写真を仕事のするとか、写真で稼ぐとか、いわゆる職業カメラマンとしての立ち位置に彼女は全く興味がなかった。

ただ、『写真と生きる。』と決めた、それが彼女の始まりだった。

とは言え、写真を撮って、対価を受け取る。
写真で生きるということはそうゆうことだ。

プロフィール、ポートレート、ブランディング撮影、家族撮影かランジェリー、ヌード撮影まで。
幅広く撮影する彼女は、一体何を写そうとしているのか、何を伝えたくて撮っているのか。

写真家として生きることを決めたのには原体験があるという。

(以下、動画から引用)
"産後うつから育児ノイローゼになった時に、自分のメンタルのコントロールがいかなくなって、自律神経が壊れて、でもその時にもやっぱり日常で撮り続けてたので、写真を撮るっていうことはすごく自然にやっていて。

夜泣きとかの時にすごいイライラして、わー!って感情がコントロールできなくなるんだけど。

私、恥ずかしながら息子に手をあげちゃったりしたメンタルの時もあって。それでも写真を撮ってたことで、まだそこに息子に対しての愛が残ってるって思えて。

どんな状態であっても、残しておけば無限に愛を深めてくれるツールで、それを自分自身の写真で自分が受け取った時に、

「あ、これはものすごい大事なものを私は好きでい続けたんだ」ってことに気づいて。

あ、これを伝えようって一つまず文化として残そうって思ったのと。

自分のことが大好きな状態で、自分が心地よく生きるっていうことが一番大事なことなんだなって、すごく大きく気づいたことが何回かあって、
その時にやっぱりそばにあったのは写真だったから。”



今回のインタビューは彼女の原点の一部にすぎない。
動画では語られなかった彼女の過去には、多くの女性たちが母として感じる葛藤や、母という役割ではなく一人の女性としての本当の魂の声を聴くヒントが詰まっているだろう。

「写真の無限の可能性を人に届けていくことを今度は私がしようって思って。」

写真というツールを味方に、目の前の人の本質的な美しさと、幸せな生き方を届けていく写真家に会いに行ってみてはどうだろうか。




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