまで、
SNSを3ヶ月なにも投稿せず、自分にとっての写真の在り方を感じ直していました。
なにを書けばいいのかわからなくなっていました。

あたしはカメラが好きというより、写真が好きで。

高校生の頃から、カメラが日常にあって、
かばんの中のいつメンは、
写ルンですとミルキーペンとポスカ笑
街のプリント屋さんの常連女子高生。

今や人生の半分を裕に越えて写真と生きてきている。

あたしは何を撮ってきたのか
あたしは何を撮り続けていきたいのか

女子高生さほがよく撮っていたのは、夕焼けの空、友達と過ごす放課後、
親に内緒にしてた彼氏とのデート笑
あ、よく撮ってたのは「手」。昔から手フェチ笑


道端の雑草のような花たちや、
木漏れ日の影のコントラストはずっと好きで、ついカメラを向けてしまう。

出産してからはもちろん子どもたち。

ペットボトルをこよなく愛する赤ちゃん期、高速ずりばい、ほふく前進期笑
障子ビリビリ記念日笑
抱っこ紐の中で寝てるときのこぼれそうなほっぺた。
思い出すだけで愛しくて涙が出そうになる瞬間をとにかく撮っていた。

ワンオペ育児で二人目の産後、産後うつになりメンタルも身体も壊したけれど、それでも写真は撮っていた。

さて、あたしは何を撮ってきたのか
あたしは何を撮り続けていきたいのか


改めて振り返ると、ひたすら撮り続けてきたのは日常で、
日常の中の一瞬で、
生きている命の時間そのものだった。

写真が好きなのは、そこに命が写っているからで。

人が写っていればもちろんだけど、
道端の雑草のいのち、食べ物にもいのち、
撮っている人が生きて、目の前のそれを見ているという時間が写る。

被写体として何がどう写っているのかを見るのも好きだし、
それを撮った人の目線や感性、どの瞬間になにをキャッチしてシャッターを切るのか、そこがまた命が写るポイントで、誰かの生きる景色を共有させてもらえる写真が大好きなのです。


だからなんだよ。
ワクチンのことを書いたのも。
生きてなきゃ。しかも幸せに生きてなきゃ。
あたしは、こどもたちが大人になるまで生きていたいし、
大切なひとが生きているという日常の奇跡を撮り続けたい。


娘が3歳の頃、公園で。


毎日生きてたら、誕生日があったり、七五三とかイベント的な記念日がきたりする。記念日に写真を撮る人はたくさんいるよね✨
その記念日も奇跡の日常の大切な1日。


毎日奇跡なんだ


写真というものが人生でそばにいてくれると、
奇跡に気づく回数を圧倒的に増やしてくれる。


あたしは、これからますます命を撮る。
人でも、景色でも、カフェの外に見える葉っぱが揺れる木漏れ日の影と光を。
家族の記念日を、毎日のごはんを、働く誰かの姿を、
街中でのポートレートを、横たわるヌードを。

その全てが生きていることそのもの。

生きているという美しさの絶対的な受容。

生きて感じられることそのものの圧倒的幸福感。

写真にはそれが写る。

これがあたしが写してきたもの。写したかったこと。

だから写真はずっとそこにあったんだ。

今更ながら、なんて素晴らしいツールと生きてきたんだろう笑


あたしの写真と言葉で誰に何が届くのかわからないけれど、
出会ってくれた人たちが、より自分を愛して生きられるお手伝いができるように、その人の人生の幸せが増える写真の在り方をお伝えしていけるように、綴っていこうと思います。


読んでくれてありがとう♡
生きていてくれてありがとうございます♡

Saho












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